【日本人の世界像】最新技術を得たものの異質の文化を咀嚼できず

学び

日本人の世界像

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は「日本人の世界像」という加藤周一の評論を扱います。

『羊の歌』(岩波新書)という彼のエッセイを読んだことがありますか

ぜひ一読を勧めます。

自伝です。

加藤周一という人間がどのように形成されていったのかということが実によくわかります。

一言でいえば、恵まれた環境に育った人です。

戦時中のファシズムの下でどう生きたのかを読むだけで、価値があります。

洗練された趣味を持ち、知的な生活態度を取り続けたのです。

文学、音楽、演劇等の芸術に対する造詣の深さは他の人と比べようがありません。

ここでは日本人は外部の世界に対してどういう関心を持ち、生きてきたのかというのがテーマです。

文化論と呼ばれるジャンルの評論です。

日本の近代はいつ始まったのか。

これはよく話題になりますね。

大変に難しい問題です。

江戸時代、日本は鎖国を続けていました。

この政策は、ある意味日本を純粋培養させることに役立ったのです。

オランダを通じ海外の情報は入ってきたものの、それは限られたものでした。

ところが19世紀になると、突然黒船がやってきたのです。

そのことによって何も知らなかった日本人は、西洋で何が起こっているのか初めて見ました。

すなわち軍事力そのものです。

植民地化の不安

このままにしておくと日本が植民地化されると幕府は考えました。

隣国の様子を聞いていたからです。

とにかく独立を守る必要があったのです。

そのために鎖国の中で培われた技術や文化を何とか西洋と同じレベルにまで引き上げなければなりませんでした。

技術をまず知らなければならないという焦りが生じたワケです。

とにかく相手から学び取ることだけが主眼でした。

軍事力をまず作り上げる過程として、日本は開国したと考えて間違いありません。

日本にゆとりはありませんでした。

技術の裏側には当然、それを生み出した文化があります。

異質の文化が入り込んでくる可能性があるワケです。

しかしだからといってどうすることもできませんでした。

時間がなかったのです。

外部に対して自分たちの存在を主張するゆとりもなく、ただひたすら内側に取り込むことに専念をしました。

それでも外の世界から影響を受けることを無前提に、次々と取り込んでいったワケではありません。

その技術の内側にどのような精神の仕組みがあるのかを考えたのです。

しかし彼らの考え方や精神の領域が複雑なものであるということに気づいた人は、そう多くはありませんでした。

そんなことより、大切なのは技術だったのです。

鉄鋼の生産が軍事力の要でした。

技術と精神の関係にいち早く気づいたのは、イギリスに留学した夏目漱石です。

いくら外側だけを似せようとしても、ヨーロッパと日本は全く違う土壌にあるのだということを訴えました。

夏目漱石

いずれその衝突が避けられなくなると予言したのです。

夏目漱石は英文学を学ぶためにイギリスへ留学しました。

しかし勉強すればするほど、彼らの精神世界の複雑さを知ったのです。

日露戦争に勝って浮かれていた日本人の一方で、彼は西洋と日本の違いというものに直面しました。

しかしその頃から日本人は富国強兵という考えを持ち出すようになりました。

自信を持ったのでしょう。

その理由の最大のものは、植民地化される危険が遠ざかっていったからです。

と同時にそれは他国を植民地化しようという、膨張主義にも変貌する可能性を持っていました。

その頃から外国と対等に渡り合っていくための力を持ち始めました。

日本の中に取り入れるという技術の面が、次々と効果をあげたからです。

しかしその裏側にある精神の領域を取り入れる余力がなくなってしまったのです。

いよいよ日本は暴走する下準備を整えていきました。

この流れが結局、太平洋戦争にまで突き進むのです。

日本は神国と呼ばれました。

全能の神が支配する国家になりました。

統帥権という思想まであらわれたのです。

その結果は見るも無残なものでした。

加藤周一はその時代を体験しているのです。

戦後の日本の動きを落ち着いた目で見続けました。

そこからどのように立ち上がればいいのか。

彼は考え続けました。

経済成長

世界対戦の終結とともに神国は姿を消しました。

そこからは精神を背後に隠して、経済の成長が目標になりました。

何も考えずに経済のことだけを考えていれば、よかったのです。

ある意味、鎖国後の技術を取り入れようとした日本の姿に酷似しています。

かつては技術です。

高度成長期はひたすら右肩上がりの、経済優先の生活でした。

エコノミックアニマルなどと呼ばれても、何も考えなかったのです。

鎖国の後とパターンは同じです。

日本の近代史はいつも欧米との関係の中で動いています。

追いつけ追い越せがうまくいくと、突然「もう学ぶことはない」という態度に豹変します。

夏目漱石は日本人の国民性を見抜いていました。

必ず破綻する時がくるという表現をあちこちの講演でしています。

まとめておきましょう。

隙あらば日本を植民地化しようと画策したのがイギリス、フランス、ロシア、アメリカなどの大国です。

それに対して独立を守るために軍事力を上げようとした必要があったことは間違いありません。

しかしそれが同時に技術だけではすみませんでした。

彼らの価値の体系を同時に付随するものとして受け入れざるを得なかったのです。

そこで日本古来のものと衝突する場面が多く見られました。

そこまで当時は考えが及ばなかったということだと思います。

これは現在も引き続いて存在しています。

日本の複雑な環境はこれからどうなっていくのか。

外圧に弱いといわれる日本です。

問題の根が想像以上に深いことを考えずに、すぐ新しい思想になびきます。

しかし結局は根腐れを起こして枯れてしまう。

この繰り返しです。

本当の意味の民主主義もなかなか根付きません。

政治の世界でも、本来の意味での論争がなされる気配もないのです。

村社会的な構造のまま、同調圧力は強まる一方です。

個人主義が確立するにはどれほどの時間がかかるのでしょうか。

最近の低迷したこの国の様子は、過去の流れを見れば自ずと見えてくるのです。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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