【おまじないと星占い】決定的な差は宗教と科学の違い【大塚英志】

ノート

おまじないと星占い

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回はおまじないの話を少しさせてください。

あなたはこの言葉を聞いて何を思い出しますか。

世の中には、いろんなおまじないがありますね。

イタリアの首都ローマをちょっと想像してみてください。

トレビの泉の前では後ろを向いてコインを投げる人がたくさんいます。

またここにやってこられることを祈る人たちです。

とてもきれいな場所なので、映画やテレビなどで見たことがある人も多いでしょう。

その他にもたくさんあります。

入試のシーズンになると、いろいろなおまじないがはやります。

キットカットというチョコを食べるというのもポピュラーです。

これは「きっと勝つ」と発音が似ているところから有名になりました。

「かつ丼」などもそうですね。

「かつ」が「勝つ」に通じるのでしょう。

評論家の大塚英志は評論の中で次のように言っています。

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おまじないとは、少女たちが自分たちの生活空間に作りだした〈小さな宗教〉なのである。

それはいってしまえばアニミズムの一種なのだともいえるかもしれない。

風や木や石や身のまわりの自然物すべてに名もなき小さなカミがやどっていると考える日本人の神観念に実は彼女たちは忠実なのである。

森や木の代わりに少女たちの環境として存在するのがファンシーグッズなのである。

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ここでは少女がおまじないに走る理由が解説されています。

おまじないには呪術的要素が全くないワケではありません。

奈良町

ここ数年、コロナで行けなくなってしまった場所の1つが奈良です。

以前は必ず毎年行っていました。

東大寺の裏手や法隆寺の参道などは歩いているだけで、本当に心が癒されます。

時間があれば必ずならまちにも寄ります。

昔からの家が並んだ風情のあるところですね。

歩いていて最初に目につくのが、この町のおまじないです。

ご存知ですか。

「身代わり猿」がそれです。

白い頭に赤いからだをした猿が両手足を縛られ、つるされているようにも見えます。

どこの家の軒下にもぶら下がっているのです。

この身代わり猿は庚申信仰と関係しているということです。

「庚申さま」のお使いの申(猿)をかたどったお守りです。

家の中に災難が入ってこないように吊るしているのです。

人間にふりかかる災厄を自分の代わりに引き受けてくれるとされています。

背中に願い事を書いてつるすと願いが叶うともいわれています。

玄関の入り口に家族の人数分吊るすのがもっともいいのだとか。

庚申信仰というのを聞いたことがありますか。

奈良でもっとも古い寺の1つが元興寺です。

そこの僧侶が伝染病を鎮めるために、庚申さまに祈ったのが信仰の始まりとされています

言い伝えによれば、人の体の中にいる悪い虫が、庚申の日の夜、人が寝ているあいだに体から抜けだすのだそうです。

その虫の報告を聞いた神様がその人の寿命を決めるとか。

そこで60日に1度回ってくる庚申の日は、寝ずに庚申さまを供養します。

夜通し飲食などをしながら夜明けを待ったのです。

長命を願った昔の人の信仰なのですね。

それでも不安な人が身代わり猿を吊るしたというワケです。

占星術

ならまちを歩いていると、ひいらぎといわしの頭を刺したものが戸口にかけてあるのも見かけます。

これはぼくもちいさな頃に近所で見かけたことがあります。

日本では各地でかなりおこなわれていたのではないでしょうか。

節分の鬼退治の頃の風習です。

おまじないはここまでにして、では占星術はどうなのか。

大塚の評論からその部分を引用します。

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星占いとは結論からいえば科学なのである。

占星術が天文学の祖であることは常識だが、星の運行を知りそれに支配される人や国家の運命を予測する科学が占星術の本質である。

そこに存在するのはあくまでも合理的思考力に他ならない。

日本にも古代から占星術は存在している。

675年には天武天皇が占星台という施設を作ったという記録がある。

以後、占星術は密教や陰陽道とむすびつき、政策科学として日本の歴史の中で国家権力を支えてきたのである。

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星占いとは合理的な思考に基づいた予測のための科学なのです。

科学である限り、天体の動きを人間の意志で変更することはできません。

全て合理でできあがっています。

可能なのは予測だけなのです。

人間はその指示に従うほかはありません。

今月の何日はこの方向へ出向くことはやめた方がいいという結論が出たら、じっと家に引きこもっている以外に方法はないのです。

運命はかえられないといって差し支えないでしょう。

人間の運命

人は自分の運命を知りません。

当然、死期もわからないのです。

どれほど恋こがれたとしても、相手が自分を振り向いてくれるかどうかはわからないのです。

全ては予測の外にあります。

科学がどれほど発達しても、人間の運命や心の中までを支配することはできません。

そこに「おまじない」の持つ意味があるのでしょうね。

何もかえられないことを知っているからこそ、ただ祈る。

それ以外には方法がないのです。

一方で月の満ち欠けや、太陽の動きは明確に計算可能です。

今日、宇宙飛行が何度も行われ、現在も宇宙では観測が続けられています。

そこに宇宙船をドッキングさせ、乗組員を交替するなどいう技も可能になりました。

天体の動きを正確に計算できなければ、不可能なことは誰にでもよくわかります。

しかし世の中には不可能なこともまた多い。

それを知った人間にできることは祈ることだけでした。

それを悲しいとみるのか。

あるいは誇らしいと感じるのか。

感じ方は人それぞれでしょう。

日本にはたくさんの神がいるといわれています。

その姿が科学の発達した現代でも続いているのです。

おまじないを迷信だと言って切り捨てるのは簡単です。

しかし人間の心はそれほどに単純なものではありません。

今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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