【身体加工】タトゥーやピアスをする人の深層にある不安【自己確認】

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タトゥーとピアス

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は「考える身体」と題した三浦雅士の身体論を考えます。

最初のところを数行読んでみましょう。

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耳にピアスをしている若者が目につくようになって久しい。

以前は女性でさえイヤリングはしてもピアッシングまではしなかったものだが、最近はピアスをしている男性が少しも珍しくなくなってしまった。

耳だけではない。

ときには鼻や舌などにしていて一瞬たじろぐことがある。

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確かに男性でもピアスをしている人の数は増えましたね。

そういう時代なのかもしれません。

親にもらった身体に傷をつけたり、加工を施すというのはあまりいいことではないという考え方をする人も多いでしょう。

しかし、考えてみれば江戸時代、男性は月代を剃っていました。

女性もお歯黒をしていたり、まゆも剃りました。

中国では辮髪という髪型をした時代もあったのです。

纏足という、足を成長させない風習もありました。

よく考えると、人間は実に複雑な生き物ですね。

もちろん動物は自分の身体を傷つけるということはありません。

人間だけが自分の身体を傷つけるのです。

このことはあらためて確認しておく必要があるのかもしれません。

つまり文明が発達すればするほど、人間は様々な加工を自分の身体に施し始めたのです。

なぜそんなことをするのか。

これは大変に難しい問題です。

かっこいい

タトゥーについてはどう思いますか。

これもピアスと同じレベルで考えればいいのでしょうか。

あんたはタトゥーを入れる人の気持ちを理解できますか。

一言でいえば「かっこいいから」に尽きるようです。

ネイルを楽しんだり、髪型を変えたり、気に入った洋服を着るといった感覚で自分の肌へタトゥーを彫ってもらうのです。

男性の方が多いようですが、女性にも試みる人がいます。

ただし、髪型やネイルは気に入らなかったり飽きたりしたらすぐ変えることができます。

しかし、タトゥーはそう簡単にはいきません。

あとで後悔してしまったのではなんにもなりませんからね。

谷崎潤一郎には文字通り『刺青』という小説があります。

これは彼が夢見た官能の世界を描いた作品です。

美しい娘を麻酔で眠らせた主人公が、巨大な女郎蜘蛛の刺青を彫っていく話です。

麻酔から覚めた娘は魔性の女に変身するという、怖い小説ですね。

興味があったらぜひ読んでみてください。

厳密にいえば、タトゥーと刺青は違います。

針を皮膚の深いところまで入れるのが刺青で、タトゥーは針の深さがそれほどではなく、浅いところに色素を入れていくという違いがあります。

しかしここではそれよりもなぜそういう身体加工をするのかということの方が大切でしょう。

自己表現の1つだという人もいます。

自分のアイデンティティをタトゥーに託すとでもいったらいいのでしょうか。

好きな人の名前を彫って、愛情を示すということも可能です。

消さない限りは永遠に残ります。

そういう意味では有効な手段といえるかもしれません。

自己確認

評論家、三浦雅士はこう言っています。

自分が自分であることを確かめたいためにするのだと。

社会における自分の位置を明らかにしたいためでもあると言っています。

人間は自分が何であるかを常に確かめたいのです。

まさにアイデンティティーの確立です。

そのための1つの手段としてなんにでもなれることを確認したいのです。

人間は自分の身体を傷つけ、その結果を自らの心に刻みつけます。

もっと言えば人間はどんなものにでもなれるのです。

それを彼は憑依と呼びました。

憑依というとなんとなく野蛮な印象が残りますね。

しかし自分が自分であることを探り続けていくと、どうしても他人になってみなければ分からない部分というのは出てくるのだと主張しています。

自分というものはある意味、憑依のひとつの形であるいうことも言えるのです。

同時に何かになり得るということはとても不安なものです。

何にでもなれるという可能性を持っているという自分をどこかで抑えたい。

決まった場所に縛り付けたい。

その感情が身体の加工につながっているのかもしれません。

人間は生まれたままの姿が一番美しいというのが、近代のヒューマニズムです。

しかし科学があまりにも発展しすぎました。

人間は自分が何者であるのかを真実わかってはいません。

その自分が何者かになりうる存在だということをどこかで知りたいのです。

1番手っ取り早い方法がピアスであったりタトゥーなのかもしれません。

不安

現代の人間は常に不安に襲われているということも言えます。

どうすればその不安から抜け出せるのかは大変難しい問題です

自分がどこか不気味なものであるという気分。

自分がこの世のものではない生き物かもしれないという不安がどこまでもついてまわります。

ある意味ぼくたちは擬似的憑依を目指しているのかもしれないのです。

話が難しくなりました。

人間は何にでもなり得るということが、どれほど人間を複雑な生き物にしているのか。

その証拠がまさにタトゥーであったり、身体加工そのものであるのかもしれません。

人間は自分がどこへ進むのか、何ができるのかを日々考えています。

韓国では当たり前のように整形美容がなされています。

顔形を変形させ、より理想とする形に近づけようとする心理はどこからくるのでしょうか。

就職や結婚に有利だというレベルを超えて、深層心理に何かがあると考えた方がいいようにも思います。

人間は日々不安です。

自分の未来があまりにも茫漠としすぎているからです。

そう考えると、タトゥーを入れ、ピアスをして自分を別の憑依した生き物にしたいと考えても不思議はありません。

そのことで自分の持っている不気味さに、直接触れ合うことを避けようとしているのかもしれないのです。

そうだとしたら、現代の憑依はまさに不安の塊そのものです。

タトゥーを入れる人の多くは、「かっこいい」という言葉に全てを託しているようにみえます。

しかし実際は「不安」のベールを覆い隠すための装置として考えているのかもしれません。

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もちろん、無意識に行っているというところにこの問題の根深さがあるのです。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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