【日本辺境論・内田樹】この国は辺境に徹して延命の余地を探すのか

日本辺境論

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は10年前に出版された本の内容から、今の日本の現状にせまってみたいと思います。

内田樹の『 日本辺境論 』を題材にして国語表現の授業をやったことがありました。

毎回、生徒が食指を伸ばしそうな新書を紹介しながら書かせる作業を続けたのです。

その時のテーマは日本人論でした。

日本人はとにかく日本人論が好きです。

いくらでもあげることができますね。

『日本文化論』『禅と日本文化』『日本人とは何か』『代表的日本人』『日本の思想』

どれも今や古典になっています。

その中でもこの本は、あっと言う間にベストセラーになり、その年の新書大賞を獲得しました。

『下流志向』でのヒット以来、内田樹は入試問題にもたびたび登場しています。

内容の核心は日本が辺境の国だというタイトルにあらわれています。

よくいえば進取の気性とでもいうのでしょうか。

悪く言えば付和雷同型です。

つねにあちこちを見ては、その時の新しいものを取り込もうとします。

グローバルとか、世界標準などという表現があるとすぐに飛びつき、すぐに忘れる。

常に一過性の民族なのです。

自分たちから何かを発信することが苦手です。

だからたえず周囲を見渡している。

自信がないとでもいえばいいのでしょうか。

これといった形がない。

隅っこの方に座って、いつもあたりをキョロキョロと眺めている不思議な人たちなのです。

悪口ではない

一番感心したのは、日本語というか、文字の成立そのものについての記述でした。

日本語は漢字という表意文字とひらがなという表音文字を縦横に駆使しています。

今ではあらゆる概念を全て表現できるといってもいいでしょう。

フィリピンやベトナムでは、英語を使わないと複雑な哲学的概念を示すことはできません。

英語ができなければ、知的な職業にもつけないのです。

ちなみに日本ではそんなことはありません。

英語が話せなくてもほとんど不自由はないのです。

だからいくら流暢に英語を話すことが大切だと叫んでも、堪能になれないのです。

ほぼ全ての内容を日本語で表現できるほど、ものすごい言語体系を確立してしまいました。

本当に英語が必要であれば、すぐに誰でもが自分のものにしてしまうだけの素地はあります。

しかし現実にはあまり必要がありません。

それよりも小学校などにおいては基本的な日本語の能力を育成することが大切だというのです。

立教大学名誉教授の鳥飼久美子さんはそのことを強調しています。

明治に入って、あらゆる外来語は日本語に翻訳されました。

それは進んでいる国からきた考えを、遅れたこの国へ広く伝搬させるために、不可欠のことだったのです。

漢字2文字の訳語はほぼ、この時期の人々によって翻案された言葉と呼んでさしつかえありません。

日本はつねに辺境にある遅れた国なのです。

人々はそう考えています。

がんじがらめになったこの思考から未だに脱却できていないのです。

新しい思潮が大好きです。

すぐにそれを取り入れ、自分たちのものにしようとします。

しかし、自分たちが最前線に立つとなると、完全に言葉を失ってしまうのです。

決められない民族です。

だからこそ、辺境国家と呼ばれるのかもしれません。

世界への貢献

日本はあらゆる機関を通じて、かなりの経済援助をしています。

しかしその事実をPRする技術には長けていません。

自分たちはいつも特殊な場所に佇んでいると思っています。

劣等感というのとも少し違います。

まさに多くの国の隅で、静かに周囲を眺めている国家なのです。

自分たちから世界に先駆けて、何かをしていくというところまではなかなか踏み出せません。

その証拠に小説の翻訳についてみてみましょう。

日本人の感性を縦横に駆使した作家達といえば誰の名前が浮かびますか。

司馬遼太郎、藤沢周平、池波正太郎などは多くの読者を獲得しています。

しかし彼らの小説はほとんど外国語に翻訳されていません。

いくら訳出したとしても、それらを扱おうという出版社がないのです。

geralt / Pixabay

その反対が村上春樹でしょう。

ある種、無国籍的な文学とでも呼べます。

世界中の言葉に翻訳されています。

彼の小説には固有名詞があまり出てきません。

都会の片隅のファミリーレストランやコンビニは、どこの国でも共通の風景です。

だから誰が読んでもすぐ内容に没入できるのです。

しかし根っこのところにしっかりとこびりついた日本人的感性をまとった作家のものはダメです。

これらの作家たちのものは、出版社も扱おうとしません。

つまり日本人的感性を理解するのは、なかなか難しいのです。

独自の師弟関係

また日本独自の師弟関係もユニークです。

他の国に師弟関係と呼ばれるようなものがどの程度あるのでしょうか。

内田樹は武道の師範でもあります。

そこからさまざまな風景が見えたのでしよう。

確かに自虐的な本であります。

それ故にまた読まれ続けているのではないでしょうか。

なるほどそういう風に解釈すればいいのかという気づきがたくさんあります。

生徒も日本人論には興味を示しました。

世界の誰にも理解されないことに酔いしれるという不思議な側面が日本人にはあります。

自分の国は特殊であると考えたいのです。

これはいったい何を語るのでしょうか。

辺境にあることで自足していられるほど、もう世界は広くはありません。

日本人は他国との比較を通じてしか自国の目指す国家像を描けないという視点もユニークです。

したがって国家戦略も語れないのです。

rawpixel / Pixabay

もしそこを追求していくと自動的に思考停止に陥ってしまいます。

今回の衆議院選挙においても、日本維新の会が議席数を伸ばしました。

しかしこの事実からすぐに日本がある種の方向へ向きたがっているのだと早合点をすれば、大きな揺り戻しに出あう怖れがあります。

ナショナルアイデンティティと呼ばれる大きな広場に誰もが出ていけるまでの知見を持ち得ているとは言えそうもありません。

コロナ問題への初動の悪さなどは、明らかに辺境的な資質を見せました。

何も決められないだけでなく、決めたがらない。

最後は全て外圧にまかせるという姿勢が大きな曲がり角に来ていることも事実です。

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日本人論を語る時に、重要な1冊であると思います。

小論文を書くために必要な知識が多く含まれています。

一読をお勧めします。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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