PRの仕事
みなさん、こんにちは。
ブロガーのすい喬です。
元都立高校で国語教師を40年近くやりました。
それ以前はマスコミの仕事をしていたのです。
今でもよくその頃のことを思い出します。
かなりのインパクトがあったということなんでしょうね。
普段なら会えない人にも会えました。
とにかくいろいろなところへ行ったのです。
かつてPRの仕事をしている時、何度かある大学を訪れたことがあります。
よくPRと広告の違いがよくわからないという人がいます。
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厳密には確かに違うのです。
PRはパブリックリレーションと呼ばれ、直接広告をするのではありません。
さまざまな媒体にニュースとなるような情報を流し、そこから商品の販促をしていくという間接形式なのです。
その頃、マスコミ用のニュースリリースを書いていました。
たまたま仕事の一環で、大学のスクーリング始業式を取材したのです。
通信教育で教員の免許をとろうという学生のために、大学は授業を公開します。
その夏は創立者である学長が高齢にもかかわらず授業をするということでした。
スクーリング風景を覗かせてもらうことになったのです。
ニュースリリースの内容がよければ、どこかの新聞社に取り上げてもらえる可能性もあります。
それが結果的に大学の名前をより広める効果をもつワケです。
PRは直接広告を打つというのに比べれば少し遠回りではあります。
しかし大学の持つ特性上、ダイレクトに宣伝するだけが得策ではありません。
むしろ長い目で、その持つ役割と特性を知ってもらうことが大切なのです。
暑い1日
その日は朝からとても暑かったのを覚えています。
多くの受講生が汗を拭きながら、大講堂で学長が登場するのを待っていました。
そこに集まっていたのは、どうしても教員免許をとりたくて、しかし様々な事情のためそれがかなわなかった人々ばかりでした。
今でこそ、教職はブラック労働などと揶揄される側面を持っています。
事実、大変な仕事であることに間違いはありません。
以前よりも周囲の眼が厳しいことも事実です。
それでも教員免許を取りたいという人はかなりいます。
あるいは足りなかった教職科目だけを追加すれば、なんとかなるという人も多いのです。
普段は送られてくる課題を家で学び、それをまたレポートにして送り返す形で勉強するのです。
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他に仕事を持ちながら、学業を続けるのは並々のことではないに違いありません。
なんとかやりくりをして、夏に開かれるスクーリングに参加した人達です。
今ならばオンライン授業という形式も可能でしょう。
ある意味、いい時代になりました。
遠隔の地から同じ質の授業を受けられるというのは、実にありがたいことです。
しかし人間には独得の気配、空気感というものがあります。
これだけはやはりその場にいないとわかりません。
どれほどの熱気がその会場に溢れていたのかということは、まさにその場にいた人にしかわからないのです。
臨場感を大切にするエンタメなどもまさにそうですね。
芝居やミュージカルをテレビでみてもあまり面白くはありません。
学長登場
学長が姿をみせた時のことです。
その講堂にいた人たちははじかれたようにして一斉に立ち上がり、拍手をしました。
心のこもった長い拍手でした。
頼まれてしているのでないことは誰の目にも明らかでした。
学長は何人もの人に見守られるようにして車椅子から降り、壇上におかれたオレンジ色の深々とした応接椅子に座ったのです。
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写真などでよく見かけていたのよりも少し痩せた白髪の人でした。
その拍手がやっと終わった頃、学長はいきなりマイクを握り、「諸君、ペスタロッチを学びなさい」と叫びました。
その声にははりがあり、とてもその後すぐに亡くなってしまうなどとは思えない力強さがこもっていました。
一代であれだけの学校を作り上げるには、勿論カリスマ性も必要だったでしょう。
しかしそれを超える真の力がより要求されたと思います。
幸い、その時の様子はある新聞社が大きく取り上げてくれました。
仕事は予想通りうまく運んだのです。
あの時、あの講堂に集まっていた人たちの心の中には、まだ学長の勇姿が刻まれているのではないでしょうか。
人を教えるということは厳粛なことだと感じました。
あの頃から自分も教職に就きたいと考え始めたのです。
通信教育
放送大学をご存知ですか。
放送とスクーリングを受講することで大学卒業資格が取れるシステムです。
その中に「大学の窓」という広報番組があります。
勉強をしている人の横顔などを紹介するコーナーがあるのです。
みなさん、本当に立派な方ばかりで頭が下がります。
先生方も、勉強したい人だけが集まっているので、スクーリングなどやりがいがあると言います。
近年、放送大学院もできました。
卒業式などの様子を見ていると、心から感心することばかりです。
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勉強というのは一生をかけてするものだとしみじみ思います。
学ぶ気になりさえすれば、道はいくらでも開かれているのです。
ぼくもかつて、教員の免許が欲しくて1年半ほど通信教育をしたことがあります。
最後に教育実習が2週間あり、会社に休暇願いを出したところ許可がおりませんでした。
それがきっかけで結局辞表を出すことになってしまいました。
26才でした。
会社を辞めた翌日から、ある大学の付属高校へ2週間通いました。
もちろん、最年長の教師の卵です。
しかし大変楽しい日々でした。
生徒は思いの他、よく話を聞いてくれました。
教材は辻邦生の言葉についての評論です。
ぼくは元々彼のファンで『夏の砦』『回廊にて』『背教者ユリアヌス』『パリ日記』などを読んでいました。
だからすぐに授業ができたのだろうと思います。
特に『パリ日記』は全部で6巻ほどあり、好きな本でした。
タイトルがそれぞれ『海そして変容』『城そして象徴』などというものです。
これは彼が長い留学の旅の途中、船の上で考えたことなどを、つぶさにまとめたものでした。
森有正著『遙かなるノートルダム』の後に多分読んだのだと思います。
あの頃はフランス人の持つ思考の明晰さに憧れていました。
最後にもう一度だけ。
あの夏の日の老学長の姿は、やはり教育者のものだったと今でも感じます。
人を教えるには崇高な精神が必要だということも実感しました。
今、考えてもあの1日は大きな意味を持っていたのです。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。