戯曲の魅力
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回はぼくにとって忘れられない芝居、「ガラスの動物園」を紹介させてください。
タイトルを聞いたことがありますか。
同じ芝居を何度も見るということは、そう滅多にあるものではありません。
ぼくにとってそうした作品の一つが「ガラスの動物園」なのです。
これはアメリカの劇作家、テネシー・ウィリアムズによって書かれた戦後のアメリカを代表する戯曲です。
彼は南部ミシシッピ州に生まれ,ハリウッドでシナリオを書きながら、この傑作を完成させました。
ぼくはこの芝居を3度、全く違う劇団の演出で見ています。
最初は新人会による長山藍子主演作品。
もう1つはミルウォーキー・リージョナル・シアター(地域劇団)でした。
当然全ての台詞が英語でしたが、演出もすばらしく見入ってしまいました。
3度目はシアター・コクーンで上演されたものです。
日本の代表的な劇団民芸などもよく取り上げています。
今はコロナ禍で劇団の運営が本当に厳しいようです。
つい数日前の新聞にも文学座の窮状が掲載されていました。
最後は信濃町のアトリエを売って借金をなくし、解散かなどと半ば冗談のように関係者が呟いているコメントがありました。
地方に分散している演劇鑑賞団体も高齢化が進んでいます。
ぼくも以前、そうした団体に出入りしていたことがあります。
そのおかげで、本当にたくさんの芝居を見ることができたのです。
その中でも強く記憶に残っているのがこの「ガラスの動物園」です。
追憶劇
これは南部育ちで昔の夢を追う母、足が悪く極度に内気な姉、文学青年の弟の一家を描いた抒情的な追憶劇です。
ことに足の悪い姉のために弟が自分の友人を夕食に誘う場面が全体を形作っています。
なんとかして姉を外の世界に連れ出したいと願う母親は、苦しい生活の中で精一杯のご馳走をつくります。
そして楽しい晩餐の時が訪れるのです。
しかし友人には既に結婚を決めている女性がいました。
そのことがはじめて明かされる場面には当然重苦しい雰囲気が漂います。
しかし姉はつとめて気丈に振る舞います。
母を悲しませることはできませんでした。
弟はとうとう母と姉を捨て、作家になるべく家を出る決心をします。
息苦しい毎日の生活に嫌気がさしたのでした。
このあたりの時間の流れはいかにも重苦しく、その背後にたえず流れるジャズのメロディとあわせて、暗く単調な都会の生活を想像させます。
足が悪く、外に出ることもない姉は大変に難しい役です。
いつもひとりぼっちで心の中に大きな空洞を持っています。
それを埋めてくれるのが、彼女の唯一の友達、ガラス細工の動物たちでした。
最後に独り言を呟きながら、この小さな動物と語り合うシーンは圧巻です。
それまでの屈折した感情がここで見事に吐露されるのです。
照明が背後からガラスの動物たちを照らします。
そのきらきらと光る様子は、物語があまりにも哀しいだけに、本当に美しく救いに満ちたものに見えます。
きっとこの最後のシーンのために作者は戯曲を書いたに違いありません。
ここではじめて観客は心が癒されます。
彼女がそれまで苦しんできた生活が少しでも安らかなものになるのを、誰もが祈らずにはいられないのです。
何度見てもこのシーンは本当にきれいです。
彼女の心の中の風景に重なるのです。
欲望という名の電車
テネシー・ウィリアムズにはこの作品の他に「欲望という名の電車」があります。
アーサー・ミラーの「セールスマンの死」とともに、戦後アメリカ演劇を代表する傑作とされたものです。
没落した南部の農園出身のブランチが、ニューオリンズに住む妹を頼ってきます。
しかし粗野な妹の夫スタンリーに過去の秘密を暴露されたうえ、レイプされて精神に異常をきたすという悲劇です。
ブランチの退廃していく美を描きながら、その分裂した心理をえぐりだし、強烈な南部のにおいを舞台に色濃く漂わせました。
文学座の故杉村春子のブランチ役はあまりにも有名でした。
北村和夫のスタンリーととともに記憶に強く残っています。
2つの作品ともハリウッドの映画などにはない、ある意味で哲学的な暗さをもった名作です。
戦後のアメリカがどういう場所から始まったのかを知るために、機会があったら是非見て欲しい作品だと思います。
少年時代
「ガラスの動物園」は作者の少年時代の体験が色濃く滲んだ戯曲だと言われています。
5才の時に罹ったジフテリアが元で後遺症が1年も続いたそうです。
その間に足が不自由になり、トムは内気で孤独な青年になっていきました。
その心の中の葛藤がローラという姉の描写に反映しているものと思われます。
貧乏な暮らしが続きます。
彼の表現を借りれば、「蜜蜂の巣箱」のようなアパートが密集していた場所が彼の住まいでした。
非常階段ばかりが風景の中心です。
これは大道具のセットのイメージそのものですね。
父親は酒ばかりを飲み、母親といつも喧嘩をしていました。
トムは20才の時にミズーリ大学を中途退学し、父親に言われた靴会社に勤めます。
しかし月給はわずかなものでした。
「地獄の季節」と彼は自分の若い頃を名付けています。
まさにランボーの詩集のタイトルそのものです。
自分の気持ちを吐き出すところはタイプライターしかありませんでした。
小説や戯曲を書いては、辛さを癒すしかなかったのです。
姉はやがて被害妄想をおこし、廃人同様となります。
脳葉の切除手術を受けたのです。
彼女の一生をかえてしまう瞬間にいなかった自分にトムは苦しみます。
姉への罪の意識でした。
なんとかしなければ、何か贖罪をしたい。
その数年後に『ガラスの動物園』が生まれたのです。
苦しい現実から救われたいという呻きが全編を覆っています。
それがセントルイスの非常階段の構図です。
蜜蜂の巣箱の中にも人の生活が宿っていると事実をテネシー・ウィリアムズは書きたかったのです。
むしろ叫びたかったのでしょう。
観客の心を鷲掴みにしました。
初演が1944年。
それ以来、世界中で上演され続けています。
抒情性のある本当に美しい芝居です。
いつか機会があったら、是非ご覧ください。
この芝居の持っている哀しみは特殊なものではありません。
ジャズの流れる舞台には永遠の感情が溢れています。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。