梅原猛の授業
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は数年前に亡くなった哲学者、梅原猛の思想を追いかけます。
あまりにも膨大な仕事をしたので、全貌をここに示すなどということはできません。
彼はたくさんの本を書きました。
なかには歌舞伎の台本まで入っています。
スーパー歌舞伎をご存知でしょうか。
市川猿之助のために書いた『ヤマトタケル』などはことに有名です。
ぼくが最初に読んだのは『隠された十字架 法隆寺論』でした。
聖徳太子やその一族の悲劇と、藤原家の役割を今までの定説とは全く違う方向から切り取った力作です。
西洋哲学と東洋哲学の接点を探った人という形容が1番正しいのではないでしょうか。
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仏教を中心にして日本人の精神性を研究するというのが一生のテーマでした。
彼はあちこちの中学校を訪ね歩き、そこで授業もしました。
その様子を採録した本がとても興味深いのです。
相手が中学生ですから難しいことを言っても理解できません。
難しいことをやさしく、そして深く伝えることを念頭において授業をした時の様子が生き生きとしています。
この本を読んでいると、目の前に梅原猛本人がいるという懐かしさを覚えます。
西洋哲学者が多い日本の哲学界の中で、彼は異色の存在です。
今回紹介するのは『梅原猛の授業』シリーズ(朝日新聞社)です
『梅原猛の授業――仏教』(朝日新聞社、2002年)のち文庫化
『梅原猛の授業――道徳』(朝日新聞社、2003年)のち文庫化
『梅原猛の授業――仏になろう』(朝日新聞社、2006年)のち文庫化
『梅原猛の授業――能を観る』(朝日新聞社、2012年)のち文庫化
この4冊はどれを読んでもわかりやすく、しかも内容の深い本です。
採録の楽しさ
この本の面白さは中学校での授業の内容をそのままの語り口調で採録したという点にあります。
しかしだから内容が特別にやさしいということではありません。
むしろどうわかりやすく生徒に話すかというところに、1番神経をつかったように見受けられます。
彼が大学で講義をしていた時最も強く感じたのは、今の大学生に知的好奇心が非常に少ないということだったそうです。
その原因の1つに暗記中心の科目が多いこともあります。
道徳教育がなくなったことにも大きな危機感をもっていました。
いつの頃からか、どうしても小学校や中学校で授業をしてみたいと思うようになったそうです。
熱意を抱かせた原因は文明の基礎にある宗教について語る人がめっきり少なくなったという思いからによるものです。
彼は空海がつくったといわれる綜藝種智院のあとに建てられた、洛南高校付属中学で授業を試みます。
ここで梅原猛はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に触れました。
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今日人類がどこへ向かっていこうとするのかを考えるための手引きにしたのです。
現代の精神はまさに登場人物の次男イワンが言ったようだというのが彼の考えです。
つまり「神がなかったら、道徳はない。道徳がなかったら人間は何をしてもいい」という論点です。
誰もがそこへ至ろうとしているかのようだと述べます。
現実は確かにイワンの言った方向に進んでいるのかもしれません。
3男アリョーシャがもってうまれたような心のやさしい宗教的な方向へ誰もが向かっているとは思えません。
ドストエフスキーは最後にアリョーシャを中心に据えて、この作品を書き終えたかったのでしょう。
しかしそれが書けなかったところに、ある意味で近代の悲劇があるようにも思えると梅原は述べています。
西洋と東洋の衝突
宗教を失ってからの人間について彼は次のように述べています。
少しだけ要約しておきましょう。
宗教を失ってから時代は既に長い世紀を経ています。
神のいない神学の時代が、いつまで続くのか誰にも予測はつきません。
文明を支えてきたものは宗教でした。
彼はアメリカの国際政治学者ハンチントンの名をあげています。
必ず近い将来西洋の文明とアラブの文明、あるいは西洋の文明と東洋の文明の衝突が起こるだろうという予測を支持しているのです。
キリスト教の元に生きてきたヨーロッパは未だにイエスの再臨を待っています。
ロシア正教に代表されるロシアはマルクス主義の退潮により、どこへ向かおうとするのか。
残念ながらまだ道筋を見いだしていません。
アラブの宗教は強烈な一神教であるためにバーミヤン遺跡の破壊という行為までおこしてしまいました。
あるいは2001年9月11日のテロは、まさにアラブの文明と西洋文明との対立と見て取ることができるに違いありません。
インドで生まれたにも関わらず、カースト制の中では発展することができなかった仏教が今、日本にはあります。
仏教はアフリカのアニミズム的要素をもった日本の古い宗教や神道とうまく融合しました。
生きとし生けるものが共存していくという、東洋的思想の落とし子なのです。
小麦を主体にした草原を根本におく西洋的農業では、雨をそれほどに必要としません。
しかし日本の米を中心とした農業形態には雨が必須です。
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つまりそこに人間の限界を知る自然への崇拝も生まれてくるのです。
人間中心主義の西欧思想に比べて、なぜ東洋の特に日本の思想が共生的であるのかという理由の一つが、ここにあります。
「殺生」とは人が人を殺すということではありません。
あらゆる命を奪ってはならないという思想です。
ここがキリスト教とは全く違うところです。
今のままでいったら文明はあと500年で滅びるだろうと彼は言います。
原水爆、環境破壊、遺伝子操作などは1神教的な西欧中心の科学から生み出されたものです。
どのように人間は生きていけばいいのか。
若い人に未来を託す以外に方法はありません。
彼の基本的な考え方は以上の通りです。
ここまで読んで皆さんはどのように感じますか。
共生社会
21世紀は人間の自然支配ではなく、生けるものとの共存というところに大きな意義を見いださなくてはいけないというのが梅原武の思想です。
この本は日本に生まれた多くの仏教者を紹介しながら、時に中学生とのディベートなども含んだ大変示唆に富む本です。
ここから入っていけば、広い場所へ出られるものと確信します。
今日の世界はコロナ禍のさなかにあります。
自分の国の安全を守るのに精いっぱいなのが現状です。
インドの様子をみているとこれが今の時代なのかと寒気さえ覚えます。
公園で火葬をしている風景をドローンで捉え、世界に配信する。
それがまさに現代なのです。
いけるものとの共生を声高に叫ぶとしても、どこから始めたらいいのかもよくわかりません。
国連が策定しているSDGsの目標も2030年の達成はとうに無理だと言われています。
さらに次の世紀まで持ち越されたという意見もあるほどです。
梅原猛が望んだ共生の思想をどのように実現していけばいいのか。
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大変に難しいテーマですね。
東洋の思想に可能性があるとするなら、それに賭けてみなくてはなりません。
利己でなく、まさに利他の思想でしょう。
人間の限界を知っているからこそ、自然に対する考え方もでてくるのです。
庭園の構成1つを見ても西洋と東洋では全く違います。
石と木で作られた建造物の違いもあります。
全てに差がある文化の違いをどう融合し、折り合いをつけていけばいいのか。
難問ばかりです。
是非、この機会に哲学者、梅原猛の思想に触れてみてください。
ご紹介した本はどれも読みやすく、お勧めできます。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。