独学のすすめ
みなさん、こんにちは。
ブロガーのすい喬です。
今回は独学について考えてみます。
勉強は最後は1人でするものです。
もちろん仲間は必要です。
しかし最終的な詰めは独力でやらなければいけません。
ブログを書くのもそうです。
研究論文も同じこと。
ただ新しいことを仕入れているだけでは、結局ものにはなりません。
人に教えるのも有効な方法です。
そしてもう1つはひたすら書くこと。
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つまり外に向かって、自分を投げ出すことです。
アウトプットをしていくことで知識が確実なものになります。
文章を書くのがものすごく早くなります。
頭の中で文を構成することが確実なものになっていくのです。
段取り力が増すのです。
全体像が誰よりも早く手に入れられます。
もちろん知識を増やすことを否定しているワケではありません。
とても大切なことです。
しかしそれだけをしていても内容が深まることはありません。
鳥観図を手にすることもできないのです。
情報を外に出していくことにより整理整頓され、今まで曖昧だった内容が見違えるほどうまく組み立てられるようになるのです。
最初は他人の文章を真似するところから始めてもかまわないでしょう。
しかし同じような作業を繰り返しているうちに、内容は鮮度を増し、新しい視点を次々とそこへ組み入れられるようになります。
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大切なのは継続です。
その間には既存の価値観を疑うこともあるでしょう。
当然、知識の確認作業も可能です。
しかし場数を踏むことで、あっという間にわかりやすい文が書けるようになります。
長いセンテンスを次第に遠ざけるようになっていくのです。
これが自然な流れです。
アウトプット
文章を集中的に書いていると、いろいろな発見があります。
自分はこんなことを考えていたのかという驚きもあります。
文をまとめるということは悪い気分のものではありません。
書き終わったあとには、ある種の高揚感が残ります。
なかなか通常では味わえない貴重な感覚です。
日々の出来事から何かを学ぼうという意識も芽生えます。
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テレビで繰り広げられるコメントにも強い疑いを持つようになります。
さらに新聞や雑誌に対しても、鋭い切り口を持つことができます。
与えられた問題をただ解いているだけではもうダメです。
自分で課題を探す。
むしろ問題を創り出すのです。
さらにそれを独自の視点で解析し、方法論を探る。
その繰り返しが論理性を養います。
もちろん口で言うほどに簡単なことではありません。
そのための努力が大切です。
既存の知識を疑うことから始めなければなりません。
どうしたらそれが可能なのか。
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そこに学びの原点があります。
いろいろな立場から論じられたテーマを自分の中で咀嚼するのです。
そして次にアウトプットする。
その繰り返しが力を養います。
そのための勉強ツールはいくらでもあります。
もちろん読書をすることが1番の基本であることはいうまでもありません。
読書は最大の刺激
本を読むというのは得難い経験です。
多く読んだ人間とそうでない人間との間には大変な差があります。
刺激の大きさという意味では、他のメディアとは比べものになりません。
知らないうちに使う言葉が変化していきます。
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今までの考え方とは全く違う切り口が構築されます。
それも自然にです。
最初は受け売りのようなことを広言するかもしれません。
しかしやがて変化します。
なぜか。
視野が広がるからです。
それを最初から期待するのは難しいでしょう。
どうしたらいいのか。
時間をかけることです。
継続です。
そうしているうちに、既存の知識を疑うようになります。
そこにしか新しい糸口はないと思われるからです。
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そんなことが簡単にできるワケはないよ。
声があちこちから聞こえます。
その通りです。
簡単ではありません。
しかしやる価値はあります。
今までよりも断然くっきりと輪郭が見えます。
入門書を読むのもいいでしょう。
しばらくすると、より原典にあたりたくなります。
書きたいこと、学びたいこと
あなたがブログを書くとしましょう。
ニッチなテーマを探せればそれはそれですばらしいです。
しかしそんなに珍しく狭いところを狙わなくても大丈夫です。
掛け算の考え方をしましょう。
ぼくの場合でいえば、このサイトに2つのパーソナリティを注ぎ込んでいます。
1つはアマチュア落語家です。
もう1つは元高校国語科教師です。
片方が妙に柔らかく、片方が少しかたいでしょうか。
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その両方を掛け合わせると、何が生まれるでしょう。
そこに新しい横顔が出てくるような気がします。
国語の先生で落語をやる人は結構います。
というかあらゆる教科の中では1番多いかもしれません。
だとしたら意表をついて英語落語もいいでしょう。
あるいは数学好きな国語科のアマチュア落語家というのはどうですか。
落語の中にちょっとした数学の話を入れられたら、それは滅多にないパターンになるかもしれません。
統計や確率の話を入れながら落語をする噺家などというのがいてもいいですからね。
さしずめ「壺算」というとびきり複雑な落語の解説に向いているかもしれません。
それを面白がって読んでくれる人がいたらそれはすばらしいことです。
しかしそこまでニッチでなくてもかまいません。
もちろん趣味が高じて仕事になったのなら、それを前面に出せばいいのです。
とにかく外へ向けて発信しましょう。
独学の醍醐味がここにあります。
自分が学びたいことを調べて書いていけばいいのです。
そこから新しい出会いが生まれます。
10年やれば、その世界ではかなり前の方を歩いている人間になれます。
専門家というのは、それほど多くはありません。
犬好き、魚好き、爬虫類好き。
あるいは片付け名人、料理大好き人間。
アジアンフードならまかせておけというのも大いにありですね。
なんでもいいのです。
その世界でちょっと名前が知られれば、それだけで生きていけます。
アウトプットを続けて確実なものにしましょう。
シュアな知識と高揚感がさらにレベルアップしてあなた自身のものになりますよ。
独学の楽しみも増していくじゃありませんか。
最後までお読みいただきありがとうございました。