何の噺がうけるのか
みなさん、こんにちは。
アマチュア落語家、すい喬です。
今日はちょっと笑えるいいお話をしますね。
今までいろいろと落語を喋らせてもらいました。
その中で何の噺が一番受けたのか。
これはとっても難しい質問です。
自分でも今日はいいなと思ってやっても、それほどでもない時もあります。
その逆に少し気を抜いてのんびりやった方が、よかったという時もあったりして…。
という言葉があります。
TPOにあわせて、うまくハマった時が、一番出來のいいタイミングなのかもしれません。
アマチュアの落語家はそれほど多く高座にあがれるワケではありません。
年に10回か20回。
そんなもんです。
長い噺もやります。
人情噺も滑稽噺もなんでもやります。
一番よく笑ってくれる落語は何かと聞かれると、やっぱり悩みますね。
この10年で稽古した噺の数は100以上あります。
しかし実際すぐ高座にかけてみろといわれたら、10か20でしょうか。
10日間ぐらい猶予をいただければ、もう少しなんとかしますけど。
やっぱりいつも高座にかけていないと、細かいところを忘れてしまうのです。
そりゃそうだ。
人間ですからね。
ましてやアマチュアです。
どこかに甘えもあるでしょう。
プロのように生活を背負っているということでもない。
そのあたりが限界でしょうかね。
紙入れが好き
今まで、この噺ならはずさないと思ってやっている噺の中に「紙入れ」があります。
ごれは御存知、間男噺です。
戦争中は禁演落語でした。
今まで何度やりましたかね。
必ず笑いがとれます。
それはぼくがこの噺を好きだからなんです。
なんとなくいつでもやれるという安心感が噺の間にでるんでしょうね。
よくやる落語家は落語協会では古今亭菊之丞、芸術協会では三遊亭茶楽あたりでしょうか。
茶楽師はよほどこの噺が好きとみえて、かなりの頻度で高座にかけてます。
この噺には色気がいります。
いやらしい色気というんじゃなくて、匂いですかね。
間男噺の雰囲気ということです。
先代の文治師は紙入れみたいな噺は絶対演るんじゃないよと言っていたそうです。
ほとんど師匠文治の口癖だったと現在の文治が語っています。
寄席のお客さんは噺を聴いて笑いに来てるんだから、決して嫌な思いをさせてはいけないというの
が自論だったそうです。
確かに女性はどうもこの噺に出てくる女房があまり好きじゃないみたいです。
男性はむしろ歓迎気味なのかな。
紙入れのあらすじ
小間物屋で働く若い新吉。
得意先の奥方から今夜は旦那が帰らないから遊びに来てくれと手紙をもらいます。
新吉は酒を勧められ、今日は泊っていっていいんでしょと熱烈なラブコールを受けます。
新吉は最初断わるものの、結局は女将さんのいいなりに…。
悪酔した新吉は隣の間に敷いてある布団に入ります。
あちこちを片づけて、いよいよ女将さんがお床入りというちょうどその時。
帰らぬはずの旦那が帰って来ます。
新吉は慌てて裏口から逃げるのです。
その途中、忘れ物はないかとチェックすると、紙入れを忘れてきたことに気づくのです。
旦那にもらった紙入れです。
中には奥方からもらった手紙が入っているのです。
翌朝、恐る恐ると旦那の家に行くと、旦那が長火鉢の前で煙草をふかしています。
新吉の顔色が悪いのであれこれと事情を聞きます。
すると女性問題でどうにもならなくなっているという話をききつけます。
なんとか話をつけてやろうかというところまでいきますが、これがなんと間抜けなことに自分の奥方との話なのです。
「主ある花」には手をつけるなよと忠告し、「人の女房と枯れ木の枝は登りつめたら命がけ」と説教までする始末。
この亭主、完全な三枚目ですね。
でもすごくかわいい。
実はここいらが一番笑いの多いところです。
みんな自分がわからないの典型的なパターンでしょうか。
新吉も手紙の入ったままの紙入れを忘れた話をします。
そこの旦那に見つかったでしょうかとおそるおそる旦那の顔を覗き込みます。
そみへ現れたのが女将さん。
というのがオチです。
この噺は好きですね。
何度やっても飽きません。
ここまで人のいい間抜けな旦那なんていないでしょうけどね。
昔から間男は亭主の方が先に惚れといいます。
まさに典型的な噺ですね。
志ん生の風呂敷
これと対照的な奥さんの出てくる噺が風呂敷です。
ぼくはこの噺を持っていません。
いつか稽古してみたい噺のひとつではありますけどね。
あんまりはっきりとした口跡で語っても面白くありません。
飲んべえの亭主を演ずるのが、なかなかに難しいです。
絶品は、なんといっても古今亭志ん生の「風呂敷」でしょう。
酒飲みの亭主の愛らしさが出ないと、色合いが単調になります。
この人の「風呂敷」を超えるのはないですね。
志ん生はなんとも茫洋とした噺家です。
いかにも酒飲みの間抜けな、人のいい亭主を演じると最高です。
おかみさんも「紙入れ」ほど根が悪くはありません。
若い男をちょっと茶飲みの相手にしたところには少しスキがあるものの、亭主一途に暮らしてきた様子に嘘はないのです。
こっちのおかみさんはむしろどうして焼き餅焼きの亭主を扱うかについて苦心しています。
長屋で兄さんと呼ばれている面倒見のいい男のところへ大変だと言って駆け込みます。
仲間の寄合で今夜は遅くなるとでかけた亭主が、早く帰って来たというのです。
話を聞くと、旦那を送り出したおかみさんは、ちょうど通りかかった新さんが来たので、ちょっと呼び入れて、お茶を飲んでいたのです。
若い男はみんな新さんというのが相場みたいで、おかしいですね。
そこへ遅くなるはずの亭主が酔って帰って来る
留守に若い男を家に入れたところを見られたら大騒動になると、おかみさんはとっさに新さんを後ろの押し入れに隠します。
亭主を寝かしつけてから新さんを逃がそうと思っていると、押し入れの前にあぐらをかいて座り込んで酒を飲み始め、なかなか寝ようとはしません。
そこで一計を案じたおかみさんが、兄さんに相談するというわけです。
ここからが面白い場面です。
兄さんは今、長屋の揉め事を一件片づけて来たといい、面白いから話してやると言って、風呂敷を取り出し話し始めます。
「だからなこうやって風呂敷を頭からかぶせ」
「ほら見えないだろう」
と風呂敷で亭主の頭を隠します。
さらに念押しして、押し入れを開けるのです。
「男が逃げたのを見て、亭主の頭からこう風呂敷を取ったというばかな話だよ」
兄さんは亭主の頭から風呂敷を取るのです。
というのがオチです。
つまり自分のことなのに、他人の話として聞いてしまう間抜けな亭主というパターン。
噺の構造は「紙入れ」と全く同じです。
どちらも自分の話なのに、他人事として暢気に聞くところが、実にばかばかしくて愉快です。
紙入れはやっていても楽しいです。
どうして自分のことだって気づかないんだよというお客さんの視線を感じながら、それをあっちこっちに引っ張り回す楽しみがあります。
落語に出てくる人物はしっかりしているようでいて、どこか抜けている。
自分のことなのに、少しも気づかず忠告までしてしまうのです。
そういうキャラクターがぼくは大好きです。
大丈夫、これでも生きていけますよという人生の応援歌をもらっているような、楽しい気分になれます。
間男噺といったって、落語はせいぜいこんなもの。
だからかわいくて、愛おしいじゃありませんか。
いかがでしたか。
一度、寄席で聞いてみたらどうでしょう。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。