怪談噺の魅力
みなさん、こんにちは。
アマチュア落語家、春乃家すい喬です。
季節も進み、いよいよ夏に近づいてきました。
となると、どうしても怪談噺を聞きたくなる時期が到来したということになります。
どうしてですかね。
暑いのを少しでも涼しくしてくれる装置。
ただエアコンがついていればいいというもんじゃありません。
ぼくも長い間、高校の教師をしていましたので、よく夏の合宿に生徒をつれていきました。
沢などがあるところでは蛍狩りも随分と喜ばれました。
しかしなんといっても生徒は肝試しや怖い話を好むのです。
近くにお寺などがあると、その境内をちょっと拝借したりして肝試しをやりました。
また文化祭などでも、お化け屋敷が必ず出ます。
生徒は汗だくになって頑張りますが、なんといってもあの女性の悲鳴くらいこわいものはありません。
聞いているだけで、お化けの方が怖くなってきます。
昔からたくさんの怪談噺が演じられてきました。
しかしなんといってもその中心にいるのは三遊亭圓朝でしょう。
この名人がいなかったら、今日のようにたくさんのすぐれた怪談噺が語られることはなかったと思います。
圓朝の話は別の記事になっています。
どうぞこちらをお読みください。
圓朝という噺家
圓朝以前にあった怖い話などというのは、あまり底が深くはありません。
よく聴いているとつまらないのが多いのです。
そこへいくと、この圓朝という人は話をこしらえる名人でした。
とにかくたくさんの作品があります。
圓朝はその場でお題を3ついただき、即席で噺をこしらえるという荒技をやってみせました。
その上さらに怖い話ということになりますと、「怪談牡丹灯籠」「怪談乳房榎」、さらには「真景累ヶ淵」があげられます。
試みに「怪談乳房榎」を聞くと、六代目三遊亭圓生のもので約2時間かかります。
それでも後半はカットしていますので、実際に全部やると3時間を軽く超えます。
ストーリーは自分で読んでいただくことにしたいですが、あらすじはこんな感じです。
江戸の絵師、菱川重信は元武士。
妻おきせと真与太郎という赤ん坊と暮らしておりました。
そこに弟子入りしたのが悪漢、磯貝浪江。一見、良く気がつき手先も器用で評判は良いのですが、実はしたたかな男です。
ある時、重信は寺の天井画を依頼され、じいやの正介を伴い泊り込みで描くことになります。
その留守中、浪江は以前から好きだった菱川重信の妻、おきせにせまり、息子を殺すと脅して想いを遂げます。
ここの描写は実に迫真のもので、圓生の話は実に怖い。
わざと胃けいれんを装って女二人が暮らす家に一泊させてもらい、その夜に事件が起きるのです。
しかしそこが男と女の道の不思議さ。
二人の関係が深くなっていくうち、おきせは浪江に好意をいだくようになります。
このあたりの心理の襞は、不思議なリアリティにつつまれています。
しかし、重信が戻ってくれば、二人の仲は当然のように終わらざるを得ないのです。
そこで浪江は重信が「戻ってこない」算段を考えます。
それは何か。
つまり夫である師匠、菱川重信を殺してしまうということです。
浪江は暑いさなか、重信のいる寺へ陣中見舞いと称して訪ねて行きます。
天井画の雌龍、雄龍はあと雌龍の片腕を描き上げれば完成というところでした。
浪江はじいやの正介を連れだして酒を飲ませ、金を与えて篭絡し、重信殺しを手伝えと脅迫するのです。
寺に戻った正介は有名な落合の蛍見物に重信を誘いだし、大きな蛍が飛び交う中、飲めない重信に酒を飲ませ、上機嫌での帰り路、浪江は重信を襲い、その命を奪います。
じいやの正介があわてて、大変だと寺へ駆け込むと、殺したはずの重信が最後の雌龍を書き終え、落款を押しているところです。
ところがそこで急に部屋の灯りが消え、その落款には血の痕がべったりとはりついていたのでした。
この後、残されたおきせは磯貝浪江と再婚をしますが、因果はめぐりにめぐるのです。
やがて、おきせは浪江の子を産んだものの、乳が出ず、死なせてしまうことになります。
その頃からおきせは、重信の亡霊のたたりで乳房にはれ物が出来て苦しむようになり、ついには狂い死をするのです。
浪江は、正介と殺したはずの子供、真与太郎が生きていることを知り、亡き者にしようと松月院に現れますが。さてその後は…
この後のストーリーを知りたい方はどうぞ本を読んでください。
ちなみにこの乳房榎というのは板橋区赤塚にある古刹松月院に古くから伝わる樹だとか。
それからヒントを得て、名人圓朝がつくった話なのです。
あんまり最後まで聴くと、夜中に思い出して目が覚めちゃいますね。
実はぼくもこの噺をやります。
後半まではできませんので、殺したはずの重信が最後の雌龍を書き終わるところまでです。
それでも1時間近くかかります。
youtubeには柳家三三と三遊亭萬窓のものがあります。
一度聞いてみてください。
この噺はさいごに敵討ちでストーリーが終わります。
しかし現代では敵討ちのシーンを取り払って演じられることが多いようです。
特に磯貝浪江がおきせをくどくシーン。
俗に「おきせくどき」と呼んでいます。
この場面と磯貝が師匠重信を暗殺する場面は出色です。
固有名詞が多く出てくるのでおぼえるのは大変ですが、話していても人間性のもつ残忍なリアリティが怖くなります。
怪談牡丹灯籠
また敵討ちを含んだ怪談噺として有名なのが「怪談牡丹灯籠」です。
円朝の怪談話は今日かなりの部分が出版されています。
原作が読みにくいという人は六代目三遊亭圓生の怪談に一通り目を通せばその流れがよくわかります。
有名な「真景累ヶ淵」よりも「怪談牡丹灯籠」の方が、内容的には面白いです。
桂歌丸も後年苦心して彼の怪談噺を練り上げました。圓生のものと比べてみるとその違いがみえて、面白いと思います。
とくに伴蔵とおみねが萩原新三郞のところへやってくる幽霊のために、お札をはがし海音如来を盗
み出す、いわゆる「お札はがし」の一節が好まれています。
またその後、栗橋宿へ逃げ、大きな雑貨屋を営む伴蔵に心の隙が生まれ、やがておみねを殺す場面
も怖ろしいほどのリアリティに満ちています。
おみねが一度伴蔵を許し、心の隙が出た直後に殺されてしまうシーンは、とてもつくりものとは思
えない怖ろしさを孕んでいます。
後半は再び、忠義の家来による仇討ちとなり、これは現代にはなかなか難しいところです。
明治時代ならば大いに喜ばれたでしょうか、今日では演じられることも滅多にありません。
それでも読んでいると、なんとか仇を討たせてやりたいという気持ちになりますから、やはり並々
の筆力ではないのでしょう。
人物造形の巧みさ
この話には人間の欲というものが実に見事に描かれています。
やっと生活の基盤ができた伴蔵がふっと浮気心を持つところから、話が急展開していくのです。
さらにはわきを固める人物描写が見事で、新幡随院の良石和尚や、手相見の白翁堂勇斎。
また怪しい医者、山本志丈など、ユニークな人物造形が面白みを付け加えています。
圓生の落語は、本当に話の一番面白いところだけをうまく掬い取って構成しているということがよくわかります。
現在のお勧めとしては柳家喬太郎の「怪談牡丹灯籠」があります。
この人気落語家は、人物造形の描写がしっかりしています。
骨格がぶれないので、かえって怖ろしさが増していきます。
なぜ寄席で聞く落語は怖いのか。
三味線、笛、太鼓の音につられて登場する幽霊。
そして適度な照明。
かつては前座が幽霊の面をかぶって突然客席にあらわれ、特に女性などを驚かせました。
前座がびっくりした客に殴られた話も…。
アルコールで火の玉をこしらえたのはいいが、それが演者の髪の毛に燃え移ったという笑い話もあります。
ストロボのない時代、大きな貝の真ん中にろうそくをたてて、何度もパタパタと動かしたのです。
舞台の両脇に大きなろうそくを二本だけたてて演じたことも…。
怪談噺にまつわる挿話、しくじり話には枚挙にいとまがありません。
それだけあちこちの席で多く演じられたということなのです。
夕飯のあと、近くの寄席で怪談噺を聞いて、一時の涼をとる。
いい風景ですね。
たまにはそんなゆっくりとした時間があってもいいのではないでしょうか。
落語の持つ味わいを大いに楽しんでいただければ、幸いです。
圓朝の創作した怪談噺はどれも人間性に根ざした怖ろしいものばかりです。
それだけに怖さも存分にあるということでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。