山吹の花
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は和歌の心得を学びます。
『俊頼髄脳』は歌論書です。
著者は源俊頼(1055~1129)という歌人です。
当時の歌壇の権威者であり、革新的な歌風の推進者でもありました。
この著作は1115年に成立したものです。
歌体や歌語の解説、詠歌の心得などを論じたほか、多くの歌人の逸話や故事なども含みます。
漢詩をつくるにあたって、よくないとされた8つの事項が「八病」です。
ご存知でしょうか。
「詩八病」という表現が一般的です。
「しはっぺい」とか「しはちびょう」と呼ばれています。
なんのことでしょうか。
中国、六朝時代梁の沈約(しんやく)によって唱えられた詩の音律上の法則なのです。
句中の調和を保つために、声律の上で避けるべき8つの点をあげています。
平頭・上尾・蜂腰・鶴膝・大韻・小韻・旁紐・正紐がそれです。
内容が複雑なので、1つだけ紹介します。
平頭韻は前句の上2字と後句の2字とが同声なものを言います。
今日良宴会。 今日 良宴の会
歓楽難具陳。 歓楽 具陳難し
この詩は前句の第1字「今」の字が後句の第1字「歓」と同声です。
第2字の「日」と「楽」とも同声なのです。
このように「音」の使い方について、非常に厳しい原則がありました。
これと同じように、和歌にも多くの決まりがあったのです。
本文
道信の中将の、山吹の花を持ちて、上の御局(みつぼね)といへる所を過ぎけるに、女房たちあまたゐこぼれて、
「さるめでたきものを持ちて、ただにすぐるやうやある」
と言ひかけたりければ、もとよりやまうけたりけむ。
くちなしにちしほやちしほ染めてけり
と言ひて、さし入れりければ、若き人々、え取らざりければ、奥に、伊勢大輔がさぶらひけるを、
「あれ取れ」と宮の仰せられければ、受け給ひて、一間(ひとま)が程をゐざり出でけるに思ひよりて、
こはえもいはぬ花の色かな
とこそ付けたりけれ。
これを上(うへ)聞こしめして、
「大輔なからましかば、恥ぢがましかりけることかな」
とぞ、仰せられける。
これらを思へば、心疾(と)きもかしこきことなり。
心疾く歌を詠める人は、なかなかに久しう思へばあしう詠まるるなり。
心おそく詠みいだす人は、すみやかに詠まむとするもかなはず。
ただ、もとの心ばへにしたがひて詠み出だすべきなり。
現代語訳
中将であった道信様が、山吹の花を持って、「上の御局」と言っていたところを通り過ぎようとなさったときのことです。
局の女房たちが大勢御簾からはみだしたまま、座っておりました。
『そのようにすばらしいものを持っていながら、素通りなどしてはいけませんのに』
と女房達が言葉をかけたところ、もともと、そのつもりで和歌の上の句を用意していたのでしょう。
くちなしの実のように「口なし」で私はものを言えないから、その証拠にくちなし色に何度も何度も染めてしまった山吹の花を持っているのですよ、
と言って、山吹の花を御簾の中に差し入れました。
若い女房達は下の句をつける自信がなくて、それを手に取ることができません。
局の奥にたまたま、伊勢の大輔がお仕えしていました。
『あの山吹の花を取りなさい。』と宮がおっしゃったので、伊勢の大輔は、承知なさり、その局の奥から端までの一間ぐらいの間を膝行して移動する間に、下の句を思いついて、
これは、言葉にすることもできないほど美しい花の色であることだよ、という意味の下の句を見事につけたのでした。
このことを天皇がお聞きになって、
『大輔がいなかったとしたら、うまく下の句をつける人もいないと言われて恥をかいたことだったよ。』とおっしゃいました。
これらのことから考えると、頭の回転が速いということは、それだけで実にすぐれたことです。
すばやく和歌を詠む人は、かえって時間をかけて考えると、下手に詠んでしまうもののようです。
ゆっくりと時間をかけて和歌を詠み出す人は、すばやく詠もうとしても容易にはできません。
だから、ひとえに、その人の天性の気性にしたがって和歌を詠むようにした方が結局はいいと言えるのです。
伊勢大輔の機転
ここに登場する伊勢大輔と同じ時、中宮彰子に仕えた人としてよく知られているのか、紫式部です。
彼女も天性の資質を持っていました。
歌道は、習い覚えていく側面もありますが、基本的には天性の感覚に頼るものだということです。
知性ももちろん大切ですが、それ以上に感性が勝ると考えるのが自然でしょう。
ここでは「くちなし」という表現から「言はぬ」という言葉との相関関係が、みえたということなのです。
この段は「後悔の病」との関係を踏まえつつ、源俊頼が自分の論点を述べています。
歌を詠む場合、急がないで詠むのがよいが、時と場合により、すばやく詠むのがいいこともあると言っているのです。
具体例をあげて意見を述べた部分を、二段構成に注意して読み取るのがポイントになります。
和歌には自分が詠んだ歌を後悔するという「後悔の病」があり、詠み急いではならないというのが基本です。
しかし彼は、伊勢大輔の事例を高く評価しています。
中宮の命令で伊勢大輔は道信がよみかけた「くちなしに」の上の句に、下の句をつけているのです。
まさにとっさの機転といっていいでしょう。
一方、若い女房達はとっさに付け句ができなかったので、山吹の花に手をのばすわけにはいかなかったと読み取ることができます。
確かにこれをしてはならないということも確かに、歌道には多くあったに違いありません。
しかしあえて、それを守らず、一瞬の機知にのせた伊勢大輔の歌を、高く評価しています。
本来、してはならないとする基本を知っていれば、そこから踏み出すことも、やはりもう1つの歌の道になり得たということなのではないでしょうか。
守破離という言葉があります。
いつまでも守り続けているだけでは、新しいものは生まれません。
そこを突き破って、自分の世界を築き上げることも、歌道では大切だと彼は述べたかったに違いないのです。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。