【学力とは何か】正解のない問いを求め続けることの意味【評価の基準は】

学び

学力とは何か

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は新学力観にそった喫緊のテーマについて考えます。

ズバリ、「学力とは何か」という問題です。

世界は確実に新しい時代に突入しています。

グローバル教育についての議論も盛んです。

日本のいたるところに、国際バカロレア基準に準じた学校が新設されています。

全寮制のインターナショナルスクールも増えています。

インター校には文科省の管轄ではないものもあるため、途中から日本の学校に転入しようとすると、そのための試験を受けなければならない場合も多々あります。

ぼく自身の経験でも、何人かのインター校生が、高校入学のための検定試験を受験するのを見てきました。

昨日の新聞にも、国語以外の授業を全て英語で行う新しい学校の記事が掲載されていましたね。

年間数百万円の授業料を支払っても、子供には世界的な視野からの授業体験をさせたいとする保護者がいることも事実です。

卒業後はそのまま、外国の大学へ入学していく生徒もいます。

複雑な現実の中で、日本の教育はどう変化していけばいいのか。

これは想像以上に大きな問題です。

少子化の波はおそらくこれからも、とどまることはないでしょう。

年間出生数77万人という数字は、3兆円の財源がないにも関わらず、政府を子育て支援に見切り発車させようとしている現実とリンクしています。

ICT教育を推進するという旗印のもと、多くの学校でタブレットを生徒にもたせるようになりました。

自主的な調べ学習の推進です。

アクティブラーニングと呼ばれる生徒自身による学習には、多くの可能性が宿っています。

しかしそれを本当に現実の威力にまで引き上げるには、教師の指導力がよほどなくてはなりません。

教育現場の現実

実際にアクティブラーニングを実施するということは、並々のことではないのです。

確かに正解のない問いを発することは可能です。

そのための資料集や過去の入試問題もあります。

あなたは「インタラクティブラーニング」という言葉を聞いたことがありますか。

授業者と生徒が相互にコミュニケーションをとりながら、内容を深掘りしていくタイプの授業です。

この授業を有効なものにするには、相互にかなりの学力を必要とします。

基礎的な知識がある程度なければ、実施することはできません。

テーマはどのようなものでもいいのです。

よく出される問題の1つに「あなたがフランシスコザビエルだったら、キリスト教を布教するために日本で何から始めますか」というのがあります。

あるいは「現代の宗教と、平安時代の宗教とはどこが違いますか」

「なぜ地球上から戦争や紛争がなくならないのですか」

「AIに管理される世界が出来たら、どのような世の中になると考えますか」

「お金と幸せの関係はどのようなものですか」

「近い将来、本当にSDGsは達成可能なのでしょうか」

歴史上の問題などをテーマにしても面白いかもしれません。

あなたなら、どこから手をつけますか。

調べ学習のために、1台ずつタブレットが与えられていたとしたら、最初にすることはおそらくウィキペディアなどでの検索でしょう。

さらに動画やブログなど、あらゆる方法を試みるに違いありません。

教師はそれを班学習でまとめさせ、発表にまでもっていくのです。

最悪の場合、いかにもとってつけたような結果になることも考えられます。

実際にどの程度の時間がかかると思いますか。

教育現場の煩雑なカリキュラム構成の中で、希望通り時間を使うことはできないのです。

評価の基準をつくりあげるのは実に厄介な作業です。

特にグループ学習の場合は、個人の評価点をつけるのが難しいという問題があります。

知識と学力

学びには時間がかかります。

AIが発達してきた今日、短時間で効率の良い学習をめざすことが可能なケースもあります。

しかしAIには誤りも多く含まれているのです。

それを短い時間の中で、見抜き修正するのが、人間に残された唯一の役割でしょう。

つまり知識を得るという根本的な作業を、粛々と続けなければなりません。

当然のことながら、膨大な時間がかかります。

国語力を基礎として思考力、判断力、分析力、表現力を身につけなければならないのです。

すぐに型が身につくという類いの学業ではありません。

その作業を教師は傍らにいて、最後まで見届けなければならないのです。

しかし今の学校現場でそれができるのかといえば、大いに疑問ですね。

あまりにも仕事量が多すぎます。

長時間労働の悪弊です。

授業の準備にかけられる時間も少なく、内容も深まりません。

定期テストのために、問題を作成しなければいけないのです。

ぼく自身、かつて中学校で3カ月間だけ講師をしたことがあります。

試験の問題をつくり採点をし、評価をつけました。

評価法が高校でやっていたのとは全く違い、とまどいました。

2020年から始められた学習状況評価の3観点は「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組む態度」です。

授業中の態度、ノート、積極性、レポートの提出、挙手など、あらゆる観点からA~Cで採点し、その総合点を合計して1~5の評価をつけます。

アウトプットの力

多くの先生方の話を聞いていると、アウトプット力のある生徒は吸収力も高いようですね。

作文や感想文を書かせてみれば、よくそれがわかります。

たいていは同じパターンのものばかりになってしまうのです。

しかし数は少ないですが、僅かにキラリと光る文章を書く生徒がいます。

一言でいえば、センスがいい文章です。

同じ現象をみて書いても、言葉が違います。

おそらく視点が他の生徒とは明らかに異なっているのでしょう。

どのようにして、そのセンスを獲得したのか。

読書量が多いことは、その語彙をみれば判断できます。

ただし難しい言葉を知っているから、アウトプット力が高いということにはなりません。

一言でいえば、こなれた文章が書ける能力です。

自分の言葉にして、常に世界を認識しているということなのでしょう。

小論文の添削をしていて、いつも歯がゆいのは、問題の論点を考えずに、ただ書きなぐってしまう生徒が多いことです。

国語力は読解力と表現力の二頭立てです。

この両輪がうまく回っていると、あらゆる認識が正確になるのです。

AIの誤作動があったとしても、瞬時に見抜く目を持っていると思います。

文科省は2020年から新しい学力観を提唱しています。

その方針にそって、大学入学共通テストも作成されるようになりました。

中学、高校受験の場合でも、問題の作り方が明らかに変化しています。

一言でいえば、正解のない問いにどう向き合うのかという態度を問おうとしているのです。

今後どうしていけばいいのか。

おそらく、ICT教育の枠にはおさまらない問いが発し続けられるでしょう。

現場はかなり混乱すると想像されます。

その中をたくましく生き抜くには、視野の広い学習を続ける以外に、方法はないと断言できます。

そのためにどうすればいいのか。

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真の学力を身につける作業には長い時間と覚悟がいるのです。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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