【ピジンという生き方】グローバル社会の中で新しい言葉を作り出す意味

学び

ピジン・クレオル言語

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は多分あまり耳にしたことのないピジン、クレオル言語について考えてみましょう。

ユニークな内容なので、最初はとまどうかもしれません。

しかし世界の流れを見てみる時、この論点は非常に大切だと思われます。

最初に「ピジン」と「クレオル言語」について確認しておきます。

ピジンは、言語が混ざった混成語、クレオルは、ピジンが母語化したもののことをさします。

ピジン語にはいくつかの特徴があります。

基本はベースとなる言葉が単純化されていることです。

そのため語彙が、基本になるものに比べて極端に少ないのです。

その結果、1つの単語に多くの意味が含まれます。

だいたい内容が理解できればいいというのが、基本的なスタンスです。

複雑で抽象的な会話にはあまり向きません。

さらにベースとなる言語以外に、他の言葉の語彙が混入してきます。

パプアニューギニアの公用語はTok Pisinと呼ばれています。

しかし完全に母語化されているので、種別としては進化系のクレオル言語に当たります。

それでは、どのようなものがピジン語なのでしょうか。

1番よく語られるのがハワイのピジン・イングリッシュです。

19世紀頃から、ハワイにはアジア、南米、ヨーロッパなどからの移住者が住みつきました。

彼らの共通言語がピジン語だったのです。

異なる母国語を1つにするため、単語を連ねたシンプルなものが最初の形になりました。

ピジン語の例

ピジン語は労働者の話言葉だったため、当初あまりいいイメージがありませんでした。

しかし、2015年には正式な言語として認められたのです。

2001年頃にはピジン英語の新訳聖書もが完成しました。

いくつかの例をみてください。

Da Kine

「ダ」は「the」、「カイン」は「kind」の意味です。

「そんな感じ」「みたいな」と言った意味を持っています。。

Pau hana Friday

「パウ」=「終わり」、「ハナ」=「仕事」、「フライデー」=「金曜日」

日本語の「ハナキン」を意味します。

これは、英語とハワイ語が混合した言葉です。

他には、「できない」ことを「no can」と言います。

ハワイアン・ピジンは、島に住んでいる人にとってのアイデンティティとも言えますね。

その他にも次のようなものがあります。

Howzit?  意味:どう、元気?

「How are you?」と同じ意味です。「How is it」が元になっています。

Make house 意味:くつろいでください。

「Make yourself at home.」のニュアンスに近い表現です。

shaka 意味:いいね。

「All right!」や「Great!」に似た意味です。

親指と小指をたてて使います。

見たことがありますか。

ハワイでは日常的に使われています。

ピジンについては、管啓次郎氏のエッセイを参考に読んでみましょう。

『論理国語』の教科書に所収されていたものです。

比較文学者です。

多言語性と移住、亡命を背景にした世界文学論の展開をしている研究者です。

本文

出会った言葉は、常にほんの孤立したひとことでも、新たな可能性を指さしている。

それについてゆけば、どんなに遠くまで行けることだろう。

どんなに新鮮な、広々とした美しさが待っていることだろう。

わずかな、まちいだらけのカタコトが話せるなら、無表情な水面のように見えていた異邦の人々の顔がたちまち笑顔に融けて、自分の不安もわくわくする気持ちに変わる。

逆に悪い方向に向かうことだってあるわけだが、物事の明るい側をまずは見ることにして先に進むことにしよう。

言葉は音でも姿でも、それがどんなものかすらわからない純粋な可能性への扉、鍵、橋になる。(中略)

といっても ぼくの知っている言葉なんて、まったくたかが知れている。

おまけに、すべて不十分にしか知らない。

いくつかの地方の日本語と英語のヴァリエーション。

初歩的なフランス語やスペイン語やポルトガル語、それだけ。

雄弁にも名文にも遠く、ただそのときその場で利用可能な資源を総動員して、なんとか人の言葉や書かれた文を理解しようとしたり、自分でも使おうと試みてきた。

そんなカタコト的精神を最も力強く肯定していたくれたのは、大学に入ってしばらくして知った「ピジン=クレオル言語」という1群の言葉の存在だった。

まるで通じない言葉をたずさえて、異質な人々の集団が日々の交渉をはじめる。

なんとか意志を伝え合いたいという前提があれば、(商売のためでも、作業のためでも、誘惑のためでも、ひどい時には搾取のためでも) 接触がつづくうちに必ず必要十分な「間に合わせ言葉」が生まれる。

人間とはなんという言語動物だろう。

そこに生まれるのがピジン言語だ。(中略)

そして雑多な人々が偶然にある時ある島で出会うという構図をそのまま反転させるなら、「私」という浮き島が世界の遍歴において出会うすべての言葉の反響だって、この「私」の岸辺に小さな傷のようにいつまでもたなびき、それ自体が「世界」や「歴史」が様々に織りなす関係群についての、小さな小さな証言となるのではないだろうか。

私とは私がこれまでに耳をさらしたすべての音の集積にすぎないと、ぼくは思うようになった。

私は私の訛りをもって、私の遍歴を証言し、世界の響きに合流する。

言葉の役割

ぼくたちにとって外国語といえば、まず英語が思い浮かびます。

最近では小学校の段階から、正式な科目として学ぶ対象になっています。

単語のスぺルや文法を学ぶことも確かに大切です。

しかしそれより前に、実は外国語を学ぶことには大きな意味があります。

それは異文化への窓だということなのです。

たとえカタコトであっても、自分と違う文化圏で生きている人と、コミュニケーションをとることの意味は、想像以上に大きなものがあります。

言葉というものは、本来通じ合うためのものでなくてはいけません。

さまざまな言葉が交じりあったにせよ、意志の疎通ができるという事実の方が大切なのです。

そこにことばの可能性を見いだそうという、筆者の論点は実に理解しやすいものです。

民族も個人もグローバル化の時代には、既に1つのフィクションなのかもしれません。

固定的なナショナリズムだけを前面に出して戦うよりも、むしろ相互の多様性を理解することの方が、大きな意味を持ちます。

そのために「ピジン語」「クレオル語」への道のりもあるのだという可能性にかけるおおらかさが、この文章の真骨頂でしょう。

読んでいると、筆者の実直な横顔がみてとれます。

従来、ピジンなどは所詮、周縁にあるだけの言語だとみなされてきました。

そこにスポットをあてて、もう1度その意義を検討してみようとした文章は意義深いと感じます。

世界への持続する志として、この論点を検討してみてください。

十分、小論文のテーマになり得ます。

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ここに出てきた考え方を基本に、800字程度でまとめてみることをお勧めします。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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