【発心集・鴨長明】漢竹の笛だけを所望した風雅な隠遁者の仏教説話

風雅な法師

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は鴨長明の『発心集』を読みます。

元々、日本にある発心に関する仏教説話を扱っています。

仏道修行に進もうとした動機に、スポットライトをあてているのです。

長明を連想させる隠遁者が登場人物の主体です。

基本は風雅の道への強い共感です。

長明自身、方丈の家に住み、現世での利益を考えようとはしませんでした。

好きな本を読み、和歌をつくり、時に琵琶を奏でる。

それが最高の幸福な生活だったのです。

時はまさに末法の世です。

いくら長生きをしても、とりたてていいことがあるわけでもありません。

飢饉や飢餓に襲われ、火事も頻繁にありました。

疫病がはやり、まさに地獄のようなありさまだったのです。

それならばいっそ、気ままに自分の好きな道を歩めばいいと考えました。

貧しさなど意に介さず、笛を吹いていた主人公の法師は、世俗を離れた人物そのものです。

長明がその生き方に共感した理由もよくわかります。

清貧という言葉を聞かなくなってから、随分と経ちました。

それを実践していた長明のリスペクトが、文中のあちこちに見て取れます。

『発心集』の中で、最も有名な段です。

じっくりと味わってください。

原文

八幡別当頼清が遠流にて、永秀法師といふものありけり。

家、貧しくて、心すけりける。

夜昼、笛を吹より外のことなし。

かしがましさに耐へぬ隣家、やうやう立ち去りて、後には人もなくなりにけれど、さらにいたまず。

さこそ貧しけれど、落ちぶれたるふるまひなどはせざりければ、さすがに人いやしむべきことなし。

頼清、聞きあはれみて使ひやりて、「などかは、何事ものたまはせぬ。かやうに侍れば、さらぬ人だに、ことにふれて、さのみこそ申し承ることにて侍れ。

うとく思すべからず。便りあらんことは、はばからずのたまはせよ」と言はせたりければ、「返す返す、かしこまり侍り。

年ごろも『申さばや』と思ひながら、身のあやしさに、かつは恐れ、かつははばかりて、まかり過ぎ侍るなり。

深く望み申すべきこと侍り。

すみやかに参りて申し侍るべし」と言ふ。

「何事にか、よしなき情をかけて、うるさきことや言ひかけられん」と思へど、「かの身のほどには、いかばかりのことかあらん」と思ひあなづりて過ごすほどに、あるかた夕暮れに出で来たれり。

すなはち出で合ひて、「何ごとに」など言ふ。

「浅からぬ所望侍るを、思ひ給へてまかり過ぎ侍りしほどに、一日仰せを悦びて、左右なく参りて侍る」と言ふ。

「疑ひなく、所知など望むべきなめり」と思ひて、これを尋ぬれば、「筑紫に御領多く侍れば、漢竹の笛のこと、よろしく侍らん。一つ召して給はらん。

これ、身に取りて極まれる望みにて侍れど、あやしの身には得がたき物にて、年ごろえまうけ侍らず」と言ふ。

思ひの外に、いとあはれに思えて、「いといと安きことにこそ。すみやかに尋ねて、奉るべし。その外、御用ならんことは侍らずや。

月日を送り給ふらんことも、心にくからずこそ侍るに。さやうのことも、などかは承らざらん」と言へば、「御志はかしこまり侍り。されど、それはこと欠け侍らず。

二、三月に、かく帷(かたびら)一つまうけつれば、十月までは、さらに望む所なし。また、朝夕のことは、おのづからあるにまかせつつ、とてもかくても過ぎ侍り」と言ふ。

「げに、数寄者にこそ」と、あはれにありがたく思えて、笛、急ぎ尋ねつつ送りけり。

現代語訳

八幡別当頼清の遠い親戚に、永秀法師という人がいたそうです。

家は貧しかったのですが、風雅の心がありました。

夜昼、笛ばかり吹いていたのです。

そのうるささに耐えられぬ近隣の家が次第に立ちのいてから後には、まわりに人もいなくなってしまいましたが、まったく気にしませんでした。

ひどく貧しかったものの、いやしげな振る舞いなどはしないので、さすがに、彼を軽んじる人はいません。

頼清がそのうわさを聞き、同情して使いをやって、

「どうして何も言ってくださらないのですか。私はご承知のような身ゆえ、無縁な人さえ、何かにつけて、むやみと援助を願い出てきますのに。

私を他人とお考えくださいますな。私にできることなら、遠慮なくおっしゃってください。」と言わせました。

すると、永秀は、「それはとても恐縮でございます。この年頃、申し上げたいと思いながら、わが身の卑しさを思い、気が引けたり、遠慮したりして過ごしておりました。

実は、心からお願いしたいことがあります。さっそく、参上して申し上げたく存じます」と言ってきたのです。

頼清は、「何で、しなくてもよい同情をしたのか。うるさいことを言いかけられるだろう」と思いましたが、「あの人の暮らしぶりなら、たいしたこともあるまい」とたかをくくって過ごしていました。

するとある夕方、永秀がやって来たのです。

すぐに対面して、「どんな御用ですか」などと訊ねると、「浅からぬ希望があるので、そのことをずっと考えて過ごしておりましたが、先日のお言葉にうれしくなって、ためらわずに参上しました」とのことでした。

頼清は、「きっと、領地を分けてくれと頼むのだろう」と思い、希望することを尋ねます。
すると、「筑紫に御領地をたくさん持っていらっしゃるので、漢竹の笛の上等なのをひとつ頂きたく存じます。

これは、私にとっていちばんの望みなのですが、卑しい身には求めがたい物で、ずっと入手できないでおりました」と言いました。

意外な申し出に、頼清はひどく感動して、「お安い御用です。すぐに取り寄せて、差し上げましょう。その他に、何か御用はありませんか。

日々、どのようにお暮らしになっているのか、心にかかっておりますが、そのような生活面のことも、お役にたちたいと思います」と言うと、永秀は、「お志はありがたく存じます。

しかし、そのことは不自由しておりません。

二月か三月に、この帷(かたびら)を一枚、手に入れましたので、十月までは、これ以上望むものはありません。

また、朝夕の食事は、たまたま手近にある物を使って、何とか過ごしております」と言います。

「なるほど、評判どおりの数寄者だ」と、その殊勝さに感心して、頼清は、笛をすぐに探し求めて送ってやりました。

また、永秀はあのように言いましたが、毎月の食料の用意など、日常生活のことなども心配して物を整えてやると、

それがあるかぎりは、八幡の楽人を呼び集めて、彼らに酒を用意して、一日中、音楽をして過ごしたのです。

楽人が去ると、またただ一人、笛を吹いて明かし暮らすのでした。

後には、笛の精進が実って、並ぶ者のない名手となりました。

このような人の心は、何につけても、深い罪を犯すことなどないことでしょう。

清貧への道

この法師の凄さはどこにあるのでしょうか。

貧しいことを気にせずに、笛を吹いていると考える点が大切なのです。

貧しくても笛をふくことをやめず、風流を貫こうとしたのでしょうか。

そうではありません。

風流は貫いて実践するものではないのです。

無理に歯をくいしばって、精進するのでは、本当の風流とはいえないでしょう。

ilyessuti / Pixabay

何も考えず、むしろ自然のままに何も考えず、それでいて自分の好きな道に進んでいくという態度が大切なのです。

まさに清貧に甘んじるという生き方です。

①身分の低い自分にはとうてい手に入れるのが難しい漢竹の笛です。

②頼清の領地でとれる中国渡来の竹から、いい笛が作れるのを法師は知っていました。

③着るものや食べるものはなんとかなります。

④だからこそ、上等な笛を一本手に入れたかったのです、という願いなのです。

現代にも通じる生き方の手本かもしれません。

永秀法師が意外にも生活に必要なものをいっさい望まなかったことに、深く心を動かされた様子をしっかりと読み取ってください。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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