【今昔物語・説話集】盗人さえも騙してしまった強心臓の男の話【傑作】

盗人を騙す

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

つい先日、以前やった期末試験の問題をみていたら、偶然この文章を見つけました。

なかなか面白いので、ご披露しようと考えた次第です。

『今昔物語集』の「阿蘇史が盗人に遭ってはかり逃がれた話」というのが題材です。

昔、授業で習ったことがあるという人がいるかもしれません。

『今昔物語集』というのは、中世の説話を集めたものです。

成立時期は12~15世紀の間です。

誰が書いたものか、よくわかっていません。

おそらく長い時間をかけて収集されたものなのでしょう。

内容はインド、中国、日本の3部に分かれて構成されています。

いくつかの例外を除いて、それぞれの物語はいずれも「今は昔」から文章が始まります。

最後は「と、なむ語り伝えたるとや」という結びの句で終わります。

きっと多くの作家が想像力を刺激されたのでしょう。

この作品を原作にした小説がたくさんあります。

なかでも芥川龍之介はかなりこの説話集を題材に使っています。

『羅生門』『鼻』『芋粥』は彼の代表作です。

今回の話の主人公は「史」です。

読み方が大変難しいです。

「さかん」という官職です。

律令制の四等官の最下位にあたります。

ここでは神祇官、太政官の役人ですね。

この話では、主人公の阿蘇某という史(さかん)が、公務を終え、家に帰ります。

夜更けに牛車に乗って家に帰る道すがら、盗人に襲われるのです。

本文

今は昔、阿蘇のなにがしといふ史ありけり。

たけ短なりけれども、魂はいみじき盗人にてぞありける。

家は西の京にありければ、公事ありて内に参りて、夜更けて家に帰りけるに、

東の中の御門より出でて、車に乗りて大宮下りにやらせて行きけるに、

着たる装束をみな解きて、片端よりみなたたみて、車の畳の下にうるはしく置きて、

その上に畳を敷きて、史は冠をし、襪(したうづ)を履きて、裸になりて車の内にゐたり。

さて、二条より西様にやらせて行くに、美福門(びふくもん)のほどを過ぐる間に、盗人、傍らよりはらはらと出で来ぬ。

車の轅(ながえ)に付きて、牛飼ひ童(わらわ)を打てば、童は牛を棄てて逃げぬ。

車の後に雑色(ぞうしき)二、三人ありけるも、みな逃げて去にけり。

盗人寄り来て、車の簾(すだれ)を引き開けて見るに、裸にて史ゐたれば、盗人、「あさまし。」と思ひて、「こはいかに。」と問へば、史、「東の大宮にてかくのごとくなりつる。

君達寄り来て、己が装束をばみな召しつ。」と笏(しゃく)を取りて、よき人にもの申すやうにかしこまりて答へければ、盗人笑ひて棄てて去にけり。

その後、史、声を上げて牛飼ひ童をも呼びければ、みな出で来にけり。

それよりなむ家に帰りにける。

さて、妻にこの由を語りければ、妻のいはく、「その盗人にも増さりたりける心にておはしける。」と言ひてぞ笑ひける。

まことにいと恐ろしき心なり。

装束をみな解きて隠しおきて、しか言はむと思ひける心ばせ、さらに人の思ひ寄るべきことにあらず。

この史は極めたる物言ひにてなむありければ、かくも言ふなりけり、となむ語り伝へたるとや。

現代語訳

今となっては昔のことですが、阿蘇のなにがしとかいう役人がおりました。

背が低く、非常に肝のすわったくせ者でした。

家は西の京にあったので、公務があって宮中に参上して、夜が更けて家に帰るときに、

東の待賢門から出て牛車に乗って、東大宮大路を南に下って進めさせていましたが、着ている装束を全部脱いで、

片端から全てたたんで、牛車の畳の下にきちんと置いて、その上に畳を敷いて、

史は冠をかぶり、足袋だけを履いて、裸になって牛車の中に座っていたのです。

さて、二条大路から西の方へ進めさせて行く時に、美福門のあたりを過ぎるころ、盗人がそばからばらばらと出て来ました。

盗人が牛車の轅に取りついて、牛飼童を叩いたので、童は牛を捨てて逃げてしまいました。

牛車の後ろに下働きの者が二、三人いたのも、皆逃げ去ってしまったのです。

盗人が近寄ってきて、牛車の簾を引き開けてみると、裸で史が座っていたので、盗人は、驚きあきれたことだと思って、

「これはどうしたことか。」と尋ねたところ、

史は、「東大宮大路で、このようになってしまいました。

公達が近寄ってきて、私の装束を全てお取り上げになってしまったのです。」と言って、

笏を手に取って、身分の高い人にものを申し上げるようにかしこまって答えたので、盗人は笑って史を

そのままにして去ってしまいました。

その後、史が、声を上げて牛飼童を呼んだところ、あちこちから皆出て来ました。

それから家に帰ったのです。

さて、妻にこの出来事を語ったところ、妻が言うことには、

「あなたはその盗人にもまさっていた心でおられたことですよ。」

と言って笑いました。

実に驚くべき心です。

装束を皆脱いで隠しておいて、そのように言おうと思っていた心がけは、まったく普通の人が思いつくようなことではありません。

この役人は、きわめて話の達者な者だったので、

このようにも言ったのであったことです、と今も語り伝えているということです。

したたかな役人

悠々と盗人を追い払った役人の機転には思わず脱帽ですね。

実にユーモラスなはかり事です。

なぜ着ているものを全部脱ぎ捨てるような荒業をしたのか。

その理由を想像するだけで愉快です。

きっとこの帰り道には、ふだんから盗賊がよく出没したのではないでしょうか

美福門は、平安京の内と外をつなぐ城門のようなものです。

この時代、都の内側を洛内、外側を洛外といいました。

そこには侵入者を防ぐための警護の者を置いたのです。

つまり洛内の治安の良さに比べると、洛外はかなり荒れていたと思われます。

魑魅魍魎が跋扈してもおかしくはなかったのです。

もちろん、これは洛内に住んでいる人々の感覚ですけどね。

今でいえば、山の手と下町でしょうか。

当然、家を買うにしても、洛内は高いのです。

この物語に出てくる役人は、それほど偉くはなかったのです。

つまり洛内に住めるだけの収入はありませんでした。

そこで洛外に家を求めたのです。

盗賊たちの様子を見て、あなたはどんなことを感じますか。

かなり人のいい泥棒ですよね。

落語にでもでてきそうな印象です。

生命までも取ろうとはしていません。

なんとなく食べられるだけあれば、それでいいという印象さえ持ちます。

だから笑い飛ばして、行ってしまったのでしょう。

役人の作戦勝ちです。

奥さんのあきれた顔が目に見えるようです。

この役人も「してやったり」というところでしょうか。

のんびりとした、いい時代の暢気な話ですね。

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今ならば、殺されかねません。

今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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