【日本社会の深層】市民意識の未成熟とボランティアの意味【利他の心】

学び

日常の延長

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回はボランティアの問題を取り上げます。

日本は災害列島と呼ばれていますね。

気候変動にともなって、毎年地震や水害などの自然災害が次々と起こります。

そのたびに多くの人がボランティアとして活動している姿をテレビでよく見ます。

以前に比べれば、隋分と人々の意識に変化が訪れているのはよくわかります。

それでもなかなか草の根から根づいたといえないのは、なぜなのでしょうか。

そこに日本社会特有の要素があると思われます。

今回は金子郁容氏の著書から少しこのテーマを深掘りしてみましょう。

『ボランティアもうひとつの情報社会』というのが本のタイトルです。

かつて宮崎県立看護大学で、小論文の問題として出題されました。

この文章を読んで、あなたの「ボランティア」に対する考えを400字以内で書きなさいというのが設問です。

字数が非常に制限されているだけに、難問です。

要点をかいつまんでうまくまとめないと、内容が散漫になってしまう怖れがあります。

課題文がありますので、それを参考にするのは当然でしょう。

ここにはあるボランティアをした会社員が、後に取材を拒否するという話が載っています。

これは何を意味するのか。

つまり日本にはごく一部の真面目な人だけがする活動という見方が、まだ存在しているという事実なのです。

ボランティアは自分とは関係のない遠い世界の出来事か、あるいは美談のレベルにとどまっているというのが根本の考え方なのかもしれません。

なぜ当たり前の行動にならないのか。

市民意識がまだ十分に育ちあがっていない背景を、考えてみなくてはなりません。

最初に課題文を読みましょう。

一部、割愛してあります。

課題文

ボランティアというと、「困っている人を助けてあげること」だと思っている人が多いのではないだろうか。

ところが、実際にボランティアに楽しさを見出した人は、ほとんど、「助けられているのはむしろ私の方だ」という感想を持つ。

私はボランティアに自分の時間のごく一部を当てているだけの「気楽」なボランティアであるが、私の限られた経験からもそう感じる。

人々が孤立し、自分の手の届かないところにある巨大な政治・経済システムに管理、運営されている現代社会。

何か少しでも、決められた以外のことをしようとすると、すぐ壁に突き当たり、個人ができることの限界を思い知らされてしまう。

ところが、ボランティアをしていると、ときには、自分が始めた小さなことがきっかけになって思いもよらぬ展開が起こり、あとで振り返ると、自分一人ではとうていできなかったであろうことが可能になっていることを発見する。

geralt / Pixabay

助けるつもりが助けられ、個人の力の及ぶ範囲は極めて小さいはずなのに意外な展開が豊かな結果をもたらす。

このギャップが、私にとって、ボランティアの不思議な魅力だ。

ボランティアは、しかし、魅力とばかりはいっていられない厄介な側面も持っている。(中略)

会社の長期休暇制度を利用して、ある障害者施設で、スタッフとしてボランティアをした会社員の男性の体験談を企業広報誌で読んだことがある。

「単身赴任」していたその人に自分の息子から「本音の手紙」がいく通も届き、自分への賛意を示してもらったことが思いがけない大きな収穫だったと、生き生きと述べていた。

ところが、詳しい話を聞きたいと思ってその人に面接を申し込んだところ、会社の広報部を通して丁重に断られた。

「謙遜」だけが理由ではないらしい。

広報誌が出て以来、各方面から色々なことを言われたために、今後一切「取材」はされたくないとのことだ。(中略)

この人に起こったことは、たぶん、形を変え、状況を変え、様々な度合いと範囲で、日本中のたくさんのボランティアの経験するところではないか。

賛成と反対の立場を明確に

筆者の論点は明らかです。

ボランティアはいいことなのです。

ただし解答を考える時にすぐ、筆者の文意に賛意を表明しないこと。

どうしても後からついていく形になるので、内容が弱くなりがちです。

練習の際はあえて、反対の立場をとることも試みてください。

たとえば、こういう考え方があります。

①筆者はボランティアが多くの人を助ける価値ある行動だと考えている。
②しかしそれはあまりにも強い思い込みにすぎるのではないか。
③善意の押しつけや自己満足の行為になる危険性も持っている。
④以上の理由から必ずしも、常に良いことだとは限らない。

賛成の場合はまとめるのが容易です。

①ボランティア活動をすることで、助けを必要としている人の立場を理解できるようになる。
②自己満足と単純に言い切れないだけの貴重な体験になりうる。
③他者の気持ちを想像する力が獲得できる。
④社会に対する視野が広がり、自分の人生を豊かにする。

このどちらかの視点に重きをおいて、まとめればいいのではないでしょうか。

rawpixel / Pixabay

ただし、日本に十分に根づかない理由については、もう少し自分の意見を書きましょう。

あなたはどこに理由があると考えますか。

自分自身の行動の中に、ボランティアの体験はありますか。

その時に何を感じましたか。

最近では学校教育の中にも積極的に取り入れられています。

これにたいしても自発的ではないため、これをボランティアとは考えたくないという意見も当然でてくる可能性がありますね。

本来のボランティアとは

今日の日本の問題を個人の連帯意識から考えることもできます。

元々、自分たちの住む場所を助け合いながら、よりよいものにしていこうという考え方が、ボランティアの基本でしょう。

しかしそれをするには、あまりにも個人主義になりすぎている傾向が強いのではないでしょうか。

どんなことでも行政に持ち込むという近年の風潮があります。

役所にもちこめば、住民サービスの一環として、なんとかしてくれるという発想もあります。

いざとなったら自衛隊が出動するだろうという考えがないワケではありません。

NPOがあまりにも行政の領域に入りすぎると、国や地方自治体がそれに安住して、仕事をしなくなるという側面が全くないとは言い切れません。

本当に必要なところへいつでも出かけられるようなシステムが必要です。

社会の了解が得られなければ、美談で終わってしまうこともあるのです。

インタビューに応じたばかりに、会社にいずらくなったのでは、なんの意味もありません。

ボランティア活動が前面に出過ぎると、自分を犠牲にしてしまう怖れもあります。

あくまでも市民社会の一員として、日常の暮らしの中に組み込まれていなければいけない活動なのです。

日本はあまりにも経済優先になりすぎてしまいました。

全てを金銭に置き換えるという考え方が前面に出過ぎると、ボランティア活動は破産します。  

ここが1番難しい局面でしょう。

文章をまとめる時、信仰の問題とも絡んでくるのに気づきましたか。

仏教には「利他」の心というものがあります。

他者のために行う行為をさします。

それがやがて自分に向かって戻ってくる。

もちろん、キリスト教にもあります。

そこに本来のボランティアの本質が宿っているのではないでしょうか。

今日の日本社会の横顔とも関係する大きなテーマです。

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これを機会にじっくりと考えてみてください。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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