【姜尚中】異質なものを受け入れる度量が今ほど日本に必要な時はない

学び

政治学者・姜尚中

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は以前にも取り上げた問題の後半を考えます。

その時は字数の関係で、前半だけしか取り上げられませんでした。

日本は今後異質なものを、どう取り入れていけばいいのかという大きなテーマです。

著者の姜尚中氏は1950年に、熊本県で在日韓国人二世として生まれました。

その後の暮らしぶりは彼の著書『在日』を読めば、ほぼわかります

子供の頃は日本名を名乗り続けていました。

その後、自分自身の出自を自覚する中で、韓国名を名乗り始めたのです。

詳しい経歴は彼の本を読めば、書いてあります。

どのような暮らしをしてきたのかもくよわかります。

在日韓国人という立場を、「周辺者」あるいは「亡命者」とみなしてきました。

自分自身を、日本と韓国という二つの祖国を持った独自の存在とし、そこから日本という風土を分析しています。

日本の近代化は欧米中心の文化が目標でした。

その陰で、朝鮮半島、東南アジアは切り捨てられていったのです。

しかし経済が急成長し、今、長期の停滞に苦慮している中で、あらためて東南アジアや朝鮮半島との関係が再発見されようとしています。

少子高齢化がますます進み、労働者の数も減っています。

農業、漁業、建設、介護などの現場では、外国人の存在なしには仕事が回転しません。

外国人労働者が日本に定住できる環境を整えるための方策も論じられています。

しかし日本人の中にある排他的な方向性は、それほど簡単に払拭できるものではありません。

なぜなのでしょうか。

もう一度この機会に考えてみましょう。

課題文の後半は次の通りです。

課題文

日本が豊かになったのはここ数十年のことです。

今から50年前は今のアフガニスタンに近かったわけです。

もう少し人々が、国をどうするかということを今のままでは出口のない状態で子供達にも未来がない、ということを考えてみるべきです。

今のままでは不幸なリスクを背負う準備もできていない、免疫力のない、社会耐久性のない社会の中でリスク管理のための犠牲になってしまう可能性も高いと言えます。

お受験で小さい頃から純粋培養され、過大投資された子どもには未来はないのではないでしょうか。

そして二十年後、その子たちが社会の階段をエリートとしてのぼっている可能性も少ないと思います。

もっと長いタイムスパンの中で、幸福観・不幸観や、人の一生の幸せが決まるという視点を持つべきです。

katja / Pixabay

そして今後は異質なものを家族の中にも受け入れていかなければいけない。

これまで日本では家族も学校も企業も地域社会も国民も、みんな「同じ」というフィクションが成り立っていました。

実際には、私のような「在日」の少数者もこの社会の構成員だったのですが、国家や国籍を中心にして社会のメンバーシップを管理してきましたから、そうした神話が結構大きな力を持ちえたわけです。

しかし、そうした社会は内部から自家中毒を起こし、もう息が詰まるような閉塞状態に陥りつつあるのではないでしょうか。

僕はそこに新しい空気を入れ、社会を内外に開いて風通し良くするためには、人間関係の根幹となる家族についても、これまでのように血縁を中心とする間柄ではない関係を新しく創造していく必要があるのではないかと思うのです。

難民の受け入れはその一つのキッカケですが、血統を中心とする戸籍の管理から国籍の管理に至る日本社会の背骨を少しでも変えて行く試みが必要だと言いたいのです。

僕は遅々とした歩みではあっても、変化は起きつつあると思います

日本社会の同質性

筆者が問題視しているのは、日本社会の同質性です。

社会の仕組みが排他的であるため、その対応策として「異質なもの」の受け入れを提案しています。

筆者のいう異質なものとは何か。

そこにポイントをあてていくことが大切です。

このテーマは賛否を論じることが比較的に容易です。

現在も労働力不足を外国人に頼っています。

さらに今後も必要とするという方向でしょう。

もう日本人だけでは回らないレベルに来ているのです。

したがって、筆者の論に賛成する立場で書くなら、現在、そうした態勢になりつつあるということを強調すればいいでしょう。

しかし現在の円安傾向が続くと、せっかくの労働力が他国へ流失することも考えられます。

小手先の技で研修員制度などを使うのではなく、もっと本質的な定住化への道を探るべきだという論点で進んでください。

その際に当然犯罪リスクなどが取り上げられます。

外国人が多いから凶悪犯罪が多いのだという論理です。

これは単純に論じられるような問題ではありません。

むしろリスク管理は、同質的な環境で育つ日本の社会が本来持たなければならないものの1つだとも考えられます。

世界的なテロの現実を見るにつけ、世界が異質なものの衝突の中にあるという現実を捉える必要があります。

今までは確かに比較的に治安のいい国家であったともいえます。

しかし同質的なところにばかり力を注いでいると、異質なものに対する感受性が麻痺してしまうということにもなりかねません。

宗教の差などという厳然とした事実も、忘れてはにないことです。

反対の論理は

この考え方には、反対論も当然あります。

日本の同質性をかえていくために、難民を受け入れるべきかという視点があります。

1つは治安の問題に対する懸念です。

これ以上、犯罪の温床をつくることには大きな疑問があるのも不思議ではありません。

在日外国人の立場しても、排他的な日本社会に溶け込むことは難しいのではないかということもあります。

ここから自分の立場を明確にしていけばいいでしょう。

同質性が保たれてきたことで、比較的治安のいい社会が保たれてきたのです。

そこに無理して外国人を呼び、犯罪の多い社会にする必要があるのかということです。

しかしグローバル化の問題やインバウンドの経済的影響も考慮しなければなりません。

それでもやっぱり異質なものは受け入れたくないというのは、1つの方向です。

認めざるを得ません。

姜尚中氏が述べる戸籍の管理と国籍の管理の問題も大きいです。

日本の出入国管理はことの他厳しく、難民の認定もほぼ不可能に近いのです。

かつて指紋押捺に反対した筆者でなければ、できない発言かもしれません。

グローバルな視点で見た時、戸籍制度を維持している国はほとんどありません。

台湾と朝鮮半島だけです。

そのことにも驚かされますね。

現住所の登録はあっても戸籍はないのです。

それが現在の世界のありようです。

今後ますます少子高齢化が進む日本が、どのようにしたら生き残っていけるのか。

これは重要なテーマです。

口先だけの国際化ならばだれでも言えます。

しかし総論賛成、各論反対では話が先に進みません。

隣人に外国人が住み、親しく付き合えるのかというより草の根の思考から、この問題をとりあげてください。

その方がより力のあるいい文章になると思われます。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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