世説新語
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は漢文の中でも割合によく読まれる『世説新語』を取り上げます。
高校の授業でもいくつか取り上げたことがありました。
夏目漱石の名前の由来になった話などもあります。
「漱石枕流」(そうせきちんりゅう)がそれです。
聞いたことがありますか。
もともとこの言葉は自分の誤りを認めずに、負け惜しみから理屈の通らない言い逃れをすることを意味します。
ちょっと調べてみてください。
夏目金之助という人間に対する興味がわくかもしれません。
漱石というペンネームの元になった話が『世説新語』に載っているのです。
この本は南北朝時代に宗の劉義慶が編纂しました。
後漢末から東晋までの著名人の逸話を集めています。
ジャンル分けしてあるので、大変読みやすいです。
この時代に生きた様々な人物の言動や横顔が描いてあり、同時代の世相を掴むうえで、恰好の本になっています。
今回は蘇峻(そしゅん)の乱という327年から329年にかけて起こった東晋時代の話を扱います。
蘇峻が反乱を起こすと庾冰(ゆひょう)は南下する蘇峻に抗戦したものの、適いませんでした。
そこで任地を放棄して会稽へと敗走したのです。
庾冰は群卒の機転により、危機を免れました。
その後、この兵士に対して、恩賞を与える場面がここに示されています。
兵士は何を願ったのか。
その内容はあまりにも意外なものでした。
書き下し文を載せます。
少し難しいですが、是非、声に出して読んでみてください。
書き下し文
蘇峻(そしゅん)の乱に諸庾(しょゆ)逃散す。
庾冰(ゆひょう)時に呉郡為(た)り。
単身奔亡(ほんぼう)す。
民吏皆去るも唯(た)だ郡卒のみ独り小船を以て、冰を載せ錢塘口(せんとうこう)に出で、籧篨(きょじょ)もて之を覆ふ。
時に峻、賞募(しょうぼ)して冰を覓(もと)め、所在に属(しょく)して搜検すること甚だ急なり。
卒(そつ)は船を市渚(ししょ)に捨てて、因(よ)りて酒を飲んで酔うて還り、棹(さお)を舞はして船に向かつて曰はく
「何れの処にか庾呉郡(ゆごぐん)を覓(もと)むるに、此の中(うち)便ち是なりと。」
冰は大いに惶怖(こうふ)す。
然れども敢へて動かず。
監司は船の小にして裝の狭きを、卒狂酔すと謂(おも)ひ、都(す)べて復た疑はず。
自から送りて浙江を過ぎ、山陰の魏家に寄りて免るるを得たり。
後に事平らぐや、冰は卒に報ひて、其の願ふ所を適(かな)へんと欲す。
卒曰く「廝下(しか)自(よ)り出で、名器を願はず。少(わか)くして執鞭(しつべん)に苦しみ、恆(つね)に快く酒を飲むを得ざるを患(うれ)ふ。
其の酒を足らしめば余年畢(お)はらん。
復た須(ま)つ所なしと。
冰は為に大舍を起こして奴婢(どひ)を市(か)ひ、門内に百斛(ひゃっこく)の酒有りて、其身を終える。
時に謂(おも)へらく、此の卒は智有るのみにあらず。
且つ亦(また)生に達せりと。
現代語訳
蘇峻の乱の時、庾の親族は、逃げて方々に散らばりました。
当時、呉郡の太守であった庾冰は単身で出奔し、民衆も官吏も、みな逃げ去ってしまのです。
唯だ郡の兵卒1人が小船に庾冰を乗せて錢塘口に出て、彼を竹のムシロで覆い隠しました。
蘇峻は賞金を懸けて厳しく庾冰を捜し求めたのです。
至る所での捜索と検問は甚だしく厳しいものでした。
兵卒は船を市の傍の水際に捨て置き、その後酒を飲み酔って還ってきました。
船の棹を振り回して船に向けて、こう言ったのです。
「庾呉郡を探しているんだろう、彼は此の中にいるよ。」
冰は恐れおののいたものの、じっと我慢して動かずにいました。
捜査の役人は船があまりにも小さくて狭苦しいのを見て、兵卒を狂人で酔っていると考え、全く疑いを抱きませんでした。
兵士は自分で浙江を過ぎ、山陰の魏家に身を寄せて、その結果、冰はつかまらずに済んだのです。
後に事件が平定され、庾冰は兵卒に報いたいと思い、その願うことを適えてやろうとしました。
兵卒は言いました。
「私は卑しい身分の出で、名声や官位などは願ってもいません。
若い時から鞭で追い使われ、常々快く酒を飲めないことが悩みでした。
酒を十二分に足らせて下さるなら、これから人生の終わりまでもう何も望むことはございません。」
庾冰は兵士のために立派な屋敷を建てて、奴婢を買い与え、尾敷内に酒百斛を貯えて、終身面倒を見ました。
当時の人々は、この兵卒は、知恵が有るだけでなく人生の達観を得ていると言ったということです。
身の丈を知る
ここに示された内容が理解できたでしょうか。
少しも複雑な話ではありません。
人間の欲望には限りがないのです。
お金も欲しいし、地位も欲しい。
しかしそれが身についた途端、人間性までかわってしまうという話はよく聞きますね。
自分の身の丈を知るということくらい、難しいことはありません。
この兵士も、役職を望めば、その願いは叶ったのです。
しかしそれをしませんでした。
彼は唯一、のんびりとお酒を飲んで一生を終わらせたいと願いました。
そして、それがかなったのです。
人の幸せくらい難しいものはありません。
よく言いますね。
立って半畳寝て一畳。
まさにこの言葉通りです。
どれほどみごとな屋敷を手に入れたとしても、その人間が占めるスペースは決まっているのです。
だからこそ、身の丈を知ることは難しいです。
今まで随分と多くの人が出世や金銭を求め、その結果悲惨な人生を送ったことか。
あるいは自分が手にした金銭が元になり、親族にいさかいが起こることもありました。
どこが幸せのレベルなのか。
それを判断する能力こそが、その人の真骨頂でしょうね。
この知恵はどのようにしたら身につくものなのか。
あなたもじっくりと考えてみてください。
『世説新語』はさまざまな教訓に溢れています。
一度、手にとって読んでみませんか。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。