【話を複雑にすることの効用・内田樹】逆説の効果をねらった思考法

学び

逆説の効用

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は高校の国語教科書に所収されている評論を読んでみましょう。

タイトルは「話を複雑にすることの効用」です。

筆者の内田樹(たつる)氏についてはご存知でしょうか。

フランス現代思想を中心にさまざまな評論を上梓しています。

武道家の一面も持っているユニークな人です。

能についての対談集なども、観世宗家の観世清和と出版しています。

鮮やかな切り口が入試には絶好のテキストなのでしょう。

あちこちの大学で彼の文章が出題されています。

今回の評論は一風かわったものですね。

普通、話は複雑なものをより具体的なものに解きほぐし分析していくのが常道です。

しかしこの文章はその反対で、より複雑にしていった方がいいと論じているのです。

ちょっと驚きですね。

この書き方は一種の逆説から成り立っています。

逆説は一見矛盾したことを述べます。

ところがその本質はむしろ自分の論点を強調したい時に使うのです。

読者が驚いた瞬間に意識が内容に集中します。

緊張が走るのです。

それを次の瞬間に緩めます。

その結果、より効果的な理解がなされるというワケなのです。

緊張と弛緩のマジックとも言えますね。

心に刺さる

「急がば回れ」

「急(せ)いてはことをし損じる」

「かわいい子には旅をさせよ」

「負けるが勝ち」

「成功は失敗の元」

「急ぎの仕事は忙しい人に頼め」

身の周りで逆説のことわざを探してみると、案外たくさんあることに気づきます。

なぜこのような言い方をするのでしょうか。

逆説は心の中心に刺さるからです。

それだけ強いインパクトを持っています。

矛盾した内容を裏側から支えることで、読む人にある種の深い思考を訴えるのです。

筆者の文章も最初の部分は「3人寄れば文殊の知恵」という言葉から始まります。

知恵のある人が3人も集まれば、たいていのことは解決するというワケです。

それが世間の常識なのでしょう。

しかし船頭が多いと船が岸になかなかたどりつかないという言い方もあります。

つまり意見の違う人が何人もいると、結論が出ずにかえって混乱するというのです。

なるほど、そういうケースもありますね。

それならばどうしたらいいのか。

なにが最も手っ取り早い解決法なのか。

誰もがそう考えます。

そこに登場するのが、次の文章なのです。

「私の主張は間違っている可能性がある」という前提に立つ人間が3人集まると、間違った決定を下す確率が劇的に減少する」というのです。

自分の意見の正しさよりも「危うさ」をきちんと認識している人間がどれくらいいるのか。

そのことがどれほど大切かということです。

論争の本質

考えてみれば戦争というのは、まさにこの構造を現実化した姿でしょう。

自分こそが正しいという人間が正面から衝突すれば、すぐに戦争が始まってしまいます。

ウクライナ侵攻の現実をみれば、すぐにそのことが理解できるに違いありません。

しかしこの角度を少しずらしてみるとどうなるのか。

「私たちはそれぞれに間違っている部分を持っているが、その程度にはおのずと差があるので、1番誤りの少ないと多くの人が考える方法にひとまずはのろうという」という基本的なスタンスです。

少しだけ、自分を疑うということです。

それでも独断が入り込むことに違いはありません。

それはある程度仕方のないことです。

それでも、この方がいくらかいいというレベルでしょうか。

まさに本当の意味での「文殊の知恵」という論点を実践したことになります。

考えてみると、ディベートというのは単純な構造からできています。

どちらかが勝つか負けるかという二者択一の世界です。

「私は正しい」「あなたは間違っている」という選択肢しかありません。

しかし現実はどうでしょうか。

世界はそんなに単純にはできていません。

むしろ自分がどの点で相手より劣っていて、相手がどの点で自分より賢いか。

geralt / Pixabay

相互の関連の中で世界が構築されているのではないでしょうか。

本当に知能の高い人間とは、自分が他人より劣っている点を熟知している人といえるのかもしれません。

弁証法という論理学の大切な考え方があります。

一般に弁証法では「正」「否」「合」という名称をつけて論点の整理をします。

YesとNoを2つ並べたら、それぞれの論理構造を吟味し、より高次の概念を生み出すのです。

この繰り返しが、新しい考え方を生むというテーマはよくみられます。

確かに言うのは簡単ですが、困難で時間のかかる仕事です。

そこにはプライドという厄介な人間の野望も存在するからです。

折り合いをつける

筆者の文章には次のようなキーワードがあります。

それが「妥協」です。

政治は妥協のゲームだとよく言われますね。

その部分を抜き書きしてみましょう。

——————————–

「自分の主張は間違っている可能性もある」という前提に立つことのできる知性は自説を無限に修正する可能性に開かれている。

それは「今ここ」おいて付け入る隙なく「正しい」議論を展開する人よりも、将来的には高い知的達成にたどり着く可能性が高い。

「文殊の知恵」というのはできるだけ「単純な話」に全てを帰着させるという意味ではない。

そうではなくて、「対話的なモード」を通じて、できるだけ多くのデータを勘定に入れるということである。

話はどんどん複雑になってゆくのである。

そして、まことに不思議なことではあるが、話がどんどん複雑になるにつれて、話はどんどん早くなる。

話を複雑にするほうが話は早い。

—————————–

実にユニークな結論のつけ方ですね。

見事という他はありません。

あっけにとられているうちに、思ってもいなかった結論が飛び出てくるのです。

これこそが逆説の妙味です。

確かに「自分の主張は間違っている可能性」を多分に持っているという疑念を抱き続けた方が、脳は柔らかい状態を維持できます。

その果てに解決への糸口が早くみつかるのであれば、複雑になることの醍醐味がみえてきます。

面白い評論ですね。

これを小論文の課題文にすることも十分可能です。

この文を読み、考えたことを800字以内で書きなさい。

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ただしあなたの体験に基づいた内容にすることといったような設問があったら、どのようにまとめますか。

1度考えてみてください。

今回も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。

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