【コミュニケーション力・デジタル時代】他者への思いやりと想像力が命

学び

コミュニケーション力

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回はデジタル時代のコミュニケーション力について考えましょう。

1番難しい問題ですね。

最近、不登校や登校拒否の生徒が増えているという話をよく聞きます。

その理由を探していくと、最初にぶつかるのがコミュニケーション不全という言葉です。

他者と意思疎通ができない。

人と話すのが怖い。

自分の気持ちを素直にあらわし、ひどいしっぺ返しを食らった。

それ以降、思ったことを素直に話せなくなった。

日本人特有のケースかもしれませんが、同調圧力も強いです。

自分の主張はこらえ、集団のルールを守り和を乱さないという方向へ流れがちです。

「出る杭は打たれる」という表現がある通りです。

つねに周囲に目を配らなくてはなりません。

そのことに多くの生徒が疲れてしまうのです。

だから無理して学校へ行くことはないという結論に達するのでしょうか。

自然と足が遠のいていきます。

さらにデジタル化への変化もあります。

顔をあわせることもなく、短い言葉の断片や情報が飛び交っています。

瞬時に返事を返さないと、仲間から無視されるのではないかという怖れから、スマホを手ばせなくなるといった症状もあります。

コミュニケーションと一言でいっても、その内側はかなり複雑です。

言葉を使い、他者と意思疎通をするのは大変に難しいことです。

まずそのことを認識しなくてはなりません。

小論文のテーマ

設問としてよくあるのは、「他者とのコミュニケーションで信頼関係を築くにはどのような点に注意すべきなのか。あなたの考えを書きなさい」というものです。

課題文が添付してあるケースもかなりあります。

特にSNSなどの問題をとりあげて、問題点を探っていこうとするものです。

解答として最もよくあげられるのは、信頼関係の構築のために何をするべきなのかということです。

その時、よく使われる表現に「他者への思いやり」という表現がよく出てきます。

誰もが1番ふさわしい切り口と感じるのではないでしょうか。

Tumisu / Pixabay

しかしなぜ「思いやり」が大切なのかということの説明をきちんとしない限り、自分勝手な文章になりがちです。

わかりやすくいえば、「お互いを思いやること」がなぜ信頼関係を築くことに有効なのか。

その点を明確に論じていく必要があります。

小論文の場合は、特に論理が必要です。

ただ「~と思った」といった感想文や「体験談」に近いものだけでは、高い評価を得ることはできません。

こういう問題のとき、自分はどういう点でコミュニケーションをとることに苦労したのかという経験を振り返ることも大切です。

それが大きな気づきに繋がっていれば、そこから何を発見したのかという文章に発展させられるからです。

よく言われる言葉にこういうのがあります。

それは「伝わったことが伝えたこと」というものです。

この表現は、伝達ということの意味を一言で述べていますね。

実にわかりやすいです。

しかしその意味は深い。

ここをよりどころにして深掘りしていくというのも、方法としては考えられるでしょう。

伝わったこととは何か

ここでもう1度、振り返りましょう。

あなた自身がどんな問題を抱えているのか。

それを踏まえて書けば、圧倒的に説得力が増します。

ヤマアラシのジレンマという言葉を知っていますか。

鋭い針毛を持つヤマアラシは、互いに寄り添い合おうとします。

すると、自分の針で相手を傷つけてしまうため、ある距離以上は近づけないのです。

もっと相手を知りたいと傍へ寄ることが、結局は相手を遠ざけてしまうという結果になります。

あるいは緊張すると、体中の針をピンとはりめぐらせます。

その結果、相手は遠くへ去ってしまう。

相手のことを深く知りたいと思うのは、ある意味当然のことです。

無関心であり続ける限りは、なんの痛みもありません。

しかし1歩踏み込むと、そこは厄介な主戦場になってしまうのです。

これが同じ文化圏内であれば、なおのこと、面倒なケースが起きます。

またグローバル時代に異文化との接点を積極的に探そうとすれば、かえって摩擦が起こるということも当然あるのです。

となると、性急な近寄り方はやめるべきでしょうね。

leovalente / Pixabay

しかしSNSなどのデジタルツールはすぐに鼻先にやってきます。

面と向かって話をするのなら、ある程度の遠慮もそこには生まれます。

ところが単刀直入の短い文のやり取りは、微妙な距離感を拭い去りがちです。

微妙な言葉のニュアンスをつい省略してしまうのです。

見直さずにそのまま相手に送ってしまったメールがもとで、関係を壊してしまうということもよく聞きます。

「仲間外れ」が怖くて、そのSNSのグループから抜けられないケースもあります。

あるいは、すぐに別のグループをつくり、気に入らない人を放逐する場合もあるのです。

距離感のとりかた

親しくなることは大切です。

しかしその程度は時と場合によります。

実はここが1番難しいのです。

どのように判断すればいいのか。

全ての経験が必要でしょうね。

本を読んで学ぶ内容ではありません。

場数を踏んで身体で覚えるのです。

それ以外に方法はないのではないでしょうか。

そのポイントを小論文の形にして書くのは大変です。

しかし採点者はそこをみています。

リアリティがどこまであるのかというのは、コミュニケーションの問題の場合、ずっとついて回ります。

一般論だけでまとめることも、もちろん可能です。

しかしそれでは説得力のある結論にはなりません。

通信技術の発達は、意思疎通の形を大きくかえました。

しかし本当に相手に伝わったのかどうか。

自分の主張がきちんと理解してもらえたのか。

それが最も大切な問題なのです。

実際に会って目を見ながら、微妙な空気感を伝える。

それが最上の方法だという結論を導いてもかまいません。

あるいはリモートワークでできるように、会話も通信で可能だという考え方もあるでしょう。

大切なことは「伝わったことがすべてだ」ということなのです。

もし顔を見なければ「伝わっていない」のだとすれば、コミュニケーションの形を根本から考え直さなくてはなりません。

コミュニケーションが取れているという状態は何をさすのでしょうか。

時間なのか、質なのか、量なのか。

その問題をきちんと把握し、捉えてからでないと、小論文はうまく機能しません。

来年もこのテーマは多く出題されると思われます。

近年の国語能力開発の中で、コミュニケーションは最大のテーマです。

そのために論理性をいかに身につけるのかというのも、喫緊の問題です。

ぜひ、じっくりと取り組んでください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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