【小論文・序列性】社会のタテマエが現実をこじれたものにする【病理】

小論文

序列性

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は日本の病理について考えます。

それは何かといえば、劣等感コンプレックスです。

日本人は平等意識の強い民族です。

みんな能力はそれほどかわらないと思っています。

それなのに差が生じるということは、本人の努力が足りないと考えがちです。

しかし欧米では学力差からの劣等感コンプレックスは少ないと言われています。

教師はタテマエで平等を唱えがちです。

しかしその一方でつねに序列性に囚われているのです。

教える側のそうした態度が親や生徒に伝わらないワケがありません。

偏差値で学校を輪切りにしていくといった教育が平然とまかり通っているのです。

劣等感コンプレックスを抱くなという方が無理でしょう。

課題文は臨床心理学者、河合隼雄の『母性社会日本の病理』からとられています。

誰もが確かにそうだと納得してしまうような内容です。

問題はこの文章を読んであなたの考えを800字以内で書きなさいという、ごくオーソドックスなものです。

通常、設問の中にヒントがたくさん散りばめられているものです。

それを足掛かりにして、先へ進んでいけば、なんとか解答ができます。

しかしこのように漠然と感想を書けといった問題の場合、一気に難しくなります。

どこから読み取ればいのでしょうか。

最初に具体例は省きます。

抽象的な一般論の中で、何度も訴えている部分がポイントです。

解答はYesNoのどちらの立場からでも書けます。

より筆が進みやすい方から攻めるのがいいでしょう。

以下に課題文の一部を載せます。

じっくり読んでみてください。

課題文

日本の序列制が身分や年齢など運命的と思われるものによって基礎づけられているとき、その序列差によって不合理なことは多く生じるが、その個々人が自分の存在価値を疑うことがあるにしても、それは運命という不可解なあるいは個人の責任を超えたものに向けられるものであった。

それが、身分という不合理なものを破った後に、西洋の真似をして、われわれも個人の能力や努力を認める方向に変化してきたが、問題はいまだ一応な序列性の意識を保存している点にある。

したがって学校における点数のわずかの差によって人間の存在価値が決まるように思い、(子供たちよりも親の方が強くそう思っている)少しの「差をつける」ための過当競争が生じる。

また教師の方も過当競争の中で差を見出すためには、それを可能にする試験問題を作成しなければならない。

この点に関心のある方で、小学生の子供を持っておられる方は、その試験問題をこのような観点から見ていただきたい。(中略)

能力差がみじめさにつながる基盤として、不思議なことであるが、日本人の平等信仰があることも見逃せない。

我々の平等信仰は非常に根強いので、全ての人間は平等の能力を持って生まれていることを無意識的に前提としている。

そこで学力差が生じてくると、その差をそのままその人間の存在価値にまで拡大してしまうのである。

差がないはずなのにあるということは、本人の努力が足りないとか心がけが悪いとみなされる。

これでは下積みになったものはたまらない。

平等信仰と序列制が結びつくとき、実に多くの人に、惨めさや劣等感コンプレックスを持たせることになる。(中略)

劣等感コンプレックスが生じるもうひとつの条件は、自分の能力の程度が明確に把握できないことである。

自分が何かに対して劣等であることを認識し、それが自分の存在を脅かさのことが分かったとき、人はコンプレックスを持たない。

判断が不安定な時はそのこと自身が不安の源泉となり、コンプレックスを生み出す。

キーワードは何か

このような小論文の場合、賛否どちらの立場でも書けます。

練習のつもりで、あえて書きにくい方からトライしてみるのも1つの方法です。

ポイントは序列化教育です。

これがキーワードの最大のものですね。

課題文に賛成の場合は序列化教育には多くの問題があるという立場です。

多様性のある教育がなされなければならないということです。

一方、課題文に反対の立場はどうでしょうか。

確かに日本の学校は序列化意識が強い。

しかしこれはどこの国にもあることである。

もし競争意識を捨ててしまうと、現実の社会の厳しさの中で生き抜く力をもつことができなくなる。

それゆえ、ある程度の序列化は必要不可欠なのではないか。

この2点に集約されます。

あなたならどちらの立場に同意しますか。

かつて、あまりに競争させるのはよくないということで、小学校の運動会などでも順位をつけずに全員が同時にゴールするということがありました。

しかしそのため、目的を持てない児童が多く出たともいわれています。

彼らはどこへいったのか。

塾へ流れ込んでいきました。

学校を温室にするということにも、一理あります。

それだけに議論の余地がありますね。

一般的に小論文の場合は筆者の論点にただ賛成するだけだと、インパクトが弱いと言われています。

むしろ反論する方が、強く見えるのです。

しかしこの問題の場合はどちらにも難しい問題があり、簡単には判断できません。

筆者の立場

筆者は課題文の中で、何を心配しているのでしょうか。

そこをよく考察してください。

序列社会では序列の上位にたったものが優越意識を持ちやすいという問題があります。

序列からはずれた生徒はどうなるのか。

今日、よくいわれる不登校などの学校不適応はこうした背景から生まれやすいと言われています。

社会に出た段階でいえば、リストラや離職、解雇などのリスクにさらされやすいのです。

大学を卒業した人とそうでない人との賃金格差もあります。

さらに大学の序列化ということも賃金に反映しています。

少子化の中で、少しずつ、そうした面が薄れていると指摘する人もいます。

しかし反対により先鋭化し、一部の大学付属の学校などに受験生が殺到するという現象も起こっています。

なぜ日本人は序列制を捨てられないのか。

geralt / Pixabay

これは日本人だけに限ったことでないのはいうまでもありません。

しかし問題がこれだけ顕著にでてくるということは、そこに民族特有の考え方があるとする論点も可能でしょう。

個人の能力にそれほどの差異はないとする論点もあります。

親ガチャなどと呼ばれる、出自の問題も大きくなります。

どのような家に生まれたかによって、その後の人生が大きく変化する可能性もあるのです。

自分の価値をどのようにすれば高められるのか。

コンプレックスを抱かずに成長し、学びを続けていくにはどうすればいいのか。

さまざまな角度から問題を掘り下げることが可能でしょう。

これは学校教育だけの課題ではありません。

その背後にある日本社会の人間観の問題でもあるのです。

考察をさらに進めてください。

今回も最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

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