【小論文・物質主義】価値観多様化の時代を生き抜く力【コロナ禍】

学び

現代の不安

みなさん、こんにちは。

小論文添削歴20年の元高校国語科教師、すい喬です。

今回は価値観の多様化に揺れる現代そのものを取り上げます。

コロナ禍の中で、多くの人が不安と向き合いました。

明日の自分がどうなるのかさえ、わからなくなったのです。

世界が一瞬にしてその姿をかえました。

昨日まで賑わっていた通りから、人々の姿が忽然と消えました。

やがて町の封鎖。

病院で次々と起こるクラスター。

死者の増加。

人間の持つ本質的な不安をこれだけ増大させた現象はないといえます。

mohamed_hassan / Pixabay

人間は本質的に移動を繰り返す動物です。

近代科学は多くの乗り物を開発しました。

短時間で地球を一周することも可能になったのです。

それと同時に病原菌も世界を駆け回りました。

社会が引き起こした新しい感染症の姿といえるかもしれません。

これほどに豊かな時代がやってくるとは思ってもみませんでした。

かつては三種の神器といわれた家電も、今では壊れたら買い替えるだけの道具に過ぎません。

自動車に興味を持つ人も極めて少なくなりました。

休日にドライブを楽しむという図式がないワケではありません。

しかし今や自家用車はもっぱら移動のための手段になりつつあります。

特に地方においては完全に移動が目的の中心です。

家族が全員1台ずつ所有しているという構図も当たり前のようにみられるのです。

スマホの洪水

一方、爆発的な販売量を誇っているのがスマートフォンです。

誰もがスマホを持ち、情報は世界を飛び廻っています。

さまざまなアプリが開発され、持っていないとあらゆる場面で不便を感じるようになりました。

コロナとあわせてキャッシュレス化は進む一方です。

さらに5Gの時代に入り、情報量、スピードが以前の比ではありません。

こうしてみると、殆どの人が何不自由のない暮らしをしているようにみえます。

しかし皆が幸福になったのでしょうか。

ここからがまさに小論文のテーマです。

消費社会が浸透し、多くのものに囲まれて、一見安楽な生活を送っているようにみえます。

その心の中はどうなのでしょうか。

何に満足と不満を抱いているのか。

岩波新書のベストセラーに『豊かさとは何か』という本があります。

暉峻淑子さんの著書です。

この本が上梓されたのはまさにバブルの真っ最中でした。

あれから30年近くが経ちます。

しかしここで指摘された問題はほとんど解決されていないままです。

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確かに経済的には豊かになりました。

その一方で、環境破壊、過労死、格差社会、高齢化など深刻な現象にこと欠きません。

国民にはゆとりも豊かさの実感も殆どないのが現状です。

日本の社会は豊かさへの道を踏みちがえたのでしょうか。

未来への処方箋はあるのでしょうか。

あふれる物質主義

価値観が多様化しています。

かつてのように皆が貧しかった時代は、誰もが我慢という言葉を知っていました。

しかし今、我慢は美徳ではありません。

小学生にとってユーチューバーが憧れの職業だということに驚きを禁じ得ないのです。

少ない労力で短時間に多くの金銭を得られるというイメージがあるのでしょう。

全てに経済が優先する社会がそこにはあります。

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経済力のある人はそれだけで優秀な人間であるという判断をされがちです。

それもなるべく短時間での労働であればあるほど評価されるのです。

精神を大切にした時代はとうに過ぎ去り、目に見える物質が重視されます。

短時間でお金を楽に稼げる仕事が最もリターンが多いというワケです。

その最右翼にいるのがユーチューバーなのです。

実際は大変な労力が必要ですが、子供たちにそこまでは見えません。

どこからこういう考えがきたのか。

まさにアメリカ型の物質主義といえるでしょう。

日本人がかつて持っていた儒教的な考えは瞬く間に消え、ものを所有することの価値だけが前面に飛び出たのです。

ヨーロッパ型の個人主義もこれを後押ししました。

他人の考えに口を挟まない。

他者の価値観を尊重する。

まさに現代人は多様性という言葉に踊らされているのかもしれません。

個性、独創性といえば新しいものを生み出す生命の源に見えるのです。

世界は大きく動いています。

誰にもこの変化の先行きが見えません。

だから何も言えないのです。

コミュニティの喪失

今や個人情報は錦の御旗です。

自分の情報を発信しないということが異常なくらいに進んでいます。

かつて学校では必ず生徒名簿が配布されました。

そこには住所、電話番号、親の名前、職業まで印刷されていたのです。

進学先一覧や実力テストの点数なども校舎内に掲示されました。

地方新聞などでは進学先の掲載はごく当然のことでした。

世間が異常に狭かったのです。

現代ではもう神話に近いですね。

いつの頃からか、個人情報の公開が全く行われなくなりました。

今日、他人の子供を注意するにはよほどの勇気がいります。

suju / Pixabay

地域社会が子供を育てるという感覚も消えました。

都会のマンションなどでは、どこに誰が住んでいるのかを把握することもできません。

自分を確認する方法を失いつつあるのかもしれないのです。

まさに現実感のない位相空間を漂っているだけの存在。

その間を縫って走るSNSの情報。

それが現代の私たちなのかもしれないのです。

一言でいえばアイデンティティの喪失でしょう。

この流れがどこへ進むのかは誰にもわかりません。

コミュニティを失いつつあるのですから、自分の家以外に閉じこもる場所はないのです。

だからといって家庭の中がうまくまとまっていると言えるのかどうか。

それさえも怪しいのが現状です。

自己と他者との境界線上を危うい形で歩いているのが現代人そのものなのです。

価値観が多様化したといって単純に諸手をあげていればいいという段階ではないでしょう。

都会での孤独死などの報道は後を絶ちません。

まさに無関心の行きついた先端の姿そのものです。

コロナ禍はまだ続きます。

すぐに終息するとは思えません。

これからの時代をどのように生き抜くのかというテーマは喫緊です。

必ず入試にもさまざまなバリエーションで登場するものと思われます。

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もう1度真剣に考えてみておいてください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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