【小論文・自由の本質】社会との関わりの中で喜びを得る自在感とは

小論文

自由の本質

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は自由ということの本質について考えてみます。

この小論文は次の2つの問いから構成されています。

問1 筆者が述べている「自由の本質」とはどういうことか。本文に即して80字以内で答えよ。

問2 あなたが考える自由な生き方について「筆者の考えを妥当だと考えるか否か」をその根拠とともに明らかにしながら、800字以内で論述せよ。

どちらの問題もきちんと課題文を読み込んでいないと書けません。

どのような文章が出題されたのでしょうか。

全文は長いので、一部だけ掲載します。

筆者は映画監督の押井守です。

全篇が対立の構造でまとめられています。

2人の人物が登場します。

その違いは大変にわかりやすく表現されています。

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ここにふたりの人物がいる。

ひとりは社会から逃げ、結婚から逃げ、家族からも逃げて、自分の世界に引きこもっている若者だ。

片や、妻子を背負い、仕事に明け暮れるオヤジがいる。

一見すれば若者は自由だ。

朝、誰にも起こされることはない。

今日1日どう過ごしてもいい。

起きて、メシ食って、インターネットにアクセスして、寝たくなったらまた寝ればいい。
オヤジはそうはいかない。

朝は起こされ、背広を着て、満員の電車に揺られて会社にいく。

だが僕の目には、若者は自由だとは全く見えない。

少なくともオヤジは二つの世界を持っている。

家庭と会社だ。

家庭では頼りにされているだろうし、どんな仕事だろうと、オヤジは会社を通じて社会と結びつき、社会に影響を与えている。

一方ネットだけで社会とつながる若者がどれほど社会に影響を与えていると言えるだろうか。

典型的なパターン

筆者はここで絵に描いたような2人の人間を描写しています。

これが導入部分です。

ここから問題意識が提示されます。

対立の構造を読み取ってください。

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この社会で他人の人生と関わり、他人の人生を背負いこむことぐらいに楽しいことはない。

それは恋愛でも、結婚でも、就職でも、起業でも、同じことである。

逆に言うと誰からも必要とされない人間ほど寂しいことはない。

人は誰かから必要とされて本当の生の喜びにひたれる。(中略)

「仕事が楽しい」というのは仕事を通じて社会につながるのが楽しい、ということなのである。

先ほども述べた通り、社会という人間の群れの中で自分の定位置を得ることでしか、人間は喜びを得られない。(中略)

一方、引きこもりの青年は自由でいようとして、他人との関わりを切り捨て、結局は不自由になってしまった。

このことに気づかなければ自由の本質は見えてこない。

社会とつながっていたいという欲求は、人間が動物として持っている本能に起因するものである

それは、外で働くオヤジだけでなく、家にいる主婦だって同じだ。

誰もが社会の中で、一定の位置にいたいと思うのが、人間の自由な姿なのである。

対立の構造

この文章は非常に理解しやすいですね。

誰が読んでも筆者の立場がきちんと把握できるはずです。

この対立点が読み取れないとしたら、国語力を根本的に鍛えなおす必要があります。

小論文の課題のレベル以前です。

評論の読み取り方を勉強しなおすべきでしょうね。

まだ時間はあります。

焦ってはいけません。

ポイントをおさえましょう。

筆者の立場はもちろんオヤジに代表されるものです。

それは何か。

社会との接点をもち、自分の位置を推し量ることができる人物です。

誰かの役に立っているという実感を少なくとも持っています。

そのことが生の喜びに繋がっているのです。

もう一方は家に引きこもっている若者です。

社会との接点を何も持っていません。

自分が何者であるのかというアイデンティティを社会のものさしでは計れません。

つまり他人から必要とされる喜びを知らないのです。

社会に影響を与えているという実感を持てないまま、生の喜びを得られません。

この内容が問1の解答になっていればいいでしょう。

ちなみにこの問1は問2のための導入です。

ここできちんと内容を整理して、次の問題に臨まなくてはなりません。

根拠を示すことの大切さ

問2では「筆者の考え方を妥当だと考えるか否か」をその根拠はともに示しながら、文章を進めなくてはなりません。

つまりYesNoをはっきりさせろと要求されているのです。

さらにその根拠も示せとあります。

この2つのポイントを抜いてしまったら、評価は一気に下がります。

基本的にどの立場から書いても、論旨が一貫していれば、特に問題はありません。

しかしこの問題の場合、筆者の視点にNoをつきつけるのは難しいのではないでしょうか。

社会との接点を持たなくても、生の喜びは得られるとする論点を前面に出すのは危険です。

かなりの独自な体験があったとしても、多くの賛成を得られるとは思えません。

むしろ筆者の立場を後ろから補完する形で影をつけ、理解しやすくするといった方法が1番妥当でしょう。

なぜ引きこもってしまうのか。

人間関係を構築できなかった理由がポイントです。

文明病といえるものかもしれません。

テレビやコンピュータゲーム、ネットなどはある意味、自分の思い通りになるシステムです。

そこでの安息が長期にわたった時、人はリアルな人間との関係をつくれなくなってしまうのかもしれないのです。

このままではいけないという焦りが、かえって深みにはまる理由だといえるでしょう。

他者との関係による不自由が人を鍛えるということは当然あります。

少しずつでも共有感をもって他者と暮らしをしてみるということが必要なのではないでしょうか。

山奥ニートなどの本も出ています。

その内容に対する言及などを通じて、他者と触れることの喜びや達成感を知ることの意味は大きいでしょう。

自分の体験にそれと似たようなものがあれば、ごく手短にまとめるという方法もあります。

問2は根拠を示すことがとにかく大切です。

それなしに文章を構成しても失敗します。

1度トライしてみてください。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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