【水のいのち・高田三郎】合唱曲の中でも異例の人気を誇る無垢な作品

ノート

無垢な音

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今日はぼくの好きな合唱曲の話をさせてください。

もちろん、これがベストだなんて簡単には決められません。

好きな曲はたくさんあります。

中学、高校時代を通じてずっと合唱をやってきました。

人の歌声というのはどうしてあんなに澄んできれいなのでしょうか。

ハーモニーがつくる不思議な領域です。

男声、女声、混声にそれぞれの美しい響きがあります。

以前10年ほど勤めていた学校が合唱の盛んな高校でした。

毎年、NHKの学校音楽コンクールで最優秀賞を手にしていたのです。

その関係で、多くの名曲に触れる機会を得ました。

合宿などに同行させてもらったこともあります。

自分自身の合唱経験とあわせて、本当に幸せな時間でした。

別の学校に異動してからも、その高校のOBがつくる合唱団のコンサートを楽しみにしていました。

ハーモニーの余韻がホールを包む瞬間はいいですね。

言葉にはなりません。

今までどれくらいの合唱曲を聞いたのでしょうか。

自分でもはっきりとはわかりません。

その中でもこれがベストだろうと感じる作品があります。

「水のいのち」がそれです。

御存知ですか。

日本の合唱曲の中でも特に人気の高い作品です。

合唱をやっている人で知らない人はいません。

それくらいに有名な曲なのです。

芸術祭

1964年度文化庁芸術祭参加作品として、TBSの委嘱により作曲されました。

その年の芸術祭奨励賞を受賞したのです。

混声合唱版の楽譜だけでも100刷を超えているといわれています。

男声、女声版もあるというだけで、人気のほどがわかります。

作曲家高田三郎は2000年に86歳で亡くなりました。

あれから既に20年が過ぎています。

しかし彼の作曲した音楽は人の心を引き付けてやみません。

幼ない頃から教会に通い、40歳のときに洗礼を受けました。

カトリックの信徒だったのです

彼の音楽の中にある無垢な響きはそこから来ているような気がしてなりません。

「水のいのち」の中にも「ゆるす」という言葉が何度かでてきます。

「許しあえぬもの」のためにそれでも雨よ降れという歌詞に、この作曲家のこころざしの深さを感じるのです。

詩は高野喜久雄のものです。

詩と音楽の響きあいによって成立した稀有な例ではないでしょうか。

全体が慈愛にみちた心やさしい曲なのです。

構成は「雨」「水たまり」「川」「海」「海よ」の5曲からできあがっています。

特に最初の「雨」は最も有名です。

詩と音楽とのコラボレーションがみごとというしかありません。

終始静かに進みます。

しとしとと落ちる雨が目にみえるようです。

どんな人の心の中にも慈愛の雨が降り注ぐ様子をうたっています。

詩を紹介しましょう。

降りしきれ 雨よ 降りしきれ
すべて 許しあうものの上に また 許しあえぬものの上に

ここには自分がありのままの自分でいていいという救済の響きがあります。

というより、自分は自分でいなければいけないという強いメッセージがあるのです。

そのものでいなさい、そのために雨よ降りなさい、という詩人のやさしい心がこの曲を完全なものにしています。

自己同一性という言葉はまさにこの詩のためにあるのかもしれません。

他のものになってはいけない。

Pexels / Pixabay

あなたはあなたなのだから、その存在を無にしてはいけません。

必ず許されるのですという心のこもった詩です。

この曲を聴くと、いいなとしみじみ感じいってしまいます。

「水のいのち」というタイトルからもわかるように、人間の根幹をなすいのちを支えるものは水だという発想で書かれた詩です。

それは文字通りの水だけではありません。

言葉もそうです。

人を支える言葉も十分、慈愛に満ちて降り注がなければなりません。

8分の6拍子というリズムできざまれる「雨」は日本の合唱曲の代表といってもいいでしょう。

非常に美しく、しかし難しい曲です。

「水たまり」もいい詩です。

最後のところが1番好きなフレーズです。

ぼくはこの曲を聴いているうち、詩の内側にのめりこんでいく自分を感じることが何度もありました。

苦しいくらい一途な気持ちが滲み出ています。

最後の「海よ」は海に戻った水のいのちが再び空に昇り、雨となり川となる様子を歌っています。

生と死が繰り返されるのです。

悲しみに満ちています。

それでも人は生きなくてはなりません。

最も長い曲です。

この組曲は起伏に富んだスケールの大きな構成の作品です。

機会があったら是非聴いてみてください。

Youtubeにもたくさんアップされています。

心の四季

高田三郎の曲にはこの他に『心の四季』という美しい作品があります。

これは吉野弘の詩に音をつけたものです。

自然の美しさと哀しみをうたっているものだけに、心をうちます。

実に淡い、それでいてきれいな曲です。

この作品は弱いけれども、芯の強い曲ですね。

大好きです。

風が桜の花びらを散らす
春がそれだけ弱まってくる

見えない時間を桜と雪が象徴しています。

人が生きるということは見えない時間の中を進むのに似ています。

2度と戻れない一方通行の道をただ前へ歩く以外に方法がありません。

だれにも拒むことができないのです。

それがどれほど哀しいことなのか。

mohamed_hassan / Pixabay

やがて人は知る時があります。

輪廻を繰り返しながら、生きていく人のいのち。

それを見事に描き出した名曲です。

高田三郎の世界に触れると、言葉がなくなリます。

まさに実感です。

是非、この2つの合唱曲を聴いてください。

2人の詩人の言葉に対する感受性は並外れています。

彼らの詩を読んでいると、ぼくはどうやっても詩人にはなれないなと感じます。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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