【夏目漱石・硝子戸の中】短編の味わいここに極まれり【日常風景】

日常風景

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

最近は漱石の作品が青空文庫で読めるようになりました。

明治は遠くなりにけりですね。

タブレットなら活字の大きさも自由自在。

誠にありがたいです。

夏目漱石という人は不思議な作家です。

無性に読みたくなる時があるのです。

彼の持っている文体が自然に引き寄せるのかもしれません。

言文一致体とよくいわれますが、実に読みやすいです。

もちろん複雑な表現の入った初期の作品は別です。

『草枕』などはちょっと噛みごたえがありますね。

短編は味わいが深く、何度読んでも飽きません。

なぜでしょうか。

『文鳥』などは好きな作品です。

可愛がっていた文鳥が死んでしまいます。

その描写がとても生々しいのです。

読み終わった後、なんとなん悲しい。

しかしいい作品を読んだなという満足感にあふれます。

やはり上手だとしか言えません。

彼はかなりの短編を書いています。

英文学に取材した難しい作品もあります。

そうした短編の中で『硝子戸の中』は出色ではないでしょうか。

今まで、ずっと「硝子戸のなか」と読んでいました。

しかし岩波文庫には「硝子戸のうち」とルビがふられています。

全く考えたこともありませんでした。

ぼくにとっては新発見です。

どちらでもいいですが、漱石と岩波書店の付き合いは長いですからね。

岩波茂雄

岩波書店の創始者、岩波茂雄は漱石の門人でした。

彼が書店をやりたいと言った時、漱石はこれから自分の書く本は全て岩波から出版すると約束したのです。

それが今日の岩波書店を築く礎になりました。

岩波と漱石との信頼関係は絶大なものがあります。

文庫本のルビに「硝子戸のうち」とあったのには驚きました。

これから注意してチェックしてみます。

『硝子戸の中』は大正4年、夏目漱石が亡くなる前年に「朝日新聞」に39回に渡って連載された随筆です

はじめて手にとったのは高校生の頃でした。

当時岩波文庫は定価制でした。

星のマーク1つが50円だったのです。

『硝子戸の中』は薄い本でした。

星が1つしかついていませんでした。

50円だったのです。

バス代が30円の時代でした。

そういう意味ではあまり安くなかったのかもしれません。

この本にはなんということもない作家の日常が表現されています。

ああ、漱石という人はこういう風に生活していたんだなということが、とてもよくわかります。

彼の自伝と言われている『道草』に出てくるような話もあります。

しかし大概は他愛もないエッセイの積み重ねです。

読んでいて一番に感じるのは、この作品が全編を通じて末期の眼に彩られているということです。

多くの登場人物の死がここではごく自然に描写されています。

あんな元気な人が自分より先に死ぬはずがないのに、どうして自分はこうやって病気をし生きているんだろうといった表現が、あちこちに散りばめられています。

身の上話

なんということなしに入った床屋の主人が、共通の知り合いを持っていて、そこから話が懐古談に発展します。

かつての寄席や妓楼がごくさりげなく登場するのです。

あるいは勝手に送りつけてきた色紙に賛を書けと要求する人物の話。

イライラしながら、それでも突き放したりはしません。

自分の身の上話を小説にしてくれないかと懇願してきた女性の話は傑作です。

自分はどれほど不幸な人間かということを漱石に打ち明けにやってくるのです。

人がいいといえば、それまでです。

しかし断れない。

家にあげて、話を聞いてしまうのが漱石という人なんでしょう。

帰るときの様子が目に浮かぶようです。

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次の曲り角へ来たとき女は「先生に送って頂くのは光栄で御座います」とまたいった。

私は「本当に光栄と思いますか」と真面目に尋ねた。

女は簡単に「思います」とはっきり答えた。

私は「そんなら死なずに生きていらっしゃい」といった。

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Capri23auto / Pixabay

漱石は一生、お金の苦労をした人です。

そのあたりのことは『道草』を読むとよくわかります。

1度は養子に出され、再び夏目の姓に戻るまでにはかなりの時間がかかりました。

大学で教えるようになると、養父が金を無心にきたのです。

祖父母だと思っていた人たちが実は父母であることを知った時の驚きは深いものだったでしょう。

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戦争に出た経験のある男に、「そんなに隊のものが続々斃れるのを見ていながら、自分だけは死なないと思っていられますか」と聞いたら、その人は「いられますね。大方死ぬまでは死なないと思ってるんでしょう」と答えた。

私も恐らくこういう人の気分で、比較的平気にしていられるのだろう。

それもそのはずである。

死ぬまでは誰しも生きているのだから。

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こんな記述の中にも彼の死生観がのぞいています。

偏屈な人

読んでいて感じるのは、漱石という人はかなり偏屈な人だったという印象です。

ことに家族に対してはひどかったようですね。

妻の鏡子さんが書いた『漱石の思い出』にもかなり気むずかしい夫の一面が描かれています。

学習院で講演した時の礼金についての話など、そこまで堅苦しく考えなくてもいいのにと思わせるものもあります。

ちょっと抜き出してみましょう。

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私が去年の十一月学習院で講演をしたら、薄謝と書いた紙包を後から届けてくれた。

立派な水引がかかっているので、それを除して中を改めると、五円札が二枚入っていた。

(中略)一口でいうと、この金は私にとってけっして無用なものではなかったのである。

世間の通り相場で、立派に私のために消費されたというよりほかに仕方がないのである。

けれどもそれを他にやろうとまで思った私の主観から見れば、そんなにありがたみの附着していない金には相違なかったのである。

打ち明けた私の心持をいうと、こうした御礼を受けるより受けない時の方がよほど颯爽していた。

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かなり偏屈だと思いませんか。

しかしつまらない短編を読むのなら、漱石の方がずっと味わい深いのではないでしょうか。

qimono / Pixabay

末期の眼がこれほど奥まで貫いていることは、今回読み返してみるまで気がつきませんでした。

これも名品の所以でしょうか。

明治という時代の東京での暮らしぶりも目に浮かびます。

時間があったら是非手にとって読んでみてください。

青空文庫からダウンロードすることもできます。

昔はいい時代だったなといえば、それまでです。

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全てが漱石だけに見えた風景なのかもしれません。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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