病者のモノローグ
みなさん、こんにちは。
小論文添削歴20年の元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は毎年出るパターンの問題を考えます。
医療系の入試において必ず問われるのが「死」の問題です。
ある意味で究極のテーマともいえるでしょう。
医療に従事する人間にとって避けて通ることのできないテーマです。
題材として扱うのは浜松医科大学にかつて出題された問いです。
文章はあまりにも短いモノローグのようなものです。
課題文型として認識するのは無理でしょう。
やはりテーマ型の出題と考えてください。
決してやさしくはありません。
自分で全ての場面を構築し、その中で発言できる内容をかためていくのです。
課題文型よりずっと書くのは大変です。
文章は以下の通りです。
![](https://suikyoblog.com/wp-content/uploads/2019/11/undraw_composition_oskp-1024x708.png)
じっくりと読んでみてください。
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1人の病人からこう問われたとする。
「私は、もう助からないんだよね」
あるいは
「私は、もうすぐ死ぬんだよね」
その病人はあなたの唯一無二の親友である。
この問いかけに対して、あなたならどのように応えますか。
なぜそう応えるのが望ましいと考えますか。
800字以内でまとめなさい。
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以上です。
立場をどこに据えるか
ヒントはどこにあるのでしょうか。
通常の医療系小論文にないパターンをあえて探してみると、立場の差異が出てきます。
医師、看護師の立場にいる人を相手に問うた内容ではありません。
唯一無二の親友としての位置に限られているケースです。
あくまでも一般論で、医療者としての論点ではありません。
家族でもなく、親友であるという立地点から文章をまとめるのは、結構難しいです。
他の立場の人にはみえてこないところから論旨を展開しなければなりません。
「義務」でもなく、「愛情」だけでもない。
![](https://suikyoblog.com/wp-content/uploads/2019/09/患者_1569112784-1024x682.jpg)
人間としての「共感」と「情」を前面に出してまとめていかなくてはならないのです。
親や兄弟とはまた違う視点です。
情はあるものの、いろいろな悩みや喜びを話し合ってきた仲です。
逆にいえば、家族にも話せなかったことがあるはずです。
胸の底までの思いがどこにあるのかも、互いによく知っているのです。
その場しのぎの言葉では許されないでしょう。
苦しい場面です。
何と言えばいいのか。
全人格的な表現が待たれているのです。
難しい問題だという理由はまさにそこにあります。
「死」の問題
なぜ入試で死の問題をとりあげるのでしょうか。
できれば避けて通りたいテーマです。
特に近年、生身の死は遠ざけられています。
かつてのように自宅で看取るということもありません。
殆どが病院で亡くなるのです。
それだけに友人として、どこで病者と触れ合うのかという状況まで自分で構成しなくてはなりません。
病人がどういう容態で、医師に何を宣告されているのか。
それもあわせてイメージする必要があります。
整合性のある形でまとめあげないと、極端なケースでは評価を下げるでしょう。
いずれにしても病者との対面をした場合、あなたの感情にどのような変化が起きるのかを想像しなくてはいけません。
どこから書きだすか。
![](https://suikyoblog.com/wp-content/uploads/2019/07/54e0d0464b51ac14ea898675c6203f78083edbe35754724f7d267f_640_漢方薬.jpg)
よほど考えなくてはなりませんね。
まず友である病者の言葉を聞いて何を感じるのか。
発言を否定しますか。
それとも肯定しますか。
末期がんで今にも亡くなるという状況においても、あなたは友の死を否定できるでしょうか。
しかし従容として死を受け入れろとはいえないはずです。
その時の心の中の葛藤を正直に書けますか。
本当ならば死を認めなくてはならないところまであなたは追いつめられているのです。
しかしそれを簡単に認めたくはないという患者自身の心の内側も想像しなくてはいけません。
友人であるあなたの立場も複雑です。
YesでもありNoでもある。
なんと発言すればいいのか。
複雑な気持ち
心のためらいを正直にまとめあげていくしかありません。
医療者ではないのですから、具体的にはなんの措置もできないのです。
ただ見守るしかない弱い存在です。
重大な発言をすることで、場の空気を凍らせてしまうことにもなります。
思いやりという表現を使うことは簡単です。
しかしそれがかえって自分の心の痛みを増幅させる可能性もあります。
非常に難しい立場におかれているということがよくわかるはずです。
具体的にどこから書き始めればいのか
死を否定してもらいたいと考えている患者の気持ちから書けばいいのでしょうか。
それとも友人であるあなた自身の言葉から書き始めた方がいいのか。
ここは悩むところでしょう。
採点者が何を望むのかということもあわせて考慮してください。
基本は人間の心の内側を探る作業を続けることの意味を書くことです。
ここをはずしてはいけません。
800字あるとかなりのことが書けます。
自分が実際に似たような場面に遭遇した人もいることでしょう。
その時のことをつい書きたくなる衝動もあるでしょうね。
インパクトはあると思います。
ただし長くならないように。
全体の30%以下にした方が無難です。
ダラダラと例話を書くと、完全に文章が死んでしまいます。
もう1つのポイントは問題文の最後にある「なぜそう応えるのが望ましいと考えるのか」という論点です。
![](https://suikyoblog.com/wp-content/uploads/2019/07/51e3d3414e56b114a6da8c7ccf203163143ad8e15350794e742d_640_介護.jpg)
ここがキーポイントでしょうね。
「望ましい」というのは人間の倫理です。
本当ならこうでなくてはならないのだが、自分は次のように応えてしまう。
その理由はこれが最も自分にとって望ましいからという論理です。
ここをきちんと論じることで、テーマの内容がはっきりしてくるに違いありません。
あるいは本当に何も言えないという状況も考えられます。
ただ涙を流すだけというケースもあるでしょう。
何もわからないという応え方もあるかもしれません。
その全てが真実を捉えようとするものである限り正しいのです。
いい加減な発言は書かないことです。
このような問題の場合、それが1番大切なことなのかもしれないのです。
今回も最後までおつきあいいただきありがとうございました。