【聞かせてよ愛の言葉を】天の声が武満徹に音楽の魂を教えた

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ノヴェンバー・ステップス

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

突然ですが作曲家・武満徹を御存知ですか。

日本を代表する作曲家です。

1996年に65歳で亡くなりました。

彼の代表作は何かと言われたら、『ノヴェンバー・ステップス』でしょう。

1度聞いてみてください。

その風変わりな曲の発想には驚かされます。

この曲の前年、武満は『エクリプス』を発表します。

琵琶と尺八という楽器の組み合わせによる二重奏曲でした。

小澤征爾はすぐ指揮者レナード・バーンスタインに知らせます。

これを契機にニューヨークフィル125周年記念の作品が委嘱されることとなりました。

この時の曲が、琵琶と尺八とオーケストラによる『ノヴェンバー・ステップス』(1967年)なのです。

その後、武満作品はアメリカ・カナダを中心に海外で多く取り上げられるようになりました。

日本を代表する作曲家になったのです。

デビュー以前はピアノを買うお金もありませんでした。

作曲の勉強はほとんど独学でやりました。

1949年、東京音楽学校(東京芸術大学)作曲科を受験。

科目演奏には最も簡単なショパンのプレリュードを選びました。

その試験場で出会ったある受験生と意気投合したと言われています。

作曲をするのに学校だの教育だの無関係だろうという意見に納得し、2日目の試験を欠席しました

なにごとも一途な性格の人のようですね。

ぼくも何度か新宿・中村屋サロンの喫茶室で見かけたことがあります。

華奢な身体のどこにあのエネルギーがつまっていたのか。

今、考えても不思議で仕方がありません。

天の声

先日、武満徹のインタビューを聞く機会がありました。

今から30年も前の録音です。

彼がどのような環境で育ち、どのような音楽に触れていたのかということを、実に淡々と語っていました。

その中でどうしても触れたかったのが、この曲との出会いだったようです。

曲のタイトルは「聞かせてよ愛の言葉を」です。

戦時中、糧秣廠の仕事で、群馬の山中に徴用されていた時の話です。

学生だった彼に、ある兵隊が電蓄で聴かせてくれたのが、このシャンソンだったといいます。

毎日軍歌ばかりを歌わされていた環境の中で、この歌はまったく異質な音に聞こえまし
た。

リュシエンヌ・ボワイエの歌です。

まさに竹針の先から、彼に天の声を届けたのです。

その時、もしこの戦争を生き抜くことができたら、必ず音楽をやろうと強く思ったといいます

なにもないことによる渇望感が逆に彼の音楽を強くしたのでしょう。

それからの10年間は病気と闘いながら、すべて独学の日々だったそうです。

Bluemount_Score / Pixabay

間質性肺炎でした。

ピアノもなく、町を歩いては音の聞こえてくる家にお願いをして、ピアノを貸してもらったとか。

一度も断られたことがないというのが、彼の自慢でもありました。

その数およそ30軒。

食事を出してくれたり、お茶を出してくれる家もあったそうです。

本当に真剣なまなざしで頼んだのでしょう。

その気迫に押されたとしかいえません。

独学の日々

楽譜の書き方も、音のつながりもすべてが独学でした。

日本的なものから離れようとしながら、音はますます日本の美そのものになっていったのです。

シャンソンやジャズから、あの世界の武満が育ったと思うと、実に愉快な気分です。

人は内圧が高ければ高いほど、その一瞬の出会いがすべてを決めるということもあります。

巷には今、音があふれています。

だからこそ、モチベーションを築きあげ、それを維持することが難しいのです。

ストリーミングの世界は驚くほどの音楽の洪水です。

しかし武満徹が防空壕の中で聞いたシャンソンほどの価値を持っているのかどうか。

それを検証することは容易ではありません。

人はある出会いで大きく変化するものなのです。

そのために日々を生きているのかもしれません。

武満徹は驚くほど多数の本も書きました。

『樹の鏡、草原の鏡』『音楽の余白から』『音、沈黙と測りあえるほどに』(新潮社)などは代表作です。

小説家大江健三郎、指揮者小澤征爾などとの共著もあります。

さらに忘れてならないのはたくさんの映画音楽を書いたことです。

ぼくにとって思い出深いのは、安部公房原作、勅使河原宏監督『砂の女』の音楽です。

この作品の持つ異様な内面風景をこれでもかと描ききりました。

忘れられない作品です。

その他にも遠藤周作原作、篠田正浩監督『沈黙』などの音楽もあります。

いずれも不安な心象風景を見事に切り裂いた名曲ばかりです。

薩摩琵琶の音が今でも忘れられません。

聞かせてよ愛の言葉を

武満徹が防空壕で聞いた曲とはどのようなものだったでしょうか。

多くの歌手がこのシャンソンを今でも歌っています。

実にしみじみとしたいい歌ですね。

Parlez-moi d’amour
Redites-moi des choses tendres
Votre beau discours
Mon cour n’est pas las de l’entendre
Pourvu que toujours
Vous repetiez ces mots supremes
Je vous aime

最初のフレーズを聞けばああ、あの歌かとすぐわかります。

それくらい有名な曲です。

ちょっと調べてみてください。

この歌はサビの部分がとてもよく出来ています。

いかにも恋人に向かって語りかけるような調子がとてもいいのです。

作曲家を生み出すにはたくさんの言葉はいりません。

名曲がたった1曲あればという話です。

ただし出会いを待つには、心の中に何か熱いものがなくてはなりません。

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それこそが生きる命そのものなのです。

今回も最後までおつきあいいただきありがとうございました。

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