【小論文】問題提起と要約メモを連動させて一気に書くワザ【人権】

学び

何を主題にしたいのか

みなさん、こんにちは。

小論文添削歴20年の元高校国語科教師、すい喬です。

今回は問題提起についてもう1度、最初から説明します。

今までに何度か記事にしてきました。

おかげさまで多くの読者に読んでいただくことができました。

ありがたいことです。

最後にリンクを貼っておきます。

まだお読みでないの方はどうぞご一読ください。

なぜこれほど問題提起がポイントになるのでしょうか。

理由は簡単です。

顔だからです。

この小論文はどっちの方角に向かって進みますよという挨拶みたいなものです。

採点者に対する礼儀なのです。

なるほど、こういう論点で書くつもりなのだなと読者を導く水先案内人の役割を果たします。

羅針盤が狂えば、船は難破してしまいます。

それを防ぐためにあるのが、問題提起なのです。

いかに大切か、わかってくれましたか。

普通はYes、Noを簡単に書いてその理由を説明し、そこから書き始めればいいのです。

理由にしても本論は後に残します。

AbsolutVision / Pixabay

最初から細かい点にまで言及する必要はありません。

ごく簡単に要点だけをつまみ出すという感覚でしょうか。

それで十分です。

たった今、書き出しはYesNoを書けばいいと言いました。

しかし実際にやってみると、そんなに簡単なものではない場合が多いです。

道徳にまつわるケース

特に道徳にまつわる判断などは、絶対にYesとはいいきれない場合が多いです。

例えば他人のものを盗むなどというテーマがあったとしましょう。

それは許される行為だという結論に導くことはよほどの場合でない限り、難しいです。

殺人についても同様です。

それが許されるという結論はまず出てきません。

しかしこれが国家による殺人の場合はどうなるのでしょうか。

死刑制度の是非についてです。

geralt / Pixabay

死刑というのはある意味、国家による殺人です。

法律が導く結論の上に成立する刑罰です。

このようなテーマがもし出た時、あなたならどうしますか。

YesかNoか。

大きな道筋に分かれる大問題です。

通常のケースであれば殺人は許される行為ではありません。

他人の生命を何人たりとも奪う権利はないからです。

つまりYesという判断はあり得ません。

しかし国家が刑罰として個人を死に導くという話になると、全くその様相は変わってきます。

明らかにYesとNoに分かれていくのです。

この議論は世界を巻き込む大きなテーマです。

人間観、法律観に関わる難問中の難問です。

このようなケースでは絶対にNoだとは言い切れなくなります。

それが許される場合もあるという判断が登場します。

つまり道徳にまつわる判断だからといって、つねにNoだということも言えなくなってきます。

ここに問題提起の難しさがあるのです。

最初の方向性を決める

最初の方向を間違えると、全体の論理がグラグラします。

結論も曖昧なものになりがちです。

死刑の問題に関していえば、世界の流れがどちらに傾いているのか。

その中で日本はどの立場をとっているのか。

問題点はどこにあるか。

今後、どうしていけばいいのか。

さまざまな問題が一気に噴き出してきます。

その全てのケースをいきなり書き出すことはできません。

短い文章の中に、あらかじめ約束された内容を封じ込めながら、文章をまとめるのです。

結論にいたる頃には、言いたかったことが全て出てくるという箱をこしらえるのです。

簡単なことではありません。

その時に役立つのが、要約メモです。

この内容の質がよければ、ある程度無理なく最後まで文章を運べます。

キーワードは何かを考えながら、メモをとってください。

この場合、1番大切なポイントはなんですか。

ズバリ、人権です。

基本的人権を国家は死刑という殺人で犯すことができるのかということです。

ここを絶対におさえていないと、小論文としては不満足な出来にしかなりません。

法はなんのためにあるのかという根本の論理をきちんとおさえて論じていけば、それほどとんでもないものにはならないでしょう。

世界の趨勢はどこにあるのか。

裁判員制度との関係もあわせて考えておきたいところです。

深く突き刺さるメモを

メモだからといって簡単に考えてはいけません。

最終的にどこまで書けるのかということです。

簡単にいえば、この論点に矛盾はないかと突っ込まれた時、耐えられるかということです。

もしダメだったら無理してその路線はとらない方がいいでしょう。

無理して突き進むということであれば、絶対に採点者を納得させられるところまで行かなくてはなりません。

それだけの論理的整合性を持ちうるのかどうか。

そこが最大のポイントです。

死刑に関していえば、世界の流れは圧倒的に廃止の方向へ向かっています。

なぜか。

人権に関する意識が高いからでしょう。

鞭打ちの刑というのを聞いたことがあると思います。

どう感じますか。

あるいはハムラビ法典のような非情な法律の存在を耳にした時の印象はどうでしょうか。

それと死刑を同列に考えることには無理があるかもしれません。

しかし世界の多くの国々の人は、まさに同じように感じているのも事実なのです。

死刑執行官の存在というのを考えたことがあるでしょうか。

実際、日本ではどのように死刑が行われているのか。

あらゆることをその場でメモしてください。

自分の知っていることを最大限に取り出し、刺さる部分から取り出すのです。

そして最終的な結論にいたる道をつくる。

だからこそ、問題提起の役割が重いのです。

ここで方向性を間違えてはいけません。

どんなことがあっても学び続け、視野を広げること。

知識を得るための努力を続けなくてはいけません。

ここの部分が弱いということは、つまり全体が見えていないということに他なりません。

勉強不足を採点者の前に露呈してしまうのです。

日々の蓄積がいかに大切かを十分に認識してください。

もう1度言います。

問題提起の大切な意義を考えておくこと。

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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