親からの自立
通常、課題文には意味の深い文章が選ばれます。
出題者は本当に考え抜いて問題を出すのです。
内容がさまざまな観点から読み取れ、なおかつ問題意識があらわれている文が最適です。
建築家で東大特別栄誉教授、安藤忠雄氏の著した『ひたすらに走り続ける』もそうした線上で選ばれたものの1つです。
ポイントは東京大学の入学式において祝辞を述べて欲しいと頼まれた時、自由に喋らせてくれるならという条件の下、引き受けた時の内容です。
入学式の会場になった日本武道館での話です。
3000人の新入生に対して2階の保護者席には倍の6000人が参列していました。
そこで彼は次のように言いました。
2階席に座っている皆さんは本日は会場から出ていってください。
今日は非常に大切な日です。
親が子供を断ち切り、子供が親を断ち切って自立した個人というものをつくるスタートの日なのです。
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そんな重要な日に親がそばにいては邪魔になります。
2階席はさぞやざわめいたことでしょうね。
これは彼にしかできない発言だったかもしれません。
安藤忠雄氏の生きざまをまさに言葉にしたものだからです。
彼は大阪の府立工業高校しか出ていません。
高校在学中にプロボクサーのライセンスを取得し、フェザー級でデビューしたのも有名な話です。
中学生の頃から建築には興味を持っていました。
経済上の理由で大学には通えなかったため、建築の専門教育は一切受けていません。
全て独学です。
建築科の学生が通常4年かけて学ぶ内容を1年で習得し、建築士試験に合格したという伝説の持ち主です。
なぜ教授が入学式に参列した親たちに向かって、退場を願ったのかが理解できるでしょうか。
夢のない子供
自立した人間を育てるために親が子供を甘やかしてはいけないということはよく言われます。
しかし現代においてすべてを与えられた子供は「夢」を持てないでいるのです。
考えてみれは気の毒なことなのかもしれません。
格差社会です。
幼い頃からさまざまな塾へ通い、恵まれた環境にいなければ、高偏差値の大学へ入学することは難しいのが現実です。
ある程度、どういう暮らしをしてきたのかで、その後の人生が決まってしまうのです。
安藤忠雄氏が生き抜いてきたような社会は現在、目の前にはありません。
歌人の永田和宏氏は『知の体力』の中で、彼の意見に諸手をあげて賛成しています。
大学は人生で最後の教育機関です。
社会へ出るため、どのように自ら責任ある行動をとれるようになるのか。
それを訓練するための場です。
入学式についていきたい気持ちをおさえ、自立への第1歩を踏み出す意志を見せなくてはならないのではないか。
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これが永田和宏氏の意見です。
最近では成績表を自宅に郵送する大学もあるといいます。
これもある意味で世情なのかもしれません。
そこまでしなければ、親が納得しない時代になったのです。
手厚く面倒をみてくれる大学の方が、受験者が多くなるという現象もあると聞きます。
なかには保護者会を開く学校もあるそうです。
いずれにしても自立への契機という意味からすれば、少しはずれているとも言えます。
課題文の後半
安藤忠雄氏の文章はさらに続きます。
自立した人間を育てなくてはならないのです。
それも自分の力で考え、自分の意志で行動できる人をです。
そのためにはどうしたらいいのか。
次々と与えられ続けた若者たちは、なんの夢もない満たされきった人間で終わるしかないのです。
ある意味気の毒だとも言えるでしょう。
夢は他人から与えられるものではありません。
自分自身の内側からしか生まれてこないのです。
なんの行き場もない若者たちは、幸福になることがないのです。
だからこそ、保護者に対して退席を求めたのですと彼は最後にまとめています。
課題文はそれほど長いものではありません。
すぐに読めます。
内容的にも特に難しいところはありません。
しかしその後の問いを読むと、何をどうまとめたらいいのか、かなり悩んでしまいます。
問題を示しておきます。
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問1 この文章に適切なタイトルを20字程度でつけなさい。
問2 筆者は入学式の冒頭に保護者に会場から出るように言っている。
あえて即座にその場を出るように言わなければならなかった筆者の真意はどのようなものだったのか。
考えられることを2つ述べなさい。
問3 「すべてを与えられた子供たちは夢をもつことができなくなってしまう」と述べている。
あなたの考えを600字以内で書きなさい。
それぞれに解答を試みてください。
やはり問3が1番難しいでしょうね。
制限字数600字というのは、原稿用紙1枚半です。
200字程度の段落を3つ書けばまとまります。
序論、本論、結論です。
あるいは起承結です。
論文の場合、「転」はいりません。
利他とは
夢という表現はさまざまに捉えることができます。
基本は自分がなりたいこと、したいこと、持ちたいもの、遂げたいことなどに分けられるかもしれません。
しかし本当の意味での夢は基本的に誰かのためになりたいという「利他」の精神がなければ完結しないのです。
自分自身の満足だけでは、人は本当に豊かにはなれないのではないでしょうか。
自分が受けてきた幸福を他人に少しでも分ける。
あるいは「ノブレス・オブリージュ」の思想を貫くのも1つの道でしょう。
日本にはあまりなじみがないものの、西欧ではごく普通にこの表現を使います。
貴族社会ではあたりまえのことです。
自発的に無私の行動を促すことをさします。
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文章にはあえてならない不文律の社会心理でもあるのです。
自分が満たされたことの半分でも社会に還元することを考え、それが何であるのかを日々内省していく作業です。
日本の社会において、夢を失った若者に1番必要なものかもしれません。
あらゆる活動を通じて、他者のために少しでも何かを実践していくこと。
それが芸術であれ、実業であれ、学問であれ内容は問わないのです。
日々の精進を言葉にしなくても心に誓うことで、夢はかなり現実に有効に働くのではないでしょうか。
夢を崩された大人にならないために、自分は何をしていくべきなのか。
積極的にこの場を借りて考えてみたというスタンスでもいいと思います。
自立することの難しさを実感しながら文章をまとめあげてみてください。
それぞれの夢を現実にしていくこととの関連性が見えてくるはずです。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。