【人間万事塞翁が馬】諺は意味が深い【禍福はあざなえる縄の如し】

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塞翁が馬

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

もう少しで今年の入学試験も全て終わります。

今年の受験生は本当に災難でしたね。

予定されていた行事はほとんど潰れてしまいました。

あれもこれもなくなり、残ったのは唯一、入学試験だけです。

報道によれば、今年は例年と受験地図もかなり塗り替わったようです。

地元から出ない人も増えました。

都会の大学に入学してみたもののリモート授業ばかりでは面白くありません。

何が最善の選択肢なのか、随分と悩んだことでしょうね。

東京では私立の中高を希望する人も多かったとか。

いち早くコロナウィルスに対応した授業を工夫して行った学校などが評価されたようです。

親の目は一段と厳しくなっています。

学校側も共学化や校名変更、校舎改築などできることはなんでもやるという流れです。

少子化の波はとどまることがありません。

言い方は悪いですが、失地挽回のための最後の賭けに似ているのかもしれないのです。

ここでダメならもう浮き上がる方策はないでしょう。

一方の受験生はどうだったのか。

うまくいった人もいれば、ダメだった人もいます。

中学校や高校で教えていると、過去の失敗を引きずっている生徒をたまにみかけます。

受験でうまくいかなかったことが、尾をひいているのです。

大学入試でも、事情は全く同じです。

可哀そうですが、誰にも何もできません。

自分で解決していく以外にないのです。

そういう時によく使われる言葉が「人間万事塞翁が馬」です。

漢文の授業

高校に入って生徒がとまどう教科の1つが古典です。

特に古文の文法は厄介です。

なんの意味があるのかわからないお経のような文句を覚えさせられます。

動詞を含めた用言の活用を1学期中に学ぶというのが共通のパターンですね。

普通の動詞ならば、とにかくなんとかなります。

さらに変格活用もあるのです。

口語ではサ変、カ変のみ。

文語ではそれにラ変、ナ変が加わって、動詞の活用だけで9種類になります。

これを見分けるのは苦行です。

ちょっとしたクイズそのものです。

さらに漢文では読み方の練習をします。

こちらの方が生徒にはとっつきやすいようです。

複雑なマークもあって容易ではありませんが、それでも結構楽しそうです。

漢字だけの文章を日本語式に順序をかえて読むという方法が新鮮なのでしょう。

それとあわせて簡単な故事成語なども教えていきます。

その代表が「矛盾」「朝三暮四」などです。

覚えていますか。

少ししてやるのが「塞翁が馬」です。

簡単に書き下し文をご紹介しましょう。

本文

塞上に近きの人に、術を善(よ)くする者有り。

馬故無くして亡(に)げて胡に入る。

人皆之を弔(ちょう)す。

其の父(ふ)曰はく、

「此れ何遽(なん)ぞ福と為(な)らざらんや」と。

居ること数月、其の馬胡の駿馬を将(ひき)ゐて帰る。

人皆之を賀す。

其の父曰はく、

「此れ何遽ぞ禍と為る能(あた)はざらんや」と。

家良馬に富む。

其の子騎を好み、堕ちて其の髀を折る。

人皆之を弔す。

其の父曰く、

「此れ何遽ぞ福と為らざらんや」と。

居ること一年、胡人大いに塞に入る。

丁壮なる者、弦を引きて戦ひ、塞に近きの人、死する者十に九なり。

此れ独り跛の故を以つて、父子相保てり。

故に福の禍と為り、禍の福と為る、化極むべからず、深測るべからざるなり。

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意味がわかりますか。

まさに人生と同じです。

いい馬が来たからといって喜んでいたら落馬して足の骨を折ってしまいました。

人々は気の毒だといって同情してくれます。

しかしそのおかげで、後に起こった戦争には行かずに済み、死なずにすんだのです。

禍がいつ福になり、福がいつ禍になるのかは誰にもわかりません。

まさに「禍福はあざなえる縄の如し」です

あざなえるという言葉をご存知ですか。

わかりやすくいえば、撚(よ)るということです。2本、3本の糸をなんども撚って1本の太い縄をつくりあげます。

人生もそれと同じだということです。

淡々と生きる

入学試験は昔からありました。

結果が出るたびに一喜一憂する風景があちこちで繰り返されてきたのです。

科挙の行われた中国でも、それは同じことでした。

近年は韓国の学歴社会の功罪が、よく喧伝されています。

もちろん試験の目的は希望校に合格することです。

しかし残念ながらうまくいかないことも往々にしてあります。

「禍福はあざなえる縄の如し」とか、「人間万事塞翁が馬」などという言葉を持ち出すまでもなく、人間にはいい時と、悪い時とがついてまわるもののようです。

一生運が悪いという人もいるでしょう。

あるいはなんとなくいつも悪い方向へ向かってしまうという人もいます。

その反対に、いつも運がよく、なにをしてもうまくいくという人もいます。

しかしそれは外から見た場合のことではないでしょうか。

その人の内面にまで踏み込んでみれば、そう単純なものではありません。

一度試験に落ちてしまうと、もう駄目かと思うことがあるのも事実でしょう。

しかし人間の真価はその時、問われるのです。

人間、それほどいいこともなく、それほどに悪いことが続くわけでもないというあたりが、真実ではないでしょうか。

プラスマイナスして、ちょっと浮いているというあたりが、一番理想のような気がします。

しかしマイナスの渦中にいる時は、周囲の人に何を言われても、なんの慰めにもなりません。

だがその時こそ、本当の力を再び発揮する時でもあるのです。

人間は一つの目標に向かっている時が一番楽しいのです。

どんな資格でも、どんな試験でも合格したいと思って努力している時が最も楽しく心躍る時です。

よく内定ブルーという言葉を聞きます。

geralt / Pixabay

早くに学校や企業に内定してしまった人ほど、取り残されたような気分になると言います。

周囲の人が黙々と頑張っている時に、これでよかったのかとつい反省してしまうのです。

それより目標に向かっていた頃の自分が妙に懐かしかったりするのです。

どんな仕事についても、その内側に入れば苦労がつきまといます。

大きな組織に入れば、人間関係も複雑です。

同じくらいの能力を持った人間がしのぎを削るのですから、そのストレスは測りしれません。

生老病死は気のつかないうちに、いつか襲ってきます

肉親との別れもあり、夫婦の別れもあるでしょう。

会者定離の原則を覆すことはできません。

だからこそ、愚痴をいうことなく、淡々と生きていく覚悟が必要なのではないでしょうか。

悪いことばかりが続くことはけっしてありません。

ぼく自身の経験に照らしても、この言葉はきちんとあてはまっています。

禍福はよじりあって進む一対の仲間です。

上手につきあっていかなければいけません。

すごく偉そうなことを書きました。

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しかしこれが今の偽らざる実感なのです。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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