【能・羽衣】月へ帰るために羽衣を着て舞う天女の美しさに心癒される

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一期一会

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は能の話をさせてください。

そんな古い芸能を見たくはないという人も、きっといるでしょうね。

ぼく自身もかつてはその中の1人でした。

しかし、もっと早く出会っておけばよかったと今でも後悔しています。

最初に出向いたのは、まだ松濤にあったころの観世能楽堂です。

大学生の頃でした。

学割を使うと、チケットが格安だったのです。

通常、能の鑑賞には大変お金がかかります。

これは今でもそうです。

学生時代になぜもっと通っておかなかったのか

残念ですね。

チケットが高いのには理由があります。

能楽堂を借り、さらに囃し方や、謡いの方たちにもお礼をしなくてはいけません。

もちろん、面や、衣装なども高価です。

全部自前で揃えられる人は、そう多くないでしょう。

借りるとすれば、それだけの費用がかかるのです。

能は同じ演目を何日も続けて演じるということもありません。

どの公演も1回限りです。

歌舞伎や他の演劇などと、全く違います。

しいていえば、クラシックの演奏会と似ているかもしれません。

すべてが一期一会なのです。

その時に出会った演者と全く同じ組み合わせで能を演じるということのほうが、むしろ珍しいです。

静かで落ち着いた能楽堂は、ぼくにとって貴重な場です。

魂を鎮めるための不思議な空間ですね。

羽衣伝説

今まで多くの作品を鑑賞してきましたが、何度か見たいと思ったのは、「羽衣」「杜若」「道成寺」「葵上」などです。

どれも味わいのある作品です。

「道成寺」と「葵上」はいわゆる鬼の出てくる修羅ものです。

内容が大変に濃く、人間の怨念が縦横に描かれます。

それに比べると、「羽衣」「杜若」は実に柔らかく美しい舞いに彩られた能です。

「杜若」は伊勢物語が原作ですが、「羽衣」は伝説がもとになっています。

日本人ならば、三保の松原に伝わるこの伝説を聞いたことがあるのではないでしょうか。

登場人物は漁師の白龍(はくりょう)です。

役どころは主役に対して脇役ですね。

能ではワキと呼びます。

ある時、松の枝に掛けてある美しい羽衣をみつけ、持ち帰ろうとします。

そこに現れるのが天人です。

主役です。

これを能ではシテ(為手)と呼びます。

羽衣とは、天女がまとっている空を飛ぶ不思議な布のことです。

これがなければ、2度と空中を舞うことはできないのです。

風景を想像してみてください。

三保の松原は、富士山や伊豆半島を一望できる美しい松林です。

当然のことながら、白龍はすぐに返そうとはしません。

海辺には空から花が降り、音楽が聞こえ、なんとも良い香りがしています。

松の木にかかっていた布の香りです。

家宝にしたいと思っても無理はありませんね。

本当にあなたが天女なら、ここで舞いを披露してくださいと頼むのです。

そうしたら、返してあげてもいいと呟きます。

天女はこう言います。

「この衣は天人の羽衣であり、天に帰るには必要な物なので人間が手にしてはいけません」

漁師が渡すのを拒もうとすると、天女はとうとう泣き出してしまいました。

天人五衰

この表現を聞いたことがありますか。

直訳すると天人も五回衰えるということです。

仏典には次のように記されています。

① 衣裳垢膩(えしょうこうじ):衣服(羽衣)が埃と垢で汚れて油染みる
② 頭上華萎(ずじょうかい):頭にかぶっている華鬘(けまん)の生花がしおれる
③ 身体臭穢(しんたいしゅうわい):身体が汚れて臭い出す
④ 四腋下汗出(えきげかんしゅつ):腋の下から汗が流れ出る
➄ 不楽本座(ふらくほんざ):自分の席に戻るのを嫌がり楽しみが味わえなくなる

どれも難しい言葉ですね。

有名な三島由紀夫の小説に『天人五衰』という作品があります。

『豊饒の海』第4巻です。

読んでみてください。

この時の天女は、頭にかぶっている髪飾りの生花がしおれてしまいました

天女は衣を着て人々を癒す舞いを踊ると約束します。

だから先に衣を渡して欲しいと言うのです。

しかし白龍は、天女を疑いました。

それでも最後は「絶対に嘘をつかない」という天女の言葉を信じます。

腰の構えと足の運び

衣をまとった瞬間から、しおれていた花が再び、輝きます。

月にある月宮殿には、白と黒の衣をまとった天女がそれぞれ15人ずついるとか。

月の満ち欠けを手伝う舞いを踊るのだそうです。

この天女もそのうちの1人だったのです。

この場面の舞いは本当に美しいですね。

悲しそうな愁いをたたえた面が、ここから俄然光り輝きます。

下を向いていたときは、なぜか弱々しかったのに、少し斜め上を向いただけで、明るく力強い表情になります。

この不思議さが能面の魅力でしょうか。

能楽堂で、ぜひ自分の目で確かめてみてください。

このシーンはシテを演ずる能楽師の見せ場です。

実力がないと、美しさが際立ちません。

最も大切なのは、腰の構えと足の運びです。

少しでも揺らぐと台無しになります。

月の光に包まれた天女は祈りを捧げ、天上から沢山の宝を降らせます。

そして最後は、名峰、富士の高嶺を昇るようにして霞の中に消えていくのです。

天人を試そうとした漁師の白龍は、改心をし天人を見送ります。

おりしも十五夜の美しい情景が広がります。

もちろん舞台装置は何もありません

鏡板と呼ばれる松の絵がかかれている背景があるだけです。

すべてが想像の世界の中なのです。

観客の中にあるものが、舞台の上にひろがっていきます。

すべての詞章は、古文の流麗なリズムで進みます。

聞いているだけでうっとりしてしまいますね。

日本語の美しさです。

観世流の謡いの一節だけをご紹介しましょう。

「風向かふ。雲の浮波立つと見て。雲の浮波立つと見て。釣せで人や帰るらん。待て暫し春ならば吹くものどけき朝風の。松は常磐の声ぞかし。波は音なき朝凪に。釣人多き。小舟かな釣人多き小舟かな」

「東遊の数々に。東遊の数々に。その名も月の。色人は。三五夜中の。空にまた。満願真如の影となり。御願円満国土成就。七宝充満の宝を降らし。国土にこれを。施し給ふさる程に。時移って。天の羽衣。浦風にたなびきたなびく。三保の松原浮島が雲の。愛鷹山や藤野高嶺。かすかになりて。天つ御空の。霞に紛れて失せにけり

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今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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