【医療系小論文】インフォームド・コンセントで患者の自己決定を優先

学び

医療の倫理

みなさん、こんにちは。

小論文の添削歴20年の元国語科教師、すい喬です。

今回は医療系小論文の中で最もよく使われる「インフォームド・コンセント」について考えてみましょう。

この言葉を初めて聞いたという人はまさかいないでしょうね。

医療系の学部、学科を受験する人にとっては必ずその内容とともに問題点を把握する必要のあるキーワードです。

初めて知ったという人は、はっきり言って勉強が足りません。

これから説明することをきちんと把握し、自分のものにしてください。

最初にこの表現を英語で書きます。

インフォームド・コンセントとは英語でつぎのように書きます。

informed consentです。

その意味は「医師と患者との十分な情報を得た(伝えられた)上での合意」を意味する概念とされています。

informという単語の名詞形はinformationです。

これはわかりますね。

知識、情報のことです。

consentは納得とか合意を意味します。

知らされたことに対して、自分なりにきちんと納得するということです。

これは医療の倫理の基本だと言われています。

日本語では「説明と同意」と訳しています。

医師は患者に病名、その病気の程度、治療法、薬、さらに後遺症や副作用の可能性までを含めてていねいに知らせます。

この時に虚偽や歪曲などがあってはなりません。

これらの説明の全てに患者が同意してはじめて治療を行うという考え方です。

そんなことはあたりまえじゃないかという人もいるでしょう。

たしかに多くの医療機関で今日行われつつあるのは事実です。

しかしまだまだ現実には不十分だと言わざるを得ません。

過去の歴史

なぜこのような考えが今日広まりつつあるのかといえば、それは患者中心の「自己決定」を重視する社会になりつつあるからだといえます。

それ以前は違ったのでしょうか。

まさにその通りです。

このテーマには暗い過去の歴史がついてまわっています。

そのことをきちんと認識しておいてください。

それはナチスにおける人体実験や日本の「731部隊」による非人道的な人体実験の歴史をみれば明らかです。

安易な「優生思想」と結びついた医師たちが、ナチズムの非人道的な全体主義に取り込まれ
T4作戦といわれるユダヤ人の大量殺害を行いました。

精神科医が率先して重症障害者を「生きるに値しない人々」として「安楽死」させてしまった悲惨な出来事が次々と起こったのです。

日本軍においても731部隊の名前はよく知られています。

第2次世界大戦中に中国東北部に配属された防疫給水部隊の通称です。

彼らは、細菌兵器の開発に従事し、捕虜となった主に中国人や朝鮮の人々を対象として数々の人体実験に使用したとされています。

ぼくも中国との戦争が勃発した地、盧溝橋にある抗日戦争記念館を訪れた時、この人体実験のジオラマを見る機会がありました。

これこそがまさに医療の持つ別の側面でもあるのです。

この実験を遂行した医師たちは、米国にそのデータを提供することで免罪されました。

ドイツの医師たちとは違って、その責任を追及されることはなかったのです。

戦争という特異な歴史の中で起こったこととは言いながら、これらの行為が持つ意味は非常に重いものがあります。

医療の変革

こうした歴史を背景にして新しい生命倫理学(バイオエシックス)が戦後に生まれました。

人間の生命を扱う医療行為全般を社会的にあるいは文化的に考察していこうとするものなのです。

そこで生まれたのがまさにインフォームド・コンセントでした。

この経緯をきちんと把握しておいてください。

以前は患者に対して、病気の説明をすることなどありませんでした。

医学の専門家の私が言う通りにしていれば、間違いないのだからすべて任せて、養生に専念しなさいというのが医者の基本的な態度だったのです。

これを難しい言葉ですが「パターナリズム」と呼んでいます。

これもきちんと覚えておいてください。

父親が子供に対するのと同様に、高圧的に患者に接することを言います。

かつての医者はほとんどがこのような態度でした。

「知らしむべからず、よらしむべし」という患者の自主性を無視する態度が大変に強い時代が長く続いたのです。

その後、現在は患者が主体という考えが主流になったというワケです。

医者はあくまでも助言者にすぎないという立場に変わりました。

こうして現在の自己決定権を持った患者が登場することになったのです。

「してあげる」という態度の医療者はすでに過去のものになりつつあります。

しかし全く存在していないわけではありません。

ポイントはインフォームド・コンテントの重視がどこまで進むのかということでしょう。

どこまで現実は変わったのか

しかし新しい考え方ができたから、すぐに人間がかわるというほど、単純なものではありません。

助けてあげるという気持ちを全く医療者は持たなくていいのか。
患者が希望するなら、それを全て受け入れなければならないのか。

これも非常に難しい問題です。

現実に一通り説明した後、「次回の外来受診日までに治療をするかしないか決めてきてください」と言ってしまえば、医療者の責任はそれで完結します。

手術はしたくないと患者が決めた時、それ以上の措置はできないのです。

宗教上の理由などで輸血を拒否し、亡くなっていく患者を目の前で見るという現実もあります。

あるいは、これだけのことをすれば必ず治療効果がでるとわかっていても患者が拒否した場合、それ以上の処置はできません。

どうしますかと訊ね、あとは治療方針の決定を患者に丸投げするという状況も起こってしまうのです。

当然患者は医療者よりも医学的知識が限られています。

その彼らに科学的根拠を示し、それを判断材料として決断や行動の意思決定を迫らなければなりません。

さらにその結果として、どのようなことになっても患者の責任だということになると、かなり大きなストレスを抱えることになっていく可能性も否定できません。

「説明と同意」という言葉は大変口当たりのいいものです。

それで全てがうまくいけば、これ以上いい結果はありません。

しかし医療の現場はつねに戦場そのものです。

緊急の判断をしなくてはいけないことも数多いのです。

その時にインフォームド・コンセントの現実がどのように捉えられているのかというのは大きな問題です。

深刻な現状だと言っていいと思います。

患者の自己決定権を重視するのは大切なことです。

これが基本です。

パターナリズムが許されるものではありません。

それは当然のことです。

しかしその裏側には、ここにあげたような問題もあるということは認識しておいてください。

患者側からみた時、同意書へのサインだけを錦の御旗にされるとつらいものがあります。

しかし現実問題として、医療者はつねに訴訟を怖れなければなりません。

これも現代の医療の実態です。

命に関わることだけに、訴訟の内容も複雑であり、最後には同意書のあるなしも大きな争点になります。

誠に機械的ではあるものの、その現実は動かしがたいものがあります。

インフォームド・コンセントは「説明」と「承諾」から始まります。

言葉は簡単ですが、その内実は多岐にわたっています。

ここで説明しようとした3つの因子を理解できたでしょうか。

1 医療者の説明
2 患者の同意
3 患者の自己決定

この3つのポイントを正確に遂行していくことが、これからの医療行為の根本だと思います。
医療の主体はあくまでも患者です。

この基本をきちんと守りながら、あくまでも医療者は最善をつくして説明を行うこと。

単純に同意書さえとれば、それでよしとするような医療行為があるとすれば、それはまだこの国に真の意味のインフォームド・コンセントが定着していないということになるのではないでしょうか。

その視点をつねに持ちながら、医療小論文を完成させてください。

初めて、この表現を知った人はさらにこの問題の持つ意味を深掘りして、自分の考えにしてくださいね。

医療の現場には難しい倫理的課題が山積しています。

どこから問題が出てもおかしくありません。

勉強をさらに続けてください。

みなさんの努力に期待しています。

最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

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