情報化の時代
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は情報の本質について考えてみましょう。
圧倒的な通信量の情報が日々、私たちの前を通り過ぎていきます。
メディアの力は絶大です。
避けることは誰にもできません。
私たちは現在、渦のような情報とどのように向き合っているのでしょうか。
社会とメディアの関係が、今ほど声高に語られる時代はありません。
ネットの発達によって、膨大な量のデータに触れています。
新聞、雑誌にはじまり、テレビ、ラジオなどの電波媒体、さらにネットなどの中にさらされ続けているのです。
同時性を強調するこれらの媒体を拒否することは、今や不可能です。
世界には瞬時にあらゆる情報が飛び交っています。
その中で自分にとって本当に大切なものを選び出すのは、至難の業です。
暢気にスマホのニュースなどを眺めているだけで、そこにある種の思想的な偏向がかかっていたなどということも考えられます。
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ネット記事を配信する会社の方向性も、当然からむでしょう。
どの記事を配信するかで、広告収入との関係が異なるという事実もあります。
高額の収入が得られる記事が、優先するということも十分に考えられます。
事実、ヤフーの記事の扱いについて、公平ではないという観点から現在大きな論争になりつつあるのです。
今回は情報学者で企業などのソフトウェア開発を経て、社会的観点から情報や技術のあり方に注目して研究を行っている、春木良且(よしかつ)氏の文章を読みます。
ここから小論文の課題をあぶりだしてみましょう。
本文
ナチスは映画やラジオといった中枢のあるメディアによって、大衆を再定義していったわけですが、さらにそのメディアを使って、その大衆に情報を与えました。
ただし、そこで与えられる情報はある種不完全なもので、そのために情報を発信する権力側と受信する大衆側に、情報の不均衡状態が作られました。
ナチスの行った言論統制は反ナチ派の言動を排除するというよりも、大衆に与えられる情報の経路を限定的にしていくという効果がありました。
ではなぜ情報操作されている側であるドイツ国民が、そのことに対して自覚的ではなかったのでしょうか。
ゲッペルスが言ったとされる有名な言葉に「うそでも百万回繰り返せば本当になる。」というものがあります。
またヒットラーの言葉として、「戦争を始めるためにはそれがいかに正義であるかということを、繰り返し述べねばならぬ。いったん勝ってしまえば、その戦いが正義であったか否かを問いただす者はいない」というものが残されています。
この共通した情報観が、ナチスの大衆への情報操作の背後にあります。
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今でも、多くの人が最近で一番重要だと思っているニュースが、新聞やテレビで一番多く報道されているものと一致すると言われています。
実際、ゼミなどで学生と話していても、報道された回数の多いニュースが、その時点で最も関心あるニュースになる傾向があります。
私たち教師側も、重要なポイントなどは何回か繰り返して強調しながら教えていきますので、その感覚はわからなくはありません。
同じ言葉を繰り返して伝えることで、受け手の脳に刷り込まれるということを、ゲッペルス効果と呼びます。
ナチスは反対思想などをできるだけ排除し、国民に何度も同じ思想を繰り返すことによって、それを次第に人は信じざるを得なくなってしまうということを利用しました。
その場合、情報の伝達や操作にマスメディアを使うことで、同時に何人もの人々に同じ情報を伝えることができますが、それは同時に、何人の人にも同じように情報操作をすることができるということでもあり、その結果、周囲に自らと同じような考えを持った人が増えていきます。
そのことによって、さらに自らの考えの強化につながるといった、いわば情報操作のサイクルによって、人々は一つの思想に傾倒していったということが指摘できるでしょう。
つまり人々は、多くの同じ考えを持った人の存在によって、自分の考えを証明し、確信するといった行動をとりました。
いわば大衆が大衆を生み出していったのです。
ここに情報操作の、もう一つのポイントがあります。
政権側が情報管理することによって、国民は情報弱者にされてしまいました。
情報の不均衡
ナチスはどのような情報を国民に送ったのでしょうか。
当時の先端的なメディアといえば、ラジオでした。
チャンネルの専用ラジオを大量生産し、あらゆるレストランや、広場に据え付けたのです。
このラジオは国民受信機と名付けられました。
1936年に行われたベルリンオリンピックの様子などを圧倒的な質量で流し続けたのです。
このあと、映画にも手を伸ばし、有名な「意志の勝利」という作品にナチ党大会の様子が記録されています。
民族の伝統がどのようなものであるかを、ものすごい力で宣伝し続けたワケです。
情報を一方的に発信したのは権力の側です。
人々はそれをただ受け止めるだけでした。
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ここで大切なのがゲッペルスの言葉です。
「うそでも百万回繰り返せば本当になる。」
この表現の持つ怖ろしさは、日本人にも覚えがあるはずです。
第2次世界大戦の最中、日本人は神風を待ちました。
敗戦ではなく、転戦と表現をかえ、玉砕を繰り返していったのです。
どうして情報が操作されていることに気づかなかったのか。
不思議ではありませんか。
ヒットラーの言葉がありますね。
「いったん勝ってしまえば、その戦いが正義であったか否かを問いただす者はいない。」というものです。
勝てば官軍というところでしょうか。
正義とは何かということが、熱狂の中で見えなくなっていくのです。
本当に怖ろしいプロセスです。
マスメディアの持つ怖さ
情報は目に見えない力です。
必ずそれを流す側が優位に立ちます。
ここ数か月のジャニーズ事務所関連のニュースなどをみていると、そのことがよりはっきりしますね。
かなり前から、一部の人たちは知っていたに違いありません。
しかしメディアの情報を握る人達は、それを握りつぶしてきたのです。
関連したニュースを流しても問題ないと判断した瞬間、一斉に似たような情報が巷に流れ出しました。
その結果として、広告の打ち切りも続いています。
メディアを監視するのは、他ならぬメディアなのです。
情報操作は、それほど難しいものではありません。
中国や北朝鮮においては、ネットに対する監視が非常に厳しく行われています。
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ロシアにおいても、知りたい情報にアクセスするのは容易ではありません。
正確な情報がなければ、正しい判断はできないでしょう。
権力を握る者だけが優位にたつことは許されないのです。
「情報リテラシー」という言葉を聞いたことがありますね。
きちんとデータを受け取り、自らの力にかえられるだけの能力をもたなければなりません。
そのためにはどうしたらいいのか。
プロパガンダにのせられてはいけないのです。
真実を見分ける力を身に付ける必要があるのは当然のことです。
そのためにあなたは何をしますか。
マスメディアに対峙する方法は何でしょうか。
小論文が問い訊ねるのはまさにそこなのです。
800字程度で頭に浮かんだことを纏めてみて下さい。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。