車谷長吉の小説とお悩み相談・人生の救いとの超深い関係

世捨て人の文学

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

今日は現在でも人気のある、作家の車谷長吉を取り上げます。

69歳で突然亡くなってからもう4年が過ぎました。

どうしてこの作家なのかと訊かれると、困ります。

好きなんです。

学校では習うことのない作家です。

今まで一度も彼の文章を教科書で見たことはありません。

なぜか。

それは時代の深部に入り込んでいく彼の手法にあります。

あまりにも時代遅れといわれる形式にこだわり続け、ものの本質以外には何一つ照らし出さなかったその方法にあります。

唖然とするくらい、読者はその場に取り残されます。

mohamed_hassan / Pixabay

彼は一人で孤絶しています。

誰の手を借りようともしません。

泣かない。

けっして諦めているわけではありません。

だからといって悟っているわけでもない。

ただそこにいるだけなのです。

彼はよく生老病死が人間の本質だと呟いていました。

病院に2ヶ月入院して、2度の大手術をしています。

頭蓋骨の中に膿が溜まる病気でした。

顔の上唇と上顎をメスで切り離して、脳の中の腐った部分をメスで削り取るという手術です。

人の死にも直面しています。

叔父が古い納屋の梁に荒縄を掛けて自殺したのです。

享年21歳。

車谷が小学校6年の時のことでした。

この時の様子は『鹽壺(しおつぼ)の匙』に詳しく書かれています。

車谷長吉の作品は私小説と呼ばれます。

しかしこの国の文学の1つの形をつくってきた多くの作家達のものと同じではありません。

完全に切り離されています。

彼は意識的に古い言葉を使います。

「蛇」は「くちなわ」、「化粧」は「けわい」、「言った」は「言うた」。

現代の物語には違いありません。

しかしそこで語られる風景はまさに人間の源に宿る魂そのものにみえてくるから不思議なのです。

たくさんの読者を持つ作家ではありません。

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彼は播州地方の方言を使った民衆言語で下層民の泥臭さを執拗に描きました。

近代と自己に疑問を投げかけるような苛烈な私小説を次々と世に問うたのです。

何冊か手にとってみると、口当たりのいい、今の小説とはあまりにも作風が違い、とまどいます。

しかし一度、その毒に痺れると、何度でもその洗礼を浴びたいと思うようになります。

懐かしい風景の中へ、すぐにとびこんでいける気がするのです。

ある意味、一番危険なタイプの作家かもしれません。

生前彼の作品で一番人気があったのは直木賞を受賞した『赤目四十八瀧心中未遂』です。

この作品は寺島しのぶの主演で映画化もされ、大変話題になりました。

車谷長吉という作家

1945年兵庫県姫路市生まれ。

姫路市立飾磨高等学校出身。

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本当は姫路市の公立トップ高を目指していたものの受験に失敗し、県立でも下位の高校へ回されました。

進学相談で先生に半ば馬鹿にされ、そのことが後の強烈な上昇志向の源になったと書いています。

高校3年で文学に目覚め、高校創立以来はじめてという慶應大学文学部へ進学。

卒業後は作家への道をひた走ります。

しかしうまくいきません。

広告代理店、出版社に勤めた後、挫折して故郷の料理屋で下足番として働きます。

ここからの9年間が彼の雌伏の時だったのかもしれません。

神戸、西宮、曽根崎、尼崎、三宮などのたこ部屋を転々と漂流します。

しかし編集者の一人が彼を訪ねてきてくれ、もう一度何か書けと勧めてくれました。

再び上京。

ついに作家デビューを果たします。

白洲正子、江藤淳らに高く評価されました。

播州地方の方言を使った下層の庶民的な生活を描いた作風が近代への疑問を持ち続けていた読者の琴線に触れました。

1993年、『鹽壺の匙』第43回芸術選奨文部大臣新人賞、第6回三島由紀夫賞受賞
1997年、『漂流物』第25回平林たい子文学賞受賞、第113回芥川賞候補
1998年、『赤目四十八瀧心中未遂』第119回直木賞受賞

赤目四十八瀧心中未遂

この作品を読むと、今までに読んできた私小説がみんな絵空事に思えるから不思議です。

内側に熱がこもっています。

物の怪にとりつかれたようにして、尼ヶ崎の老朽木造アパートに部屋を借りた男

igorovsyannykov / Pixabay

近代の都市が全てその表情を塗り替えようとしている中で、しぶとく流人達をつなぎとめています。

男はそのアパートの2階に身を潜め、焼き鳥で使う臓物を切っては串刺しにしていきます。

1本3円の仕事を自己処罰のように繰り返していくのです。

その姿は、売れもしない言葉をただマス目の中に埋め込んでいく小説家の姿そのものです。

読者はここに車谷の心象風景をみます。

そこにいるのは底辺に生きる人間達です。

焼き鳥屋の女主人。

毎日黙って臓物を運んでくる若い男。

刺青の彫り師と、ぞくっとするほど美しい情人。

他人の家をたらい回しにされている小学生。

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まさにどん底の風景そのものです。

男はやがて彫り物師の情人アヤちゃんに恋心をいだき、隠れて関係を持ちます。

やくざに売り飛ばされそうになるアヤちゃんを連れて、逃避行となるわけです。

しかし大学を出て、自己処罰のように暮らしている男と、情人の女は結局別の世界の人間です。

焼き鳥屋の女主人はそこまで見抜いていました。

本当に落ちきることと、落ちきるまねをすることとは違うのです。

やがて心中は未遂に終わります。

男は結局自分がなにものにもなれないという哀しみを背負って、言葉を探す以外の仕事はできないのだと知ります。

ここには車谷長吉の叫びがこもっています。

他のなにものにもなりえない人間の業とでもいえばいいのでしょうか。

読んでいても苦しい。

しかしその業を背負って生きていくという覚悟を同時に感じます。

これだけ底辺の暮らしを書けたのは、まさにあの9年間の放浪があったからに違いありません。

ここまでやらなければ小説は書けないのだとすれば、それはあまりにもつらい作業だといわざるを得ません。

人生の救い

車谷の名前が一躍人に知られるようになったきっかけは、毎週土曜日、朝日新聞別刷りの紙面に掲載されていた「悩みのるつぼ」です。

あまりに独自の回答ぶりに、読者はあっけにとられました。

悩みを打ち明けてきた人に対して、ズバッと本質に切り込む回答は読者に喜んで迎え入れられたのです。

実はぼくも大変楽しみにしていました。

何人かの回答者がいる中で、車谷長吉のが一番切り口が鮮やかでした。

それはどこからくるのか。

おそらく、自分の体験でしょう。

daeron / Pixabay

どうしようもない時は奈良の盆地を歩いて童謡を大きな声で歌った。

奥さんとお弁当を持って野原へいって食べたなどという解決策は、実に見事でしたね。

実は彼の回答だけが本になっています。

『人生の救い』というタイトルですが、ぼくはかつて国語表現の授業で何度も使わせてもらいました。

あなただったら、この悩みに対して、どのような回答をしますか、というものです。

その中でも一番の人気はこれでした。

全文は書き切れませんので一部だけです。

40代の高校教師です。
授業中、自然に振る舞おうとすればするほど、その生徒の顔をみてしまいます。
自宅でもその生徒のことばかり考えて落ち着きません。
家庭も大切なので、自制心はあるつもりですが、どうしたらいいでしょうか。
人は普通、自分が人間に生まれたことを取り返しのつかない不幸だとは思うてません。
あなたは自分の生が破綻することを恐れていらっしゃるのです。
破綻して職業も名誉も家庭も失ったとき、はじめて人間とは何かということが見えるのです。
好きになった女生徒とできてしまえばそれでよいのです。

そうするとはじめて人間の生とはなにかが見え、この世の本当の姿が見えるのです。
阿呆になることが一番よいのです。
あなたは小利口な人です。

生徒にこの回答をみせた時、みんな一様に驚いていました。

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それくらい、常識にとらわれない人だったということができると思います。

ぼくはかつてこの作家のことを何度か別のところにも書きました。

せっかくですから、それもリンクして貼っておきます。

参考   文士の魂   阿呆者

奥さんで詩人の高橋順子さんが彼の亡くなったあとにいい本をお書きになりました。

夫・車谷長吉というタイトルの本です。

随分とこのご夫婦の間にも紆余曲折があったようです。

それもこれも含めて、一人の作家の人生と言えるのかもしれません。

最後の亡くなり方は激烈でした。

そんなこともリンクしたところに書いてあります。

読んでいただければ幸いです。

最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

Bitly
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