「罰をのがれた歌詠み・古本説話集」歌には鬼神をも驚かせる力が宿る

本

古本説話集

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は説話を取り上げます。

なんといっても有名なのは『今昔物語』『宇治拾遺物語』の2冊ですね。

その他にもたくさん説話集はありますが、数奇な運命をたどった本といえば、やはり『古本説話集』でしょう。

古本説話集(こほんせつわしゅう)は、平安末期には成立したと見られる和文で書かれた仮名文字の説話集です。

前半は世俗説話46話、後半は仏法説話24話を収録しています。

昭和17年に発見され、現在の重要文化財に認定された際、『古本説話集』と名づけられました。

実に数奇な運命をたどった本です。

編者の名前は全くわかっていません。

世俗説話の中には、紀貫之、凡河内躬恒、和泉式部など王朝時代を代表する人物たちが登場します。

和歌を中心とする宮廷社会の風雅な逸事を集めています。

仏法説話には、観音菩薩の奇譚や、寺院の縁起などが収められています。

今回は歌の徳を示した段です。

比較的に短く、読みやすい文章が多いので手にとりやすいといえます。

本文

今は昔、大隅のかみの、国の政(まつりごと)したため行ふあひだに、郡の司(つかさ)のしどけなきことどもありければ、「めしにやりていましめむ」といひて、人やりつ。

さきざき、かくしどけなきことある折は、罪にまかせて重く軽くいましむることあり。

それひとたびにあらず。

たびたび重なりたることなれば、「これも戒めむ」とて、召すなりけり。

さて、「ここに召して候ふ」と申しければ、先々するやうに、うち伏せて尻頭にのぼるべき人、笞を切りまうけて、打つべき人などまうけてあるに、

人二人して引き張りて、率て来たるを見れば、頭は黒き髪もまじらず、いみじう白う見るに、打たせむ事のいとほしうおぼえければ、「何事につけてこれを許さむ」と思ふに、事つくべき事なし。

過ちどもを片端より問ふに、ただ老いをのみ高家にていらへをり。

「おれはいみじき盗人かな。さはありとも歌は詠みてむや」と言ふに、「はかばかしうはあらずとも、つかまつりてむ」といらふ。

「いで、さは詠め」と言へば、ほどもなく、わななかしてうち出だす。

「としをへてかしらにゆきはつもれどもしもとみるにぞみはひえにける」と詠みたりければ、守、いみじう感じ、あはれがりて、許してやりてけり。

現代語訳

昔、ある国で、一人の国司が政治を取り仕切っていたときのことです。

部下の郡司にだらしない行いや不都合なことがいろいろあったので、国司は「呼び出して処罰してやろう」と思い、使いの者を派遣しました。

以前から、このような行いがあったときには、その罪の程度に応じて、重くしたり軽くしたりして処罰することがあったからです。

一度だけではなかったのです。

今回も懲らしめてやろうと考え、再び郡司を呼び出したのでした。

「ここに連れてまいりました」と使いの者が声をあげました。

これまでしていたのと同じように、尻と頭に乗って押さえつける人、笞を切り取って用意して打つ役の者を決めていた時のことです。

二人の男が引っぱって連れて来たのを見ると、頭は黒い髪が一すじも混じらないくらいに白く、笞で打つことが可哀想に思われました。

そこで何とかして、郡司を許してやろうとは思うものの、体裁のいい理由がなかなか思い浮かびません。

仕方なく、これまでの過ちを一つずつ問いただしてくと、郡司はただ、年老いていることばかりを訴えるだけでした。

国司が「お前はひどい盗人だが、歌くらいは詠めるのか」と言うと、郡司は「たいして上手ではございませんが、お詠み申し上げましょう」と答えました。

国司が「それなら詠んでみよ」と言うと、郡司は時間もかけず、震えながら歌を詠み出したのです。

年を経て 頭に雪は 積もれども 霜と見るにぞ 身は冷えにける

この歌を聞いた瞬間、国司はたいそう感心し、気の毒に思って、郡司を許して帰したということです。

話のポイント

一読しただけで、どこが大切なのかすぐにわかりますね。

一言でいえば、歌の徳です。

この話の中心となるのは、最後に詠まれる和歌の内容なのです。

年を経て 頭に雪は 積もれども 霜と見るにぞ 身は冷えにける

現代語訳は次の通りです。

長い年月を経て、頭には雪のような白髪が積もっている。しかし、それを霜だと思って見ると、体まで冷えきってしまうことだよ。

ここで大切なのは、「雪」と「霜」が、白髪と老いた体を表しているということです。

昔からよく譬えに使われた表現ですね。

身は冷えにけるというのは老いた体が冷えてしまったという意味に加えて、年老いた自分の身の上のつらさや哀れさを感じさせる表現です。

頭の白髪を「雪」にたとえるだけなら、よく目にします。

しかし、それを「霜」と見立てることで、老いた体にしみる冷たさや、老年の心細さまで感じさせています。

この話にはいくつかのポイントがあります。

その第1は、和歌の力によって、処罰されるはずの老人が許されたことです。

郡司とは地方役人のことです。

律令制のもとでは、国司の下で行政を担当しました

基本的にはその地域の管理や税に関わる実務を担ったのです。

中央から来る国司に対して、郡司はその土地の有力者が任じられることが多かったとされています。

政治や租税の取り立て,裁判を行ったりもしました。

当然、国司とは対立する場面も多かったのです。

朝廷から派遣されていた国司と、現地の豪族だった郡司との関係はつねに緊張していたと考えた方がいいでしょう。

後の時代になると、郡司の力も次第に衰えていきました。

この話に出てくる頃の郡司はどれくらいの権力を持っていたのか。

考えてみる価値がありますね。

郡司は何度も不正を繰り返していたとあります。

おそらくは徴税に関する不正だと思われます。

国司の権限を犯した場面があったのかもしれません。

今回は処罰を免れない状況でした。

国司も、最初から許すつもりだったわけではないようです。

しかし老人の白髪を見て気の毒に思い、許す理由を探したのでしょう。

郡司が歌を詠むと、国司は深く感動して、ついに許してしまいます。

和歌には、人の心を動かし、厳しい判断さえ変えさせる力があるというのが、この話の大きなポイントです。

歌の持つ徳を示した構図です。

郡司は、罪を問いただされても、ただ自分の老いを訴えました。

すぐに白髪を「雪」に、老いた体に感じる冷たさを「霜」にたとえました。

ただ謝っただけでは許されないととっさに思ったのでしょう。

自分の老いを情景に置き換え、聞く人がその寂しさや哀れさを感じ取れるように表現したのです。

さらにいえば、国司には情け深さと、文学を理解する心があったことがあげられます。

処罰できる立場にありながら、最後には老人を許してしまいます。

国司の人間性と、和歌の持つ力が印象に残りますね。

だからといって不正が許されるということではありません。

この話のいちばん大切なポイントは、和歌の巧みな表現が国司の心を動かし、処罰されるはずだった老人を救ったことです。

夫婦の関係が一つの歌で元に戻ったという『大和物語』を以前紹介したことがありました。

やはり歌には鬼神をも説き伏せる絶大なパワーがあるのでしょう。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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