ポピュリズム
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は政治の大きな変化の渦を予感させるポピュリズムについて考えます。
近年よく耳にするようになりましたね。
意味をご存知ですか。
ポピュリズムとは、政治変革のための方法の1つなのです。
既成の権力構造やエリート層を、一心に批判するのが普通のやり方です。
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人びとに訴えてその主張の実現を目指す手法です。
日本では、固定的な支持基盤を超えて、直接人びとに訴える方法として捉えられています。
宗教学者、森本あんり氏の文章が『論理国語』の教科書に所収されていました。
タイトルは「ポピュリズムとはなにか」です。
本来、政治の問題にからむ話であるのに、なぜ宗教学者が登場するのでしょうか。
まさにここにポピュリズムの本質があるからなのです。
政治的な活動とはいえ、一種の宗教的な熱狂といってもいいのかもしれません。
2016年のアメリカ大統領選挙を思い出してください。
トランプ氏は既成の政治を批判するだけでなく、メキシコからの移民やイスラム教を敵視する手法で支持を広げて当選しました。
その後の演説の内容をみれば、彼の政治手法がよくわかります。
SNSを駆使し、自分に都合の悪い内容をフェイクと称して、一蹴しました。
それを多くのアメリカ人が熱狂的に支持したのです。
これほどに人々は1つの思想に酔いしれたかったのでしょうか。
ヨーロッパでもこの流れは顕著です。
ポピュリズム政党が次々と生まれて活動しています。
地方議会も含め、ドイツ、オーストリア、スイスなどでポピュリズム政党が議席を獲得しました。
現在、彼らを無視して政治は行えなくなっているのです。
教科書に収められている文章を読んでみましょう。
本文
ポピュリズムを定義するのは難しい。
ポピュリストには右も左もあり、保守派も進歩派もあり、国粋主義者もいれば社会主義者もいて、どのように定義をするにしても、それらすべてを1つの定義のもとに包摂することはできないからである。
そして、まさにこの点にポピュリズムの固有な特徴がある。
ジョージア大学の政治学者カイ・ミュデによると、ポピュリズムにはそもそもイデオロギー的な理念の厚みが存在しない。
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従来のイデオロギーは、全体主義にせよ、共産主義にせよ、政治や経済から文化や芸術まで、社会全体のあるべき姿を描きそうとしたものである。(中略)
ポピュリズムのもつ熱情は、本質的には宗教的な熱情と同根である。
社会的な不正義の是正を求める人びとは、かつては教会や寺院などの宗教的な組織にその集団的な表現経路を見いだしていた。
既成宗教が弱体化して人びとの発言を集約する機能をもたなくなった今日、その情熱の排出に代替的な手段を与えているのがポピュリズムなのである。
この点で、ポピュリズムは反知性主義と同じく、宗教なき時代に興隆する代替宗教の一様態である。(中略)
民主主義という概念は、本来いくつもの要素で構成されている。
多数決原理はそのうちの1つにすぎず、投票による民意は時代を超えたより大きな多数者を代弁することができない。
つまり「多数者」といえどもやはり全体ではなく、部分である。(中略)
このことを忘却して部分が全体を僭称するとき、正統性は内部から蝕まれる。
(『異端の時代、正統のかたちを求めて』)
宗教的な視点
筆者の森本あんり氏は神学者です。
宗教的な視点から、特にアメリカの現代社会が抱える問題を分析しています。
その彼の目に、現代のポピュリズムはどのようなものに見えるのでしょうか。
驚くべきことにポピュリズムのもつ熱情は、本質的には宗教的な熱情と同根であると言い切っている部分です。
その政治理念にイデオロギーの厚みがないことは、最初からわかっているのです。
それでも人びとは突き進みます。
その理由は単純です。
既成宗教が弱体化して人びとの発言を集約する機能をもたなくなったからなのです。
つまり何も信じられなくなった。
心の中に空白が生まれてしまったというワケです。
それを埋めるものは何かといえば、その情熱の出口になっているポピュリズムだと主張しています。
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そもそもポピュリズムとは何なのでしょうか。
大別すると、2つの定義があると言われています。
第1は、自分の支持基盤を超えて、国民に直接訴える政治スタイルです。
日本では、ポピュリズムをこのような「人びとに直接訴える政治」の意味に用いることが多いようです。
第2は、反対に「国民」の立場から、既成政党やエリート層を批判する政治運動のことです。
1番目を政治手法としてのポピュリズムと考えるならば、2番目は政治運動としてのポピュリズムです。
どちらの意味も使われているのが今の実態なのです。
多数決原理では解消しない問題を、ポピュリズムは扱います。
正統性などというものを、最初から期待していないのかもしれません。
内側は大変に弱い構造の考え方だと言わなければならないのです。
それでも人びとは信じようとします。
そこに頼るしか、道はないという切羽つまった状態なのです。
エリートや移民への反発
今、世界を動かしているのは、どのような考え方なのでしょうか。
次のアメリカ大統領選挙を例にして考えてみます。
トランプ氏の手法は明らかに、論理を超えた熱狂を生み出すタイプのものです。
自分に都合の悪いテーマは、全てフェイクと呼んで無視します。
エリートなどを批判するときの舌鋒はひときわ鋭いですね。
現状に不満を持っている人々が多くなった、アメリカ人の心をうまく捉えています。
不法移民の流入や所得格差にいらだっている有権者には、希望にみえるのでしょう。
トランプ氏の場合、先程述べた2つの条件をうまく融合させて、その時々で使い分けながら、行動している様子がみてとれます。
集会に集まる人びとの熱狂的な様子をみると、宗教団体のそれのようにも見えます。
自分に不利な判決などが出ても、それはわざと落選させるための手段なのだと主張して、自分を虐げられた国民の側に置くのです。
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アメリカを守るには、移民が押し寄せる国境を封鎖する以外にないとする主張は、多くの人びとの支持を得ています。
バイデン現大統領も、ついに南米からの移民の流入を禁止する命令を発したとのニュースも流れています。
トランプ氏の場合は、論理よりも感情に訴えるという手法でしょう。
岩盤支持層を持っているだけに、今後の選挙の行方は予断を許さないのです。
一方のヨーロッパはどうでしょうか。
近年のポピュリズム政党の台頭は目覚ましいものがあります。
グローバル化の波が押し寄せ、欧州の統合を一方的に進めた結果が如実にあらわれています。
特に問題となっているのが移民問題です。
財政的に苦しくなった国が増えました。
その痛みが多くの国民の肩に重くのしかかっています。
移民に対する大きな反感が、ポピュリズムを支える有力な基盤となっているのです。
さまざまな考え方があるのは、承知しています。
しかし宗教的な熱狂だけで、窮地を抜け出ることができないのも事実なのです。
もう1度、あなた自身の考えをまとめてみてください。
このテーマはこれからの政治とあわせて、今年の小論文の設問に登場します。
アメリカ大統領選挙を象徴する言葉なのです。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。