【九条殿の夢合わせ・大鏡】1人の女房の夢判断がとんでもない結果を招いた

九条殿の夢合わせ

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は『大鏡」を取り上げます。

866年に応天門放火の罪で流された伴大納言(九条殿)は、若いころ郡司の従者でした。

ある夜、奈良の東大寺と西大寺をまたいで立つという夢を見たのです。

そのとき、たまたま近くにいた1人の女房が夢判断をしました。

さて、その後の成り行きはどうだったのでしょうか。

九条殿とは藤原師輔(908~960年)のことです。

道隆や道長の祖父で伊周(道隆の子)の曾祖父にあたります。

結局、師輔は摂政・関白にもなれず、曾孫の帥殿(伊周)は大宰府に左遷されてしまいました。

夢の内容は途方もなく吉です。

天下をとると出たのです。

それなのに結果はひどいものでした。

なぜなのでしょうか。

夢というのは、いつの時代でも謎の多いものです。

精神分析学者、フロイトの代表作に『夢判断』という大部の著書があるのをご存知ですか。

ワケのわからないものと考えられている夢にも、無意識に基づいた統合性が備わっているというのが、彼の基本的な認識でした。

一般的に、夢とは潜在的な願望を充足させるものであると言われています。

夢は無意識による自己表現でもあるのです。

今でも、自分のみた夢を占ってもらうなどということがありますね。

月へロケットが飛んでいく時代になっても、人間は不安でいっぱいなのです。

ましてや、陰陽道が盛んだった平安時代にはどうだったのでしょうか。

夢違え

悪い夢をみたら、誰もがなんとかそれを別のものにしたいと願ったに違いありません。

「夢違(ゆめたがえ)」と呼ばれるものです。

悪夢を現実にしないために、かつては呪文を唱えたのです。

代表的な呪文の1つにこういうのがあります。

ご紹介しましょう。

唐国(からくに)のその御嶽(みたけ)に鳴く鹿もちがひをすればゆるされにけり

夢を見た朝にこの和歌を唱えると、悪夢の呪縛が断ち切れると信じられていたのです。

「夢違え」といえば、すぐに思い出されるのが、法隆寺の「夢違観音」ですね。

大宝蔵院に安置されている観音菩薩立像がそれです。

多くの人に、夢違観音(ゆめたがいかんのん)と呼ばれています。

手を合わせれば、悪い夢が良い夢に変わると信じられていました。

白鳳時代の代表作です。

人間は弱い生き物です。

なんとかして悪夢から、少しでも離れようとしたかったのでしょう。

医学も発達していない時代です。

生死にかかわる夢などをみたら、穏やかな気持ちではいられなかったに違いありません。

昔から、「夢」とは別の世界との回路であったと信じられてきました。

夢をみると、どうしても絵解きをしてもらいたくなるものです。

僧侶や、陰陽師に解釈してもらうことはごく普通のことでした。

嫌な夢は別のものに変えてしまいたい。

あるいは他人のいい夢と交換する。

そうすれば幸運が自分のところに舞い込んでくるのです。

本文

おほかた、この九条殿、いとただ人ににはおはしまさぬにや、思しめし寄る行く末のことなども、かなはぬはなくぞおはしましける。

口惜しかりけることは、まだいと若くおはしましける時、

「夢に、朱雀門の前に、左右の足を西東の大宮にさしやりて、北向きにて内裏を抱きて立てりとなむ見えつる。」

と仰せられけるを、御前になまさかしき女房の候ひけるが、

「いかに御股痛くおはしましつらむ。」

と申したりけるに、御夢違ひて、かく子孫は栄えさせ給へど、摂政・関白、えしおはしまさずなりにしなり。

また、御末に、思はずなることのうち交じり、帥殿の御ことなども、かれが違ひたるゆゑに侍るめり。

「いみじき吉相の夢も、悪しざまに合はせつれば、違ふ。」

と、昔より申し伝へて侍ることなり。

荒涼して、心知らざらむ人の前に、夢語り、な、この聞かせ給ふ人々、しおはしまされそ。

今行く末も、九条殿の御末のみこそ、とにかくにつけて広ごり栄えさせ給はめ。

現代語訳

いったい、この九条殿(師輔)は、本当にただ者ではなかったのであろうか。

ご自分の将来のことなども、成就しないことはなかったのです。

残念だったことは、(師輔公が)まだたいそう若くていらっしゃった時、

夢の中に、朱雀門の前で、左右の足を西と東の大宮大路に広げまたがって、北向きになって内裏を抱きかかえて立っているというのが見えた。」

とおっしゃったところ、師輔公の御前にいた女房が、

「どれほどお股が痛くていらっしゃることでしょうか。」

と申し上げたので、師輔公の夢がはずれて、このように子孫は栄えていらっしゃるのに、師輔公は摂政・関白の職を、なさることができずに終わったのです。

また、ご子孫に、意外な不幸が交じって起こり、帥殿(藤原伊周)の太宰権師の左遷のことなども、この夢が外れたためだったようです。

「いいことがある前兆のたいへんすばらしい夢も、悪いように占ってしまうと、はずれる。」と、昔から申し伝えていることです。

油断して、物の道理をわきまえないような人の前で、見た夢の話を、ここにいるこの話を聞いておられる人々よ、けっしてなさってはいけません。

現在も将来も、九条殿のご子孫だけが、何かにつけてご繁栄なさることは間違いありませんから。

舞い込むはずの幸運が…

夢の内容を誰に話すのかというのも大きな問題ですね。

古文にはいい夢を取られ、自分に舞い込むはずの幸運を逃す話がいくつもあります。

ごく日常的な風景だったのでしょう。

『大鏡』では、そのパターンにあたるのがこの話です。

本文には「朱雀門の前に、左右の足を西東の大宮にさしやりて、北向きにて内裏を抱きて立てり」とあります。

スケールの大きな夢です。

簡単にいえば、国家の権力を自分が一手に掌握する話なのです。

しかしそれを伝える相手を間違えました。

彼のそばにいた女房はどういう夢解きをしたのか。

吉相の夢も悪く解釈すると、悪い結果を生むことになると言われていたのです。

どんなにいい夢をみても、それをどのように解釈するのかというのは、その人次第です。

逆にいえば、悪夢をすばらしいものに変えることも可能になるわけです。

それだけに、ものを深く考える態度が、何事にも必要でしょうね。

女房が何気なく呟いた一言が、その後の人生を、大きく左右してしまうのです。

言葉には魂が宿るとよく言います。

自分の使う表現をあらためて、考え直す必要があります。

細心の注意をはらって、これからの人生を前に進めたいものです。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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