【雲居にのぼる橋・唐物語】中国の偉人伝を翻案したユニークな説話集

雲居にのぼる橋

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は説話集の中でもユニークな『唐物語』を扱います。

高校では学習した記憶がありません。

なぜでしょうか。

編者は藤原成憲(しげのり)と言われています。

平安時代末期の歌人です。

風雅を愛し、桜町中納言と呼ばれていたと『平家物語』にも載っています。

著作は12世紀後半に完成しました。

中国の説話27編からできあがっています。

男女間の悲恋を扱った話が多く、和歌を挿入した歌物語的な要素も持っています。

中国の偉人伝を翻案したという形がユニークですね。

今回の作品の主人公、司馬相如(しばしょうじょ)は前漢に流行した賦(詩)の名手であると同時に、琴の名演奏家でもありました。

『史記』にもその話が載っています。

極貧の相如が富豪の娘である卓文君と結婚後、蜀の国へ行く途中、昇仙橋の柱に出世の決意を書きつけたのです。

その後、彼の人生は願った通りになりました。

一種の出世譚で、辛抱の大切さを説いた話でもあります。

あらすじはそれほど複雑なものではありません。

司馬相如は貧乏でしたが、学識豊かで琴の名手であったこともあり、卓文君と結婚しました。

しかし彼女の親は反対したのです。

相如は蜀に赴く途中、昇仙橋の柱に大車肥馬に乗らなければ国に戻らないと書きました。

出世への道

司馬相如はいつか立派な馬に引かれた、車に乗って故郷へ帰りたかったのでしょう。

はたしてその夢を彼はたやすく手にいれることができたのでしょうか。

それほど世の中は甘くありませんね。

苦労した話が今も伝わっています。

紀元前144年の話です。

彼は故郷の成都に帰りました。

しかし、実家の生活はすでに破綻していました。

そこで臨邛県の県令を務めていた友人、王吉の勧めで、司馬相如は臨邛県に赴きます。

ある富豪の宴会に連れて行ってもらった時のことです。

たまたま、琴を披露する機会に恵まれました。

そこにいたのが、夫に先立たれ実家に戻ってきた卓文君という美貌の娘だったのです。

彼女は司馬相如の奏でる音色の美しさに、心を奪われてしまったのです。

親が猛反対したため、そこからの苦労は並々のものではありませんでした。

さまざまな仕事につき、辛酸を舐めたのです。

しかしやがて誠実な人柄が認められ、ついに正式に結婚できることになりました。

ある時、司馬相如の書いた詩が、武帝の目にとまります。

それをきっかけにして、以前の職に戻ることができたのです。

武帝は彼を皇帝のそばに仕える官職である「郎」の職に戻しました。

あまりにも詩がすばらしかったのです。

夢にまでみた立身出世を果たし、再び昇仙橋を渡って司馬相如は故郷に戻ってきました。

大事をなそうとする人間は、壮大な決意を持たなければ、それを実現することができないという教訓です。

本文

昔、相如(しょうじょ)といふ人ありけり。

世にたぐひなきほどに貧しくてわりなかりけれど、よろづのことを知り、才学ならびなくして、琴をぞめでたく弾きける。

卓王孫といふ人のもとに行きて、月の明かき夜、よもすがら琴をしらべてゐたるに、この家あるじの娘に卓文君と聞こゆる人、

あはれにいみじくおぼして、常はこれをのみめで、興じけるを、この文君が父母、相如に近づくことをいとひ憎みけれど、琴の音をやあはれと思ひしみにけむ、この男にあひにけり。

女方の父、よろづの宝に飽き満ちて、世のわびしきことを知らざりけり。

かかれども、このわび人にあひ具したることを、いと心づきなきさまに思ひ取りて、いかにも娘の行方を知らざりけれど、つゆちり苦しと思はでなむ、年月を過ぐしける。

この夫、蜀といふ国へ行きける道に、昇仙橋といふ橋ありけり。

それを歩み渡るとて、橋柱にものを書きつけけり。

我、大車肥馬に乗らずは、またこの橋を帰り渡らじと誓ひて、蜀の国に籠りにけり。

そののち思ひのごとくめでたくなりてなむ 、橋を帰り渡りたりける。

女、年ごろ貧しくてあひ具したるかひありて、親しき疎き、世の中の人々にも、たぐひなくうらやみける。

沈みつつわが書きつけし言の葉は雲居にのぼる橋にぞありける

心長くて身をもて消たぬは、今も昔もなほいみじくこそ聞こゆれ。

現代語訳

昔、相如という人がいました。

世にも稀なくらいに貧乏で難儀をしていましたが、あらゆる事に通じ、その才能と学問は比類が無く、また琴をたくみに奏でることができたのです。

卓王孫という人のところへ行った折りのこと、月の明るい晩に、夜もすがら琴を奏していると、この家の主人の娘で卓文君と申しあげる人が心から素晴らしいとお思いになりました。

それからはいつもこの相如の琴の音にひたすら聞き惚れるようになったのです。

この文君の父母は、文君が相如に近付くことを不快に思っていましたが、文君は琴の音につきせぬ情趣を覚えたのでしょう。

この男とついに夫婦になりました。

女の方の父親は、あらゆる財宝を飽きるほど多くもっており、世の中の貧困というものとは無縁でした。

ところが、娘がこの貧乏人に稼いだことを、いかにも、気にくわないと思ったまま、全く娘の行方を知らないにもかかわらず、いささかも意に介することなく、歳月を送っていたのです。

ある時、夫の相如が蜀という国へ行く途中、昇仙橋という橋がありました。

それを歩いて渡る時に橋の柱に、「私は、大きな車や肥えた馬に乗れるようになってからでなければ、再びこの橋を渡り返すことはしない」と書いて誓い、蜀の国に滞留しました。

その後、望み通り出世することができて、この橋を渡って帰ったのです。

女は、何年も貧しいなかを連れ添ったかいがありました。

相如は世間の人々もこの上なく羨むような身分になることができました。

沈みつつわが書きつけし言の葉は雲井にのぼる橋にぞありける

(不遇な身分に沈んでいた時に私が書き付けた言葉は、出世して身分が上がる糸口でした。書き付けた昇仙橋という橋の名の通りになったのです)

気長に耐えて、身を持ち崩さないということは、昔も今も、やはり優れた処世態度と思われます。

克己心の大切さ

人間は自分の思い通りにならない時、つい自暴自棄になりがちなものです。

しかし自分努力し続け願いが成就した辛抱強い生き方は、大いに称賛されていいのかもしれません

今の世の中で、この話に1番近いのは、大リーグ・ドジャーズの大谷翔平選手かもしれません。

最初からピッチャーとバッターの二刀流を標榜し、大リーグへの挑戦を高校時代から願っていました。

頼っていた通訳に裏切られて、葛藤は人並み以上のことだったと思います。

それでも日々、結果を出そうとしている姿には頭が下がりますね。

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自分に勝つための克己心がいかに大切かということを、この話はわかりやすく伝えています。

願った以上の人間に自分がどうすればなれるのかという、大きなテーマであるといえます。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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