故郷の廃家
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回はぼくの好きな本を1冊、紹介します。
『故郷の廃家』がそれです。
この本の奥付には2005年2月とあります。
新潮社から出版されました。
今から20年も前のものです。
店頭に出たとき、すぐ手にとりました。
それから何度か読み返しています。
実はつい先日、読了したばかりです。
内容は故郷にまつわるエッセイとでもいえばいいでしょうか。
饗庭(あえば)家の歴史を綴った本です。
前半は琵琶湖を中心とした滋賀県の地理的な特徴から始まり、弥生時代から現在に至る歴史を辿っていきます。
地誌学的な要素も持った内容です。
よくこれだけの資料にあたったものだと感心しますね。
ものすごい忍耐力です。
書き出しは非常に印象的です。
滋賀県高島郡にある実家の倉が破られ、長持に保存してあった古文書やら貴重な什器などの生活品が盗難に遭った、というところから始まるのです。
いつか、家の歴史を書きたいと思っていたとあります。
それらが失われたことで、本格的に調べる気持ちになったのかもしれません。
饗庭家の先祖たちがどのように生きてきたのかを、正確に浮かびあがらせようとしたのでしょう。
雪の多い寒い土地だということが、実によくわかります。
饗庭野と呼ばれる琵琶湖の西側の暗い冬の風景が、豊かな言葉の抑揚と重なり、よりいっそう強い印象を際立たせています。
先生との出会い
饗庭孝男という一人の人間のことを忘れることはできません。
時々、脳裡に浮かびます。
不思議な出会いでした。
大学でお世話になった先生の1人なのです。
ぼくにとって、講義は単位にならないものでした。
専攻が違っていたのです。
授業はゼミナール形式でした。
受講していたのはせいぜい10人くらいだったでしょうか。
聴講生の方が多かった記憶があります。
饗庭先生はぼくの在籍していた大学に数年間、講師として招聘されていました。
貴重な機会だったと言えます。
授業のあと、近くの喫茶店にも何度か寄りました。
寡黙な人でした。
友人と2度ほど、ご自宅を訪ねたこともあります。
東横線妙蓮寺界隈の風景が頭に浮かびます。
ゼミの内容は、小説家の伊藤整と文芸評論家の小林秀雄を扱う授業でした。
毎回、1人ずつが作品を決めて発表し、そのあとで話し合うというタイプの授業です。
とにかく博識でしたね。
刺激的でした。
この授業に出られたことで、文学の深さをさらに知ることができました。
伊藤整の作品はそれまで読んだことがなかったので、必死に読破したのです。
なかでも『発掘』『氾濫』『変容』がいちばん印象に残っています。
詩魂のある文章
先生はそのころ、実に多くの本を上梓していました。
最も筆力にあふれていた時期だったのではないでしょうか。
著書のほぼすべてがフランス文学と日本文学との架橋となる評論でした。
通常、文学評論は堅い印象の論理的な文章が多いのですが、饗庭先生の文章には「詩」があったのです。
言葉の選択が的確で、それが心地よかったですね。
ヨーロッパの古寺を訪ね歩くのが好きだったことも、後に知るようになりました。
『シエナ幻想』を読むと、その表現の美しさに引き込まれてしまいます。
後に、ぼく自身、どうしてもシエナに行きたくて、イタリアへ出向いたこともありました。
その彼が饗庭家の歴史を描いたのがこのエッセイなのです。
双子の弟としてひ弱に生まれ、胸を病みながらかろうじて生きてきたという背景がよくわかります。
祖父は村長を30歳で退き、名家であった家を一代で傾けてしまいました。
父親は学者になりたかったものの、代用教員をしながら、文検に合格し、やがて図書館長になります。
本当に学問好きな人だったのでしょう。
独学で文検に合格するというのは、想像をはるかに超えています。
苦労を重ね、一生をかけて父親の借財を返済していったのです。
長兄の病気や兄の努力の話を読んでいるだけで、ここまで人生は不条理なものかと思わざるを得ません。
父親が祖父の借財を返すために、どれほどの苦労をしたのかということもよくわかります。
戦争の中、妻や子供をかかえ、苦しみ続けた様子が目に見えるようです。
秀才の誉れ高かった二人の兄は次々とこの世を去っていきます。
次兄は中学の教員生活を送りながら、勉学を続け、独学で慶応大学法学部の大学院に入学します。
そこから弁護士になるまでの活躍は見事につきます。
しかし極度の疲労やストレスに襲われてしまったのでしょう。
医療事故のエキスパートとなり、弁護士として活躍した時期も短いものでした。
脳細胞障害に襲われてしまったのです。
長兄も院内感染で、透析の針をさすところを間違えられ、意識が戻らない状態になります。
次から次へとさまざまな天災や人災が重なり、生きていくことの困難さが増していくのです。
本文の中で、ぼくが最も好きなところを抜き書きします。
なぜ、このエッセイを彼が書いたのかが、はっきりとわかります。
亡くなる前に書いた最後の著書なのです。
ここには饗庭孝男という人間の、もっとも深いところにある思いがよく見えます。
本文
人は生き、愛し、苦しみ、亡くなる。
当然のことながら故郷の山河でもどこでも生死の無数のドラマが継起する。
緑の生気にみちた夏の光がそこに注いでいる。
光も人々の笑い声も、主はかわっても同じように一つの風景と人間の生活を示していることに変わりはない。
私は自らが次第に歴史の中に入り、歴史のささやかな証人のごとき様子を呈してきたと思わざるをえない。
自らの過去を遡ることは、これら己れをとりまく多くの存在たちの生きた歴史をその遠近法のうちに置くことなのだ。
歴史をものがたろうとするその瞬間から、私は自分が歴史の中の無数の存在の語り部の一人であることを自覚する。
多くの死者たちがまわりにふえて、やがてその死者たちの海に自らもゆっくりと沈んでいくのであろう。
一つずつがブロックとなってそのあたらしい死者の思考の内閉された遠近法のなかに相貌をみせる。
それらは他の惑星のような無数の人さまざまな歴史の円環と交差し、後にやってくるものに、人間の生死とは何かを語ろうとするのである。
語り部は一つの器である。
可能なかぎり無私の器である。
語り部であることを自覚したものは、その瞬間から、語るべき言葉を失い、あるいは持たなかったものたちのために語らねばならない。
父も父の兄弟も母も母の妹や弟たちも、あるいはその外縁につながるものも全て言葉を沈黙のうちに、暗黙のうちに望んでいる。
言葉がなければ彼らは存在しない。
言葉によって語ることは、彼らを存在させることだ。
言葉のもつ意味
自らの過去を遡ることは、これら己れをとりまく多くの存在たちの生きた歴史をその遠近法のうちに置くことなのだ。
この表現は重いですね。
「昔は今津の南のはずれから、古い紅殻格子の家が並んでいた。それは魚屋、つくだに屋、竹細工商と、ありふれた古道具屋だったが、私は湖畔のこうした町の雰囲気が好きだった。家並の間に一瞬、湖が見えて光る」
彼は詩人でした。
この文章を読めば、豊かな言葉の根源が見えてきます。
饗庭孝男(1930~2017)の代表作は『石と光の思想』『戦後文学論』です。
「石」は西洋の象徴です。
光とあわせて、西欧の文化や風土を日本のそれと対照させながら、論じました。
フランス文学者として1967年にはフランス政府招聘教授としてパリ大学と国立高等研究院に赴任しています。
2004年、「新潮」に連載した『故郷の廃家』が最後の作品です。
タイトルがいかにも寂しいですね。
ひとつの家に連なる人間が次々と亡くなっていきます。
それを語った彼自身も今は鬼籍の人です。
人の生きざまが無常であることを想起させずにはいない鎮魂の本だ、とあらためて感じました。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。