【枯野抄・芥川龍之介】芭蕉臨終の場面で弟子たちがみせた心理のドラマ

枯野抄

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は芥川龍之介の小説『枯野抄』について考えてみましょう。

現代文の授業で習った人がいるかもしれません。

残念ながら、ぼくは扱ったことがないですね。

たまたま教科書に載っていなかったからかもしれません。

読むのはそれほどに難しくはないです。

しかし作品の底にある人間の心理を紐解いていくと、怖ろしいものがあります。

この小説は松尾芭蕉の臨終を扱っています。

死が迫った床のそばに集まる弟子たちの心の内側を描いたものです。

松尾芭蕉(1644~1694)についてはご存知だと思います。

江戸時代前期の俳人です。

このブログにも『奥の細道』についての記事をいくつか書きました。

時間のある時に読んでいただければ幸いです。

元々は武士でしたが、やがて職業的な俳諧師の道を歩みます。

深川に今もある芭蕉記念館を訪ねてみてください。

直筆の手紙などを読むこともできます。

亡くなるまで各地を行脚しました。

代表作には『笈の小文』『野ざらし紀行』『奥の細道』などがあります。

元禄7年、西国行脚を志しましたが、その途中、51歳のとき大坂で病没しました。

『枯野抄』はまさにその臨終の様子を描いたドキュメンタリーのような作品なのです。

夏目漱石の死

なぜ芥川はこのような小説を書いたのでしょうか。

諸説あります。

彼はこの作品を通して師、夏目漱石の死を描いたとするものが有力です。

最後の弟子ともいわれる芥川は『鼻』を漱石に激賞され、こういうものをあと10本書けば、日本では類のない作家になれると言われました。

その時から、弟子の1人になったと言われています。

芭蕉と漱石の臨終の様子を想像してみてください。

そこに集まった弟子たちの様子を見て、芥川は多くの感慨を抱きました。

それはほぼ直感に近いです。

木曜会と呼ばれた漱石の門下には、当時のすぐれた頭脳が集結したのです。

それだけに、人間の心理の綾がそこには渦巻いていました。

芥川はそれを間近で見たのです。

それが芭蕉の臨終という作品に結晶するまで、それほどの時間はかかりませんでした。

松尾芭蕉に仮託して、人間のどこまでも自己中心的であろうとする心理の襞を描こうとしたに違いありません。

漱石は気難しい人でした。

いろいろな作品を読めば、そのことがよくわかります。

それを無理に覆い隠そうとしたものの、弟子たちには見抜かれていたのです。

臨終に際して、弟子たちが何を考えたのか。

それを芥川は書きたかったに違いありません。

人間の心理の中にある利己的な要素を『枯野抄』は実に深く描いています。

登場人物それぞれの描写が見事ですね。

怖いくらいにその心の内側が描かれています。

外にあらわれた態度との比較をすれば、それだけで十分な内容になります。

時は元禄7(1964)年10月12日の午後のことです。

大阪の商人、花屋仁左衛門の裏座敷では、俳諧の巨人、松尾芭蕉が、静かに息を引きとろうとしていました。

その場の様子を書き込んだ文章を少しだけ転載します。

本文は「青空文庫」で読めます。

文章をかなり割愛しました。

作品そのものは大変短いので、ぜひ全文をご一読ください。

本文

寂然と横はつた芭蕉のまはりには、先、医者の木節が、夜具の下から手を入れて、間遠い脈を守りながら、浮かない眉をひそめてゐた。

その後に居すくまつて、さつきから小声の称名を絶たないのは、今度伊賀から伴に立つて来た、老僕の治郎兵衛に違ひない。

と思ふと又、木節の隣には、誰の眼にもそれと知れる、大兵肥満の晋子其角が、紬の角通しの懐を鷹揚にふくらませて、憲法小紋の肩をそば立てた、ものごしの凛々しい去来と一しよに、ぢつと師匠の容態を窺つてゐる。

それから其角の後には、法師じみた丈艸が、手くびに菩提樹の珠数をかけて、端然と控へてゐたが、隣に座を占めた乙州の、絶えず鼻を啜つてゐるのは、もうこみ上げて来る悲しさに、堪へられなくなつたからであらう。

その容子をぢろぢろ眺めながら、古法衣の袖をかきつくろつて、無愛想な頤をそらせてゐる、背の低い僧形は惟然坊で、これは色の浅黒い、剛愎さうな支考と肩をならべて、木節の向うに坐つてゐた。

あとは唯、何人かの弟子たちが皆息もしないやうに静まり返つて、或は右、或は左と、師匠の床を囲みながら、限りない死別の名ごりを惜しんでゐる。

が、その中でもたつた一人、座敷の隅に蹲つて、ぴつたり畳にひれ伏した儘、慟哭の声を洩してゐたのは、正秀ではないかと思はれる。

芭蕉はさつき、痰喘にかすれた声で、覚束ない遺言をした後は、半ば眼を見開いた儘、昏睡の状態にはいつたらしい。

うす痘痕のある顔は、顴骨ばかり露に痩せ細つて、皺に囲まれた唇にも、とうに血の気はなくなつてしまつた。

Free-Photos / Pixabay

「水を。」木節はやがてかう云つて、静に後にゐる治郎兵衛を顧みた。

一椀の水と一本の羽根楊子とは、既にこの老僕が、用意して置いた所である。

彼は二品をおづおづ主人の枕元へ押し並べると、思ひ出したやうに又、口を早めて、専念に称名を唱へ始めた。

治郎兵衛の素朴な、山家育ちの心には、芭蕉にせよ、誰にせよ、ひとしく彼岸に往生するのなら、ひとしく又、弥陀の慈悲にすがるべき筈だと云ふ、堅い信念が根を張つてゐたからであらう。

其角が意外だつた事には、文字通り骨と皮ばかりに痩せ衰へた、致死期の師匠の不気味な姿は、殆面を背けずにはゐられなかつた程、烈しい嫌悪の情を彼に起させた。

兎に角、垂死の芭蕉の顔に、云ひやうのない不快を感じた其角は、殆何の悲しみもなく、その紫がかつたうすい唇に、一刷毛の水を塗るや否や、顔をしかめて引き下つた。

其角に次いで羽根楊子をとり上げたのは、さつき木節が相図をした時から、既に心の落着きを失つてゐたらしい去来である。

日頃から恭謙の名を得てゐた彼は、一同に軽く会釈をして、芭蕉の枕もとへすりよつたが、そこに横はつてゐた老俳諧師の病みほうけた顔を眺めると、或満足と悔恨との不思議に錯雑した心もちを、嫌でも味はなければならなかつた。

心理描写の細かさ

芥川龍之介という作家はなぜこのように人の心理の襞をはがすことがうまいのでしょう。
舌を巻きますね。

芭蕉の臨終に参じたのは、医師の木節、老僕の治郎兵衛、そして門人の其角、去来、丈艸、乙州、惟然坊、支考、正秀らです。

死の近い芭蕉の描写もみごとです。

数日前に詠んだ有名な辞世の句がこれです

旅に病んで夢は枯野をかけめぐる

まさに老翁は夢の世界を逍遥しているかのようでした。

木節は、隣にいた其角に合図をします。

すると、その場にいた一同の心に緊張感が走りました。

それと同時に、なぜか不思議なくらいにゆったりとした安心感も芽生えてきたと描写しています。

これがまさに漱石臨終の瞬間に、芥川が感じた気分そのものだったのてはないでしょうか。

感謝の気持ちと同時に、これからは師の視界から離れ、自立してもいいという安堵感にも似た感情ともとれます。

其角は師匠の顔を覗きこみます。

しかし悲しい気持ちは湧いてこないのです。

むしろ冷淡なくらいに澄みわたっていたともいえます。

世話をし続けた去来は師の死よりも、疚しいくらい、自分の献身に酔っています。

弟子の何人かが、鼻をすすりだしました。

支考は師匠の最後を悼まずに、師というものを失った自分を悼んでいるという実感から離れられません。

このように次々と弟子たちの心の内側がえぐられ、描写されていきます。

残りの門人たちが次々と師匠の唇を潤し、芭蕉の呼吸は細くなりました。

丈艸はここではじめて、安らかな心持ちになれたのです。

人間の我というものは、空恐ろしいものだとしみじみ感じます。

それを描こうとした芥川の我も怖ろしいですね。

『枯野抄』は名作です。

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名作とは、すなわち、読む人間にとって突き刺さる刃でもあるのではないでしょうか。

今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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