【立原道造・ソネットとの出会い】夭折の詩人の言葉には死の予感が

ソネット形式

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は立原道造の詩を読みます。

名前は聞いたことがあると思います。

特に女性には人気がありますね。

詩の言葉が優しいのです。

しかし内容は厳しく、孤独感に満ちています。

ソネット形式は多くの詩人によって生み出された言葉の万華鏡かもしれません。

わずか14行の詩です。

「4行・4行・3行・3行」という言葉の紡ぎ方には不思議な響きが宿っています。

フランスの象徴派詩人たちは好んで、この形を用いました。

ヨーロッパの定型詩としては、長い伝統を持っています。

14行詩は本当に短いです。

だからこそ、そこに余韻が残るのかもしれません。

日本文学の伝統である俳句や短歌と、どこかで重なり合うものがあるのでしょうか。

日本人でこの型の詩を多く作った人にだれがいるのか。

戦後、加藤周一、中村真一郎、福永武彦等の人々によって、ソネットの制作を試みる文学運動が進められました。

この運動は「マチネ・ポエティク」と呼ばれています。

フランス文学を主に学んだ人たちの集まりでした。

しかしあまり活動そのものはうまくいかなかったようです。

堀口大学の『月下の一群』などにはボードレールやヴェルレーヌの詩などを翻訳したソネットが多くあります。

夭折の人

では日本の詩人では誰がソネット形式をよく利用したのか。

やはり、中原中也、立原道造でしょう。

高校では立原道造の代表作を必ず学びます。

『萱草に寄す』(わすれぐさによす)という詩集がそれです。

わずか24年の短い生涯でした。

東京府立三中では芥川以来の秀才と称されたそうです。

一高在学中に三中の先輩でもある堀辰雄を知り、東大在学中の夏に、信濃追分に滞在、土地の旧家の孫娘に恋をした話も有名です。

立原道造というと、つねに信州の風景と重なってしまうのは、この時の体験が大きく影響しているからではないでしょうか。

詩の中にも多く、追分の風景が登場します。

詩作、翻訳、建築にその才能を発揮しすぎたのかもしれません。

順風満帆だった彼は、最初の詩集を出版してからわずか2年後の1939年3月、結核によりこの世を去ってしまいました。

自然と人間の交感をうたった詩が多いですね。

言葉があまりにも透明すぎます。

天上からの光をそのまま素手で受け止めようとし、その自分自身の姿に疲れはててしまったかのようにも見えます。

はかない美への憧憬にあふれた詩が多いのです。

あまりに寂しい詩が多いのも、彼の特徴です。

一言でいえば、自分の運命に対する予感に満ちていたのではないでしょうか。

寂寥感と喪失感に満たされた言葉が、多くの読者の心を捉えたのも事実です。

『萱草に寄す』にある彼の代表作は何かと言われたら、やはり「のちのおもひに」に尽きると思います。

のちのおもひに

夢はいつもかへつて行った 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を

うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
――そして私は
見てきたものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれも聞いてゐないと知りながら 語りつづけた

夢は そのさきへは もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう

この詩には悲しみがこもっていますね。

春に草ひばりが鳴き、夏の青い空には陽が照ったのもつかの間のことです。

やがて誰もいない空間に向かって、その思い出を語ります。

しかしやがて忘れてしまったことを忘れ、夢は凍ってしまうのです。

なんと悲しい歌でしょうか。

14行のソネットの中に、ここまで人は寂寥を歌わなければいけないのかと思います。

この詩人の見ていた風景はどのようなものなのか。

それが知りたいです。

「さびしい村」「忘れる」「真冬」「追憶」「凍る」「寂寥」。

いずれも負の要素をもった言葉ばかりが続きます。

悲しいけれどその結晶が美しいのです。

おなじ詩集の中にある次の詩はどうでしょうか。

夏花の歌

あの日たち 羊飼ひと娘のやうに
たのしくばつかり過ぎつつあつた
何のかはつた出来事もなしに
何のあたらしい悔ゐもなしに

あの日たち とけない謎のやうな
ほほゑみが かはらぬ愛を誓つてゐた
薊の花やゆふすげにいりまじり
稚い いい夢がゐた――いつのことか!

どうぞ もう一度 帰つておくれ
青い雲のながれてゐた日
あの昼の星のちらついてゐた日……

あの日たち あの日たち 帰つておくれ
僕は 大きくなつた 溢れるまでに
僕は かなしみ顫へてゐる

立原道造の詩には、娘がよく登場します。

congerdesign / Pixabay

人間の悲しみを知らない無垢な乙女たちばかりです。

笑っている彼女たちの姿をみているだけで、癒される詩人の姿は、どこかあえかで弱いですね。

時間の流れの果てに、佇んでいる自分とは何であるのか。

それを必死で探すのです。

しかしそう簡単に掴み切れるものではありません。

夢みたものは

彼の詩に作曲家、木下牧子がつけたこの曲は、名品というしかありません。

この詩が収められている詩集『優しき歌』は、彼が亡くなる前年に上梓されました。

肺結核だったのです。

そのことを思うと、ソネットの言葉がいっそう深く、心に響いてきます。

この歌は女声、男声、混声用に編曲され、現在も多くの合唱団によって歌われています。

立原道造の描き出した「夢」の原型が全て描き出されているといってもいいでしょう。

詩だけではなく、コーラスもぜひ聴いてみてください。

ソネットが美しいです。

夢みたものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある
明るい日曜日の青い空がある

日傘をさした 田舎の娘らが
着かざつて 唄をうたつてゐる
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊ををどつてゐる

告げて うたつてゐるのは
青い翼の一羽の小鳥
低い枝で うたつてゐる

夢みたものは ひとつの愛
ねがつたものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と

StockSnap / Pixabay

何気ない、ありふれた風景の中に幸せがあるという事実を明確に描き出した詩です。

私たちの日常こそが幸せの源泉であると気づかせてくれる詩です。

とても優しくあたたかい気持ちになれる言葉ですね。

日曜日の平和な木漏れ日の中にいるような、満たされた感覚とでもいえばいいのか。

そして、聴いているだけで、詩人の魂が、心の襞に染み込んできます。

現代詩をたくさん読んでいると、このような甘美な気持ちになることがほとんどありません。

立原道造の詩はその対極にあるのではないでしょうか。

誰もが読んで、その感傷にひたることができます。

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花や小川や太陽の美しさの裏側にある、ある種の諦念や厳しさに触れることも可能なのです。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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