若宮誕生
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は『紫式部日記』を取り上げましょう。
この日記は『源氏物語』の著者が、平安時代の寛弘5年(1008)7月から同7年(1010)正月までの約1年半の間のできごとを書き遺したものです。
いったい何があったのか。
いちばん大きなドラマは紫式部が仕えた中宮彰子が皇子を出産したことです。
これによって、彼女の父親、藤原道長の権勢が一気に強大なものになりました。
つまり次の天皇の外祖父になれたのです。
自分の娘が天皇の子供を産む。
これ以上に確かな権力の手に入れ方はありません。
夢にまでみた孫の誕生でした。
その祝賀の様子、貴族や宮中の人々の人間関係などを、紫式部が綴ったのです。
それだけではありません。
日本を代表する長編小説『源氏物語』も生まれました。
最初はそれほど多くの人に読まれる作品ではありませんでした。
しかし次第に評判があがるにつれ、道長の目にもとまるようになります。
そこから宮中へ出仕するという破格の道がひらかれました。
紫式部は宮仕えをしながら、藤原道長の庇護のもとで『源氏物語』を書き続け、完成させることとなります。
その宮仕えの時期に記していたのが、『紫式部日記』なのです。
今年はNHKのドラマ「光る君へ」が好調なこととあいまって、随分と読まれているようですね。
それだけでなく、関連の本もたくさん出版されています。
お勧めの本
『紫式部日記』をそのまま読むのももちろんいいです。
しかし現代の作家や研究者たちによって書かれた本も、また別の味わいがあります。
例えば、ぼくが最近読んだこの2冊はどうでしょう。
夏山かほるの『新紫式部日記』と山本淳子の『紫式部ひとり語り』です。
どちらも『源氏物語』に秘められた謎を、藤原道長とからめてうまくまとめた作品です。
紫式部の気持ちになって全体を描いた作品なので、はやく先を読みたいという気持ちになります。
十分にお勧めできますね。
読んでもらえればわかりますが、道長との関係については、それぞれの書き手によって大きな差があります。
テレビドラマのように、あまりに恋愛問題をクローズアップしすぎると、さてどうなのかという疑問も湧いてきます。
実際にはなんの証拠もないわけですから、脚本を書いている大石静の持つイメージがそのまま、内容に反映していると考えるのが普通でしょう。
彼女がどういう人だったのかということは、あまりよくわかっていないのです。
平安時代の女性の生き方は実に限定されたものでした。
平均寿命も短いですし、今と比べることはできません。
それでもそういう環境の中で、必死に生きていたことは間違いがないのです。
藤原道長は彼女の才能をいちはやく見抜き、中宮彰子のサロンに女房兼相談役として抜擢しました。
それが権力者になるための確実な1つの方策だったのです。
当時しては高価な紙も好きなだけ、紫式部に与えました。
多くの文化人を娘、彰子の周囲に配置することも、権力基盤を支えるためには必要でした。
それだけに娘に男の子が生まれたという事実は、想像以上の重みを持っていたのです。
孫が生まれたという事実と自分の権勢を整えたという意味で、男児の誕生は大きな喜びでした。
その様子が、実にうまく表現されています。
紫式部にとっても、人生の中での大きなイベントであったことは、間違いありません。
今回取り上げたところは特に筆が終始、踊っています。
その感触を味わってみてください。
本文
十月十余日までも、御帳出でさせ給はず。
西のそばなる御座に、夜も昼も候ふ。
殿の、夜中にも暁にも参り給ひつつ、御乳母の懐をひき探させ給ふに、うちとけて寝たるときなどは、何心もなくおぼほれておどろくも、いといとほしく見ゆ。
心もとなき御ほどを、わが心をやりて、ささげうつくしみ給ふも、ことわりにめでたし。
あるときは、わりなきわざしかけ奉り給へるを、御紐ひき解きて、御几帳の後ろにてあぶらせ給ふ。
「あはれ、この宮の御尿に濡るるは、うれしきわざかな。この濡れたる、あぶるこそ、思ふやうなる心地すれ。」と、喜ばせ給ふ。
中務の宮わたりの御ことを、御心に入れて、そなたの心寄せある人とおぼして、語らはせ給ふも、まことに心の内は、思ひゐたること多かり。
行幸近くなりぬとて、殿の内をいよいよつくりみがかせ給ふ。
現代語訳
彰子様は十月十四日までも、寝所からお出になりませんでした。
女房たちは西側にある御座所に、夜も昼もお仕え申し上げています。
道長様は夜中にも明け方にも参上なさっては、若宮を御覧になろうとします。
乳母が気を緩めて寝ている時などは、何の心の用意もなくぼんやりと目を覚ますのも、たいそう気の毒に思われます。
若宮はまだ何もお分かりでないご様子なのを、道長様はご自分だけがうれしくいい気持ちになって抱き上げてかわいがりなさいます。
それも当然ですし、すばらしいことです。
ある時には、若宮がとんでもないことをしかけ申し上げなさったりもします。
おしっこをなさって、道長様の着ているものを濡らしてしまうのです。
道長様はお紐をひき解いて直衣を脱ぎ、御几帳の後ろであぶってお乾かしになります。
「ああ、この若宮の御尿に濡れるのは、うれしいことだなあ。
この濡れたのを、あぶったりするのは、望みどおりになった心地がすることだよ。」とお喜びになります。
中務の宮に関することに、殿はご熱心で、そちらのほうに心を傾けている者とお思いになって、私にお話しになります。
本当に私の心の内では思案にくれていることが多いのです。
内省する人
紫式部という人は、常に自分の周囲を冷静に見て取れる才能の持ち主でした。
これだけはしゃいでいる権力者の実像を目の前にしながら、彼女のこころはずっと内側にこもっていきます。
この段の後半部分は、実にみごとなくらい、自分の内側を描写した表現に満ち溢れています。
どんなに新しい命がうまれ、それによって道長が権力者に昇り詰めたとしても、それが彼女にとっては喜びに変化することはありませんでした。
もちろん、嬉しくなかったワケではありません。
しかし世の無常を同時に作家の目が捉えています。
その部分は別の記事にしていますので、時間のある時に読んでみてください。
清少納言のような心底から湧きあがってくる喜びとは全く違う、昏さを秘めています。
そけだけに、自分の周囲を捉える目も、確実に正確なのです。
この権力の構造もやがてはついえていくことを、紫式部は知っていました。
自分がいつまでも宮中にいられないという予感も働いていたのでしょう。
ある意味で、彼女は「見者」でした。
その予感がこの段の後半には色濃く出ています。
祖父となった道長が孫におしっこをひっかけられて喜んでいる構図と正反対のものです。
その対比がこの世の厳しさをより強調しています。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。