益久の味わい
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回はいつもと違う、ある染繊研究所の話をさせてください。
といっても特別な場所ではありません。
ごく普通のお店です。
いつの頃からか、毎年1度は奈良へ行っています。
多い時は2回の時もあります。
京都で乗り換えて、JRなら1時間。
近鉄特急でも30分以上はかかります。
逆にいえば、その手間が貴重なんでしょうね。
確かに乗り換えるのは面倒くさいです。
だから京都とは違う残り方をしているのだともいえます。
京都に比べると、やはり田舎だし、規模が小さいです。
だからこそ、手酷い観光公害に悩まされるというレベルまでには至っていません。
もちろん、インバウンドの数は増えました。
それでも京都とは何かが違います。
時間の流れでしょうか。
どこかゆったりとしています。
背後に飛鳥を控えていますからね。
平城京は平安の都よりも、ひとまわり古い歴史の点景なのです。
以前、何度か自転車で一日かけて走りまわりました。
東大寺から坂をずっと下っていくと、風景がまた変わります。
その味わいも好きですね。
古い都の風情
奈良町もはずれまでいくと、賑やかさが消えます。
新薬師寺の周辺は鄙びていますが、春日大社の神主たちが住んでいた高畑町のあたりや、志賀直哉の旧居近くなどは、独特の味わいに満ちています。
近鉄奈良からJR奈良までの通りも随分とかわりました。
高いマンションもでき、もちいどの通りも以前のようではありません。
こぎれいな店があちこちに生まれました。
以前の様子とはかなり変わってしまったのです。
その細い通りにあったのが益久染織研究所でした。
広いお店で見ているだけで、楽しかったです。
すごい量の糸や布が置いてありました。
奈良へ行くたびにこのお店に寄ったのです。
何回訪れたことでしょうか。
しかしいつの間にか、お店はなくなり、近鉄とJRの接続する三条通りに移転しました。
売り場面積が20分の1くらいになりました。
ところがここも寿命は短かったです。
実は法隆寺のそばにもお店があります。
こちらがどうやら本店のようです。
時代の流れなのでしょう。
どんなにいい商品だということはわかっていても、価格が高ければ容易に手はでません。
いわゆるブランド品的な価値とは別のものです。
近年はファストファッションで間に合わせる風潮が、一気に広がりました。
品質だけで生き残れない時代に入りつつあるのかもしれません。
中目黒の店舗もついに消えた
中目黒に新しいお店ができたのは少し前のことでした。
東京に出店すると聞いて、家人は少しほっとしたようです。
頻繁に奈良まで出かけて、糸や布を買ってくるというワケにもいきません。
いつの間にか、中目黒の店へ通うようになりました。
ぼくも1度だけついていったことがあります。
川沿いの道からひとつ隔たった静かな住宅街の中にありました。
もともと、天然素材の自然の糸だけを扱っているお店なのです。
この研究所は綿花の栽培までやっているという、異色のワークグループです。
たまたまある年の夏に出かけた時、このお店で買った素材でつくったポーチを家人が持参したことがありました。
それを店員の1人にお見せしたところ、ぜひ写真を撮らせてほしいということだったとか。
そこで撮影した数枚が、たまたま同研究所のブログに掲載されていました。
友人が偶然みつけてくれたのです。
趣味も広がってくと、目にとまる場所もあるのです。
しかし現在はここの店もなくなってしまいました。
今では法隆寺のお店とネットショップだけが生き残っています。
時代はネットですからね。
これからはそういう売り方で経営していくしかないのかもしれません。
家人によれば、ここの生理用品は売れ行きがいいらしいのです。
肌にやさしい素材が喜ばれているようです。
敏感な皮膚をした人もたくさんいますからね。
なるほど、そういう方法もあるのかと感心しました。
品物は確かです。
しかし安くはありません。
それだけははっきり言っておきます。
由緒
お店の由緒書きを読むと、廣田益久という人の歩みがこの研究所の原点だそうです。
繊維一筋で「自然」へ向かうことにしようと決めたのは、かなり後のことだとか。
豊かさをはき違えないために、100年前の暮らしに帰ろうと決めたのはバブルがはじけて後のことでしした。
自然の色に出会い、天然染色を学ぶという決心をしたのです。
彼は兵庫県西脇市の木綿先染工場を家業にする家に生まれました。
その後、高度成長の波にもまれている時、出張先の新潟の織物工場で「自然の色」に出合ったのです。
時代のキーワードは、エコロジー社会に向かいつつあったのでしょうね。
取引先の債権回収などに疲れ果て、何をしたらいいのかわからなくなるうち、手紡ぎや手織り、天然染料による染色などを教える教室を始めたいと考えるようになったとか。
「法隆寺献納宝物」の織物の古代色彩などを研究し始めた頃から、自分の道がみえてきたということなのかもしれません。
しかし純粋な気持ちだけで商売を軌道に乗せるのは容易なことではありません。
経済の原則は厳しいものです。
大きかったもちいどの通りにあった店が、やがて三条通りにうつり、それも消えました。
中目黒の店も同様です。
法隆寺の店には行ったことがありませんが、経営は厳しいのではないでしょうか。
それでも百年の夢を見ながら、前を向いていく姿勢には頭が下がります。
ネットという武器は、品質を重んじる経営者にとって、実にありがたいですね。
どんなに遠いところにいる消費者の手にも届きます。
これからもこうした試みを続ける人を応援したいものです。
興味、関心のある人はぜひ、HPなどをのぞいてみてください。
いつもの記事とは少し違うテイストになりました。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。