晏子之御
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は有名な故事「晏子之御」について解説します。
「あんしのぎょ」と読みます。
晏子とは、中国春秋時代の斉の宰相、晏嬰(あんえい)のことです。
詳しく知りたい人は宮城谷昌光の『晏子』を読んでください。
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このブログにも彼の作品について説明した記事があります。
最後のところに載せておきましょう。
時間のある時にでも読んでみてください。
晏嬰は斉の宰相として管仲と並び称された人です。
春秋時代を通して名宰相と言われました。
中国の歴史書『史記』を書いた司馬遷はその列伝の中で、かなりの字数を管仲と晏嬰のために割いています。
晏子の言行録には有名な『晏子春秋』があり、宮城谷昌光もそこから、多くのヒントを得ています。
彼は常に質素を心がけ、肉を食べることもめったにありませんでした。
狐の毛皮で仕立てた1枚の服を、30年も着ていたといわれています。
晏子を尊敬していた司馬遷は「晏嬰の御者になりたい」と語っていたそうです。
多くの人々に尊敬され、たくさんの逸話が残っています。
そのうちの1つが、今回学ぶ「晏子之御」です。
「御」(ぎょ)とは、御者のことです。
晏嬰の御者は、主人を馬車に乗せていることが得意で、半ば自己満足していました。
しかし妻にたしなめられて発奮したといいます。
離婚までせまられた結果、自制をするようになりました。
その後、晏子の目配りで、御者は飛躍的な出世をしたのです。
この話はある諺を連想させますね。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」というのがそれです。
稲の穂は実るほどに重くなり穂の先を下げます。
人間も本当に偉い人は、つねに謙虚なのです。
御者の態度が変わったことを、瞬時に見抜いた晏子の度量の大きさは、やはり特筆ものです。
書き下し文
晏子斉の相たりしとき、出づ。
其の御の妻、門間よりして其の夫を闚(うかが)ふ。
其の夫相の御と為りて、大蓋(たいがい)を擁し、駟馬(しば)に策(むち)うち、
意気揚揚として、甚だ自得せり。
既にして帰る。
其の妻去らんことを請ふ。
夫其の故を問ふ。
妻曰はく、
「晏子は長(たけ)六尺に満たざるに、身は斉国に相たり、名を諸侯に顕(あらわ)す。
今者(いま)、妾(しょう)其の出づるを観るに、志念深し。
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常に以て自ら下ること有り。
今、子は長八尺なるに、乃ち人の僕御たり。
然るに子の意自ら以て足れりと為す。
妾是を以て去らんことを求むるなり。」と。
其の後、夫自ら抑損(よくそん)す。
晏子怪しみて之を問ふ。
御実(じつ)を以て対(こた)ふ。
晏子薦めて以て大夫(たいふ)と為せり。
現代語訳
晏子が宰相であったとき、外出することがありました。
晏子の御者の妻は門の間から自分の夫を窺っていました。
彼女の夫は宰相の御者となって大きな傘を擁し、馬に鞭打って意気揚揚として甚だ得意げでした。
外出から帰ってきた時のことです。
彼女は自ら離婚したいと申し出ました。
夫はその理由を慌てて聞きました。
すると彼女はこう言ったのです。
「晏子は、身長が6尺にも達しませんが、その身は斉国の宰相であり、名声は諸侯に響き渡っています。
今、私が晏子の外出される様子を見ておりましたところ、実に思慮深そうな方でした。
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そして、常に自らへりくだっておられるのです。
しかしあなたは、身長が8尺もありますが、下僕としての御者に過ぎません。
それなのに、あなたは自らこれで十分だと思っているようです。
だから私は離婚したいと申し上げているのです。」
その後、晏子の御者は自ら謙譲の美徳を持ち、へりくだるようになりました。
けっしていい気になって、威張るようなこともなくなったのです。
晏子は不思議に思ってなぜかと理由を訊ねました。
するとその御者は、ある事実を答えたのです。
晏子はこの御者をすぐに推薦して、大夫の位にのぼらせることにしたということです。
人を見る目の鋭さ
この話を読んで、あなたはどんな感想を持ちましたか。
あまりにも妻の態度が強すぎる、と感じた人がいるかもしれません。
あるいは夫があまりにも弱いように見えた人もいることでしょう。
しかし得意げに晏子の乗る馬車を操っている男の様子には、どこか可愛げがあるような気もします。
妻は自分の夫が御者という身分に満足しているのが、不満だったのでしょう。
離婚まで申し出たとあります。
ところがそこからの夫は偉かったです。
自制の心を手にしたのです。
謙譲の精神を身につけることくらい、難しいものはありません。
どうしても権力者のそばにいれば、その陰にかくれてつい威張りたくなるものです。
「虎の威を借る狐」などという諺もあるくらいですからね。
後ろに虎がいるからこそ、狐も偉そうにその前を歩けるのです。
しかしその存在がなければ、ただの弱い狐であることにかわりはありません。
妻がなぜ離婚までをちらつかせながら、夫をたしなめようしたのか。
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それもまた興味深いところです。
そこまでやれば、必ずこの男は発奮して、立派になると見込んだのかもしれません。
なによりも偉いのは、やはり晏子です。
多くの故事によく登場するには、それだけの下地があったのでしょう。
人の技量を見抜く目は、並大抵のものではありませんでした。
すぐに御者を身分の高い大夫にしたのです。
この他、晏子には3人の勇士を2つの桃で殺した話などもあります。
3人の勇将を彼は退けたいと思っていたようです。
そこで策略を考えました。
2つの桃を用意して「功績の高い者から食べよ」と言いました。
2人が先に桃を取ると、最後の1人が「私に功績が無いと言うのか」となじったのです。
そこで最初の2人は自分の行いを恥じて自殺しました。
最後に残った1人も、自分だけ生き残るわけにはいかないと自死したという話です。
晏子は人間の心理を見抜くことの達人でした。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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