【樹々への憧れ】梢の下に佇んでいれば生命力が自ずと湧きあがってくる

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樹々への憧れ

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は木の命について考えてみます。

気は木に通じるのかもしれません。

大きな樹木の下にいると、なぜか力をもらったような気分になります。

樹齢数百年という木には、やはり生命力が宿っているのではないでしょうか。

最近、読んだ本の中にもそのようなことが書いてありました。

それは槐(えんじゅ)という木の話です。

元々この木は非常に目が美しく、彫刻やあるいは仏壇などにも向いているということです。

その木の下に立つ主人公が、ふと自分の生きてきた過去を振り返り、結局全てを見てきたのはこの木だけであったと述懐するのです。

その主人公とは孟嘗君です。

御存知ですか。

宮城谷昌光(みやぎたに まさみつ)の小説を読めば、彼のことがよくわかります。

古代中国の偉人のことなら、この作家の小説を読めばよくわかります。

孟嘗君(もうしょうくん)は、中国戦国時代の政治家です。

名前は田文。

戦国四君の1人と言われています。

最も有名な話は「鶏鳴狗盗」(けいめいくとう)ですね。

漢文の授業で習った記憶があると思います。

孟嘗君が、秦の王に捕らえられたとき、脱出するため、王の愛する姫にとりなしを頼みました。

謝礼として狐白裘(こはくきゅう)を要求されたのです。

毛皮の高級な衣服ですね。

1着しかなかったため、先に王に献上してかわりがありませんでした。

そこで彼は盗みのうまい食客にこれを盗ませました。

なんとか脱出に成功したのです。

しかし問題は天下の険として知られた函谷関の関所です。

ニワトリの鳴きまねのうまい食客の働きで関所を開かせることにこちらも成功しました。

『史記』に載っている孟嘗君の有名な故事です。

数百年の時を超えて

孟嘗君が生まれてすぐに殺される運命に陥った時の様子が小説に出てきます。

その木にまたがって助けてくれた人のことを思う場面もあります。

というのは命の泉かもしれません。

数百年の命を保って生きているのです。

これからまさに桜の季節ですね。

あと20日もすれば、各地から開花の便りが届きます。

考えてみれば、人間の命よりもはるかに確かで長いのです。

枝ぶりを見ているだけで、畏敬の念を抱きます。

数年前に行った京都醍醐寺の桜の老木は見事でしたね。

ここまで生き続けられるのかと思いました。

枝を次々と支えて折れないように伸ばしていきます。

あの桜の木を見守り、手入れするのは並々のことではありません。

それだけに見ている人を心穏やかにはさせません。

活力を与えようとしているかのようです。

生きる力をわたしからもらえと叫んでいます。

秀吉が愛した桜だそうです。

むべなるかなと思いましたね。

美しい造形

大木を見て、私たちは何に感動するのでしょうか

樹木の生命でしょうか。

考えていくと、それだけではないような気もします。

幹を触った時の感触や、日に映えてまぶしく輝く葉の様子など、全てが美しいものに思われてきます。

高台寺の桜もそうですね。

ここの枝垂桜もみごとです。

祇園から少し東山の方へのぼるとあります。

秀吉の正室である北政所が、冥福を祈るため建立した寺院です。

ねねの寺として有名ですね。

これほどに咲いてしまっていいのかと思わざるを得ませんでした。

1本の桜が木の命を放っています。

とうてい人間が勝てるものではありません。

というより、そういう価値観を許さないレベルにあると感じるのです。

桜だけではありません。

常緑でない、落葉する木々も美しいですね。

冬になって裸木になった時の雄々しさにも憧れを感じます

むしろ哲学的とでもいった方がいいような、幹の姿には不思議な力が宿っています。

かつて『戦争と平和』というトルストイの小説を読んだことがあります。

その中で最も好きだったのは、菩提樹の木の下で主人公達が語りあう場面でした。

人生のあれこれをひたすら巨大な木の下で話し合うのです。

命をくれる対象物があるから、人を哲学的にさせるのですね。

ぼくたちの生活の中に、樹木は人智をはるかに超えたものとして登場します。

人の命のはかなさを思う時、樹々の生命の強さ、長さになぜか粛然としたものを感じる人が多いのではないでしょうか。

木々は光を浴びて

森有正の著書のタイトルです。

いつも樹木を見ると、この作品名が出てきます。

きっと木の緑に映える光は、美しいものなのですね

近くの公園を散策している時も、太陽の光が鬱蒼とした木の葉の間からもれてくると、思わず見とれてしまいます。

本当にこの世のものとは思えない神々しさに満ちているのです。

哲学者、森有正はいつも孤独な自分と正面から向き合い続けた人です。

代表作『バビロンの流れのほとりにて』などもありますが、ぼくはこのエッセイの方が好きです。

なんとなく自分にはあっているのです。

おそらく、樹木の持つ力を感じさせるからではないでしょうか。

感性の赴くままに書かれた本です。

森の中に分け入っていく構図が、精神の谷間を歩く姿に重なります。

そして太陽の光にめぐりあう。

梢に鳥がとまっていればいうことはありませんね。

樹木は命をくれます。

疲れたら、緑の葉の中に出向いて息を潜めることです。

もちろん、花が咲いていてもいい。

しかし咲いていなくても、枯れた枝であっても、間違いなく生命力をくれます。

そうしたものとして、人は樹木とつきあってきたのではないでしょうか。

難しい理屈はいりません。

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ただおいしい空気を吸って生き返りたいだけなのです。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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