粗忽噺
みなさん、こんにちは。
アマチュア落語家、すい喬です。
今回は粗忽噺を扱います。
この漢字を読めますか。
「そこつ」です。
突然言われても、漢字が頭に浮かびませんね。
日常的によく使う言葉ではないです。
もっぱら落語の中ばかりに登場します。
粗忽者は人気のキャラクターなのです。
とにかくおっちょこちょいで、そそっかしい。
現代ではほとんど相手にされないタイプの人間ばかりです。
バカで暢気などというレベルではありません。
とてもじゃないけど、付き合ってはいられないよという人間ばかりです。
しかし落語の中では大活躍します。
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とても愛されているといってもいいでしょう。
生産性をあげるために「効率」重視で生きている現代人にとって、格別の癒しに繋がる人達なのです。
こんなんでいいのか。
これで生きていけるのかと思うことで、肩の力がスッと抜けていきます。
いつも勝ち組になることが、本当の幸せな生き方なのかどうか。
じっくり考えてみるための、リトマス試験紙のような落語ばかりです。
それでは、どんな噺があるのでしょうか。
寄席でよく演じられるものに次のようなのがあります。
「粗忽長屋」「粗忽の釘」「粗忽の使者」「堀の内」「松曳き(粗忽大名)」あたりがベスト5でしょうか。
粗忽長屋
噺家にとって、粗忽噺は鬼門です。
実は大変に難しいのです。
実際に覚えてやってみれば、そのことがよくわかります。
その代表が「粗忽長屋」でしょう。
この噺は自分が死んだといわれ、その死体を引き取りにいく熊五郎のエピソードで成り立っています。.
浅草の観音さまへ詣でにいった八五郎は、行き倒れの現場に出っくわします。
死人の顔を見た八五郎は、同じ長屋の熊五郎だと言います。
その本人を今、連れてくるからと叫び、急いで長屋へ引き返します。
戻ってきた八五郎は、熊五郎に対し、お前が浅草寺の近くで死んでいたと告げるのです。
熊五郎は死んだような気がしないと何度も言うものの、お前は粗忽者だから死んだことに気づいていないなどと言い返します。
熊五郎はついに言いくるめられて、納得し、自分の死体を引き取るために、八五郎と共に浅草寺へ向かいます。
観音さまに着いた熊五郎は、死人の顔を見て、間違いなく自分だと告げるのです。
このあたりまでくると、粗忽のレベルをはるかに超えていますね。
熊五郎は慌てて自分の死体を担いで帰ろうとします。
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ところが突然「どうもわからなくなった」と八五郎に向かってつぶやくのです。
「抱かれてるのは確かに俺だが、抱いてる俺はいったい誰だろう?」
これがオチです。
ばかばかしい極致のような噺です。
しかしもしかしたら、そんなことがあるのかもしれないな、とつい思ってしまいます。
この噺は粗忽者噺の代表といってもいいでしょう。
ただし少しでも間が狂うと、面白くもなんともありません。
死んだ人間を自分だなどと間違えるあわてものが、本来いるワケはないからです。
しかしそこまで信じきってしまう人間の存在が、とてもいとおしいのです。
5代目柳家小さんが得意の演目にしていました。
人間の死を扱っているだけに、暗い雰囲気にならないようにするというのが、最も難しいとよく語っていたそうです。
弟子の立川談志は、この落語を「粗忽長屋」と呼ばずに「主観長屋」と称していました。
落語家の実力を測るための試験科目のような噺なのです。
堀之内
寄席でよくかかる粗忽噺の代表です。
上方落語では「いらちの愛宕詣り」といいます。
それを東京にうつしたのが、「堀之内」です。
粗忽者の熊五郎はなんとか自分の粗忽を治そうとして、堀之内の御祖師様に毎日お参りに行くことにします。
ぼくは行ったことがありませんが、大変に霊験あらたかなところだと聞いています。
ところが翌朝、女房に起こされると、熊五郎はどこへいくのかすっかり忘れています。
顔を洗おうとすれば箪笥を開ける始末。
水がでないと叫ぶのです。
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お鉢のフタを器にして顔を洗い、ネコを手ぬぐいと間違えるくらいの粗忽者です。
この噺の演出はスピード感ですね。
そんなバカはいないと思われたら失敗です。
若手でも勢いがあれば、なんとか演じられます。
ようやく外に出て歩き出し、人に道を聞くと逆方向にいってしまい、寺を見つけてここは堀之内ですかと聞くと浅草の観音様というレベルです。
さらに歩くと自宅へ逆戻り。
次から次へと続く失態にあきれかえっているうちに、噺は終わります。
まくらを入れて12~3分という、寄席にはもっとも向いた噺なのです。
粗忽の釘
粗忽者が引越しをするという噺です。
箪笥を背負って出て行ったきりで、どこへいったのかわからなくなるという噺です。
やっと戻ってきた亭主に、女房がほうきを掛ける釘を打っておくれと頼みます。
粗忽者の亭主は長い瓦釘を間違えて、壁に打ち込んでしまうのです。
隣の家の物を壊したかも知れないから、行って謝っておいでといわれ、最初は向かいの家へ。
やっと隣の家に辿り着くと、亭主はちょっと上がらせてもらうといって一服つけます。
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知らない人があがってきたので、何か用事ですかと訊ねると、瓦釘を壁へうったというのです。
もう一度家に帰って釘を打ったところを叩いてみてくださいと言われ、亭主は壁を思い切りドンドンと叩きます。
ところがなんと、釘の先が仏壇の阿弥陀様の頭の上からでていたのです。
「えらいことだ、明日からここにほうきを掛けに来なくちゃならない」というのがオチです。
途中、女房とのなれそめの話などが楽しくて、つい笑わされてしまいます。
これも寄席ではよくかかりますね。
春風亭一之輔がよくやっています。
粗忽の使者
これも5代目の小さんがよくやりました。
おしりをつねられないと、用事を思い出せないという大名の家来、地武太治部右衛門(じぶたじぶえもん)が主人公です。
用事をいいつかったのはいいものの、全部忘れてしまいます。
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応対に出た三太夫が尻をつねるくらいではダメで、大工職人の留がにわか家来になり、大工道具の釘抜きを取り出して思い切りひねります。
さすがにこれで治部右衛門は思い出しました。
「して、お使いの御口上は」「聞かずに参った」というのがオチです。
ばかばかしい噺を真面目に話し続けると、おかしくなるのです。
松挽き(粗忽大名)
そそっかしい殿様の噺です。
桃月庵白酒のが1番聞いていて楽しいですね。
ここまで粗忽な殿様がいては、家来も大変です。
家老の三太夫もまたかなりの粗忽者なのです。
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江戸屋敷で殿様が庭の赤松の位置を変えたいと三太夫に相談するところから、ばかばかしい噺が始まります。
オチまで一気に楽しんでください。
白酒師匠のとぼけた表情をみているだけで、笑えます。
落語は粗忽者の勝利する場所ですね。
それが救いです。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。