【鶏鳴狗盗・孟嘗君】勝ちすぎれば必ず滅亡を早めると信じた政治家

鶏鳴狗盗

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は必ず高校で習う『鶏鳴狗盗』を読みましょう。

「けいめいくとう」という言葉の意味を知っていますか。

『十八史略』という歴史の入門書に載っています。

江戸時代には『論語』『唐詩選』とともに必読書とされました。

意味は読んで字の通りです。

鶏の真似をして鳴き、狗(いぬ)のように物を盗むという意味です。

居候が3千人もいたという孟嘗君の配下には、不思議な技を身につけた人たちがいろいろと揃っていたのです。

とるにたらない小人物でも使い方によっては役だつという意味によく用いられる故事です。

どうしてこんなタイトルがついたのか。

少しだけ内容をみてみましょう。

実は宮城谷昌光の小説をまた読んでしまいました。

全5巻を一気に読了したのです。

今までに読んだ本の中で1番スピード感のある内容でしたね。

孟嘗君、田文が活躍するのはむしろ後半の方です。

4巻までは、白圭と呼ばれた彼の育ての親の周囲にいた人々の事件が主筋になります。

とにかく面白い。

これにつきます。

偶然のようにして、幼児を育てることになった白圭が、いくつもの国を経て最後は大商人になっていくまでのストーリーが波乱万丈に描かれています。

白圭はしかしただの商人ではありませんでした。

大きな堤防を無償で築きあげるといった世が世なら、一国の宰相になるだけの実行力を持っていたのです。

この作家は女性を描くのが殊にうまいです。

後に文の妻となる洛巴や、白圭の妻翠媛など、これ以上に美しい表現で彩られた女性はないようにも思います。

彼らが信じ愛した男によって本当にすばらしい女性に成長していく様子を読むのも心楽しいです。

孟嘗君(もうしょうくん)

田文が斉から魏へ赴き、また秦の宰相となり、再び斉に迎えられ、その王ともうまくいかず、魏に戻るまでの話は、これが政治なのだとしみじみ納得させられてしまいます。

文中には含蓄のある表現がいくつも散りばめられ、それがまた心を打ちます。

為政者は明るさを持っていなければならないと彼は言います。

上に立つ者は常に動作ひとつにも爽やかさが必要なのです。

風が吹き抜けたかのような心地よさを人々に残さなければ、誰もついてはきません。

田文には「鶏鳴狗盗」という有名な逸話があります。

むしろその言葉があまりに先走りしすぎた感すらあります。しかし幼少期から苦労をし続けてきた彼だからこそ真の政治ができたのでしょう。

一時は数千人の食客がいたといいます。

不思議な魅力に満ちた人だったのでしょう。

ここで書き下し文をみてみます。

少し難しいですが、なんとか読んでみてください。

大きな声を出すと、気持ちがいいですよ。

書き下し文

靖郭君田嬰なる者は、斉の宣王の庶弟なり。

薛に封ぜらる。

子有り文と曰ふ。

食客数千人。

名声諸侯に聞こゆ。

号して孟嘗君と為す。

秦の昭王、其の賢を聞き、乃ち先づ質を斉に納れ、以て見(まみ)えんことを求む。

至れば則ち止め、囚へて之を殺さんと欲す。

孟嘗君人をして昭王の幸姫に抵り解かんことを求めしむ。

姫曰はく、「願はくは君の狐白裘(こはくきゅう)を得ん」と。

蓋し孟嘗君、嘗て以て昭王に献じ、他の裘無し。

客に能く狗盗を為す者有り。

秦の蔵中に入り、裘を取りて姫に献ず。

姫為に言ひて釈さるるを得たり。

即ち馳せ去り、姓名を変じ、夜半に函谷関(かんこくかん)に至る。

関の法、鶏鳴きて方(まさ)に客を出だす。

秦王の後に悔いて之を追はんことを恐る。

客に能く鶏鳴を為す者有り。

鶏尽く鳴く。

遂に伝を発す。

出でて食頃にして、追う者果たして至るも及ばず。

孟嘗君、帰りて秦を怨み、韓魏と之を伐ち函谷関に入る。

秦城を割きて以て和す。

現代語訳

靖郭君田嬰という人は、斉国の宣王の腹違いの弟です。

薛の領主を命じられていました。

子供の名を文といいました。

食客が数千人いたのです。

その名声は諸侯に知れ渡っていました。

人々は彼を孟嘗君と呼びました。

秦の昭王は、孟嘗君が賢いということを聞き、人質をまず斉国に差し出してから、面会を求めました。

孟嘗君が秦にやって来たらすぐにその地に留め、捕らえて殺そうとしたのです。

孟嘗君は人に命じて、昭王のお気に入りの女性のところへ行き、自分を解放してくれるようにお願いさせました。

姫は「孟嘗君の持っている白い毛皮のコートが欲しい。」と言います。

確かに孟嘗君は、以前狐白裘(こはくきゅう)を昭王に献上しました。

もう他の毛皮は持っていなかったのです。

そこで食客の中から、盗みの得意な者を探し出しました。

秦の蔵に忍び込み、裘を盗み取って姫に献上したのです。

姫は孟嘗君のために口添えをしてついに釈放されました。

孟嘗君はすぐに逃げ去り、姓名を変えて、夜更けに函谷関の関所に到着したのです。

この関所の決まりは、朝に鶏が鳴いたら通行人を通すことになっていました。

孟嘗君は秦王が自分たちを追いかけてくることを怖れました。

食客の中に、たまたま鶏の鳴き真似の得意な者がいたのです。

食客が鶏の鳴き真似をすると、鶏が一斉に鳴き出しました。

やっとのことで通行を許可されたのです。

孟嘗君が関所を出た直後、追っ手が来たものの、捕まえることはできませんでした。

孟嘗君は斉に帰ってから秦を恨み、韓、魏とともに秦に攻め込み函谷関に入りました。

秦は敗れ、町を割譲して和睦を結んだのです。

宮城谷昌光の魅力

宮城谷昌光のすばらしさはその文章の美しさにあります。

とくに女性を描きだす筆力は抜群ですね。

もちろん、それだけではありません。

多くの学びをそこから得ることができます。

小国がどうやって生き抜いていけばいいのか。

それも大国の力を借りつつ、生き延びていくのかという知恵もこの小説にはあります。

読んでいると中国全土を、自分が毎日駆け回っているかのような心楽しさがありました。

文章が実にうまい。

ただそのうまさに感嘆するのみです。

孟嘗君の持つ明るさも読んでいて嬉しいですね。

人を信じるという基本が為政者には必要だということもよくわかります。

そうでなければ、誰もついてこなかったでしょう。

ちなみに孟嘗君が亡くなったのは紀元前279年のことです。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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