具体的に書くとは
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は「具体的」の中身について徹底的に検証します。
小論文の課題文のあとに必ず幾つかの問いがありますね。
最大のヒントだとよく言われます。
だいたい小問が1~2つぐらいあって、その後に長い文章を書かされることが多いです。
つまり小問はテーマをまとめるためのヒントになっているのです。
内容を要約し、ポイントをある程度掴んだ後に書き込むことになります。
その際よくあるパターンがこれです。
「あなたの体験を通して何を考えたのか、具体的に書きなさい」。
ある体験を通して受験生が学んだこととは何か。
学校はそれを知りたいのです。
ただし今回は作文型の小論文ではありません。
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必ず課題のテーマと接点を持たせなくてはいけないのです。
試みにSDGsの課題文が最初に配置されていたとしましょう。
脱炭素社会でも、プラスチックフリーでもかまいません。
あるいは貧困、飢餓などの問題も可能です。
そのいずれかについての文章のあとで、あなたの経験を通して具体的に書きなさいというワケです。
書き始めてみるとわかりますが、一見、なんとかなりそうで実はかなり難しいです。
というのもただ自分がしてきた経験などを作文のように書くのではなく、テーマとからめてまとめなければならないからです。
評論ではNG
「だからしっかり見守っていく必要がある」などという総花的な書き方をすれば、評価は一気に下がります。
よくある文章で最も評判の悪いのが次のパターンです。
「成り行きが注目される」というような表現です。
何をどう考え、その結果として、どのような将来像が考えられるのか。
近未来の構図はどのようなものなのかを自分の経験とからめて書けたとしても、最後に「成り行きが注目される」としたのでは最悪です。
自分が経験したことの結果として、具体的に何が語れるのか。
この部分をしっかりおさえることです。
自分は結論としてこう思ったというだけではダメです。
誰がどのように何をおこなっていけば、その結果として必ず近未来はこうなるという図式が同時に必要なのです。
自分がこのように感じたというだけではあまりにも内容が弱いです。
どうしても最初のうちは自分が感じたことをそのまま文章にしてしまうことが多いものです。
それでは論文になりません。
必ず大所高所から全体を見渡して、文をまとめる必要があるのです。
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自分の経験がこのテーマのどの部分とリンクするのか。
それを絶えず考えながら文をまとめなくてはいけません。
曖昧なスローガンだけをいくら書いても意味はないのです。
そういう薄っぺらい類いの文章を採点者は最も嫌います。
例えば飢餓の問題を考えてみましょう。
それをあなたは自分の経験と結びつけられますか。
世界の何億人が1日に1食しか食べられないという現実を、今の日本にいて実感として受け止めるのは難しいです。
それでも課題文に出たら書かなければなりません。
一般論ではNGです。
大切なのは自分の問題として受け止められるだけの想像力です。
実感をもった文章にしていくにはどうするのか。
誰が何を
「誰が何をどうすればいいのか」を視点の根拠にして考えてください。
自分にできることは何か。
あるいは誰か特定の人がという書き方でもかまいません。
自分はすぐに援助をするという行動をとることができないから、何もしないということではありません。
たとえ募金活動をしなくても自分の周囲から飢餓に対処することは可能です。
あるいはNGOやNPOの活動を側面から支援するという考え方もあります。
フェアトレードの考え方を示すのもいいでしょう。
その活動に参加した時の経験があれば、それが生きてきます。
国際支援のフェスティバルに行った時の記憶があればそれを利用してください。
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もちろん、旅行で見聞したことをきちんとまとめられれば、それも強いインパクトを与えられます。
書き方は何通りもあるのです。
いつも何もできない、してこなかったとNOばかりを書いていれば確かに楽です。
しかしそれでは先を見続ける小論文にはなりません。
つねに広い視点から、全体を俯瞰することです。
事実としてこういうことがある。
その記事を読んだ時にこう感じた。
それも1つの経験になるでしょう。
なんでもかまいません。
新聞で読んだ、雑誌で見た。
テレビ、映画、ネットで見たというのも可能です。
アンテナを張っているという姿勢を見せましょう。
リアリティの問題
ただしどこまでその現実をリアリティをもって受け止めたのかということが問題です。
書くことがないから、どこかから引っ張り出してきたという発想では論外です。
その境界を採点者は見ています。
嘘はすぐに見破られてしまうのです。
感想文型小論文と違うのは、どこまでいってもテーマとの関わりです。
それが不明確なままでは、評価されません。
こんな体験では誰にも話せないというものでも、切り口によっては強力なアイテムになります。
問題はそれをどう切り取ったのかというところに、国語力がみえるのです。
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誰が聞いてもつまらないと思うような話でも、視点をかえるだけで新鮮な話題になります。
常に新しい自分を意識して、日々を送ってください。
それが小論文に反映します。
あれもこれも経験をしたなどという人はいません。
足りないところは想像力で補うことも可能なのです。
具体的という言葉にあまりに囚われすぎると、何も書けなくなります。
フレキシブルに頭脳を使ってください。
小論文はあなたの柔らかさを表現する場でもあるのです。
勉強を続けてください。
期待しています。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。