添削は大切
みなさん、こんにちは。
小論文添削歴20年の元都立高校国語科教師、すい喬です。
8月に入ってからも毎日、暑いですね。
勉強のペース配分はうまくいってますか。
外出するたびにマスク着用はつらいです。
身体中が暑くなります。
その上、息苦しくて仕方がありません。
なんとか上手に扱って、この夏をなんとか乗り切りましょう。
高校3年1学期の成績も既に出ました。
つまり評定平均値が決定したということです。
特に推薦型の入試を受験する人にとって、この数字は大きな意味を持っています。
0.1でも推薦基準に足らなければ、そこでアウト。
厳しい現実です。
AO型の受験ならば、なんとかくぐり抜けることも可能な場合が多いです。
ただし小論文は必須ですね。
エントリーシートの内容も多岐に渡っています。
とにかく文章をひたすら書かなくてはなりません。
あらかじめテーマが決まっているのなら、最善を尽くしてまず文字を埋めていきましょう。
完成したら必ず直してもらうのです。
添削は大切です。
先生にお願いしてください。
基本的な文章の組み立て方から見てもらってください。
つまり構成力の再検討です。
事前に直せるのなら、なんでもやってください。
そうでない場合は試験場での一発勝負です。
何が出題されるかわかりません。
基礎的な知識を
どんな内容にもついていけるだけの国語力がなければ、チャレンジするのは大変です。
どうしたらいいのか。
このサイトにもいろいろと書きました。
過去の記事を参考にしてください。
少しずつでも書けるようになってきたら、先生にみてもらってください。
なんといっても基本は文章力です。
長くやっていると、自然に自分の文体が出来上がっていきます。
センテンスの長さとか、接続詞の使い方に特徴が出てくるのです。
その際、1番気をつけるべき点は何か。
こっそりとお教えしましょう。
忘れないで下さいね。
文の極意は改行と句読点にあるのです。
文章を書きながら自然に会得していくのです。
身体で覚えていきます。
言葉をかえれば、間(ま)を自分のものにするのです。
話の仕方にも通じます。
改行はわかりますね。
段落の区切りです。
1マスあけます。
話題がかわったということを示す大切なマークです。
改行をすると、そこに空白が生まれます。
文章の前の1行の下の方が空くのです。
これが想像以上に大きな意味を持ちます。
改行のない文
試みに全く改行のない文章を書いてみて下さい。
ベッタリと真っ黒で実に読みにくいものです。
文章は空白で読ませるのです。
起承転結と呼ばれ、800字なら最低4つの改行が必要だと教えられましたね。
小論文に「転」はいりません。
だから極端にいえば、改行が3つでいいのです。
しかし800字に3つでは文章が黒々として読みにくいものになってしまいます。
問題提起に対して、説明を加える段落がありますね。
なぜ自分はこういう意見を持ったのかということを論理的に解説する部分です。
ここが小論文では最も大切なのです。
改行をこの部分で少し入れましょう。
300字以上使うのなら、2~3くらいあってもいいです。
文章の改行の数、位置は正確に決まっているワケではありません。
気持ちが切れる時、疲れた時などに試みてください。
どうも文章が真っ黒になってしまったと思ったら、即改行です。
これはプロの勘に似ています。
理屈ではありません。
句読点も同じ
もう1つが読点です。
実はこれも同様なのです。
どこに点を打つのかというのは大変に難しいのです。
ある人は呼吸だといいます。
その人の肺活量に負うという話を聞いたこともあります。
ずっと読点を打たずに文を一気に読ませるには、よほどの文章力がなければなりません。
古井由吉という2年前に亡くなった作家がいます。
一時、彼の文からは読点がほとんど消えてしまいました。
1つの文のなんと長いことだったでしょうか。
志賀直哉の『城の崎にて』を授業で扱った時の話です。
今回読み直してみて、やはり名文だと感心しました。
たいした話ではないのです。
電車の事故で死にかかった著者が、但馬の温泉へ湯治に行った時の、身辺雑記です。
しかしその目は実にしたたかです。
生きるものと、死んでいく者との間に境がありません。
生の中に死が潜んでいることを、実にみごとに描き出しているのです。
内容はともかくとして、今回何度も読み返して驚いたのは、文章にあまり改行と読点のないことでした。
たいした枚数でもない作品だから、少ないと言ってしまえばそれまでのことです。
しかし印象として、志賀直哉は改行を多用する人だと思いこんでいました。
小説の神様という異名は知っていますか。
間の使い方が絶妙だったのです。
同じ作家の安岡章太郎などは原稿用紙にそのまま原文を写して勉強したと聞きます。
志賀直哉の息と間を体得するには、それが一番手っ取り早かったに違いないのです。
この小説には会話もそれほど多くありません。
『赤西蠣太』や『暗夜行路』などとはまた違った趣きなのです。
多分、雑記風にまとめるということを意識した上での、改行なのでしょう。
文章の極意はささやかなものなのです。
そこに読点があるかないかで、文の印象がガラリとかわってしまいます。
結論からいえば、読点は打ちすぎないこと。
しかし息が持たなくなったら、そこで自然に打っていく。
この感覚が意識せずにできるようになれば、文章の極意を知ったということになるのです。
スキルを自分のものにするのはとても難しいです。
しかし身体に覚え込ませなければなりません。
頑張って下さいね。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。