【孤独との対話】言葉の森で彷徨い続ける覚悟があれば必ず生き残れる

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コミュニケーション能力

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師のすい喬です。

今回は少し言葉の森を探索してみましょう。

いまさらそんなことをしている暇なんてないよ。

あなたが口にしたいことはよくわかります。

世の中はスピード時代です。

的確に短時間で相手に通じる文章が書けること
自分の伝えたい内容を正確に発言できること
コミュニケーション能力を持っていること

ビジネスの世界ではまさにこの3つがポイントです。

さらにいえば、ノンバーバルなパワーがあれば最強ですね。

これは言葉にならない言葉とでもいえばいいのでしょうか。

geralt / Pixabay

その人の持っている佇まいです。

目力もそれです。

言葉は文化そのものなのです。

時代の持つ潜在的な力を示す一つの指標ともいえます。

そうした観点から見た時、今日の言葉は明らかに衰弱しているような気がします。

単純な軽い言葉が表通りを我が物顔で闊歩しているのです。

メールの普及やマンガ、アニメなどの影響もきっと背景にはあるでしょう。

特にメールと呼ばれる通信手段はその性格上、より短く手軽な表現で相手に意志を伝えようとします。

その極端な形が絵文字に象徴されているのかもしれません。

短く的確であることは決して悪いことではありません。

しかし鍛えられた言葉を背後に持たず、ただすぐ相手に伝わる表現ばかりを多用していると、人間は考える能力を次第に弱めてしまいます。

日常使う言葉そのものから奥行きがなくなっていくとしたら、何と寂しいことでしょうか。

言葉は水の下に

マンガやアニメは絵で多くの情報を伝えようとします。

逆に言えば、それ以外の表現部分は極端に省略されてしまうのです。

当然言葉の比重は軽いものになってしまいがちです。

もちろん、内容の濃い優れた作品もたくさんあります。

すべて軽いなどという気はありません。

言葉は思考を鍛えます。

あるいはその逆も成り立つでしょう。

つまり美しい表現や論理的な言語はそれぞれ背後にすぐれた思考の磁場を持たなければ、発生不可能なのです。

同時に感受性も言葉によって鍛えられます。

一度表現したことがらは新たな認識となって、自分に戻ってくるのです。

だからこそ、書くという行為は貴重な経験でもあるワケです。

実際文章を書いてみて、自分はこんなことを考えていたのかと愕然とすることもあります。

それが新しい体験そのものなのです。

かつて日本人はたくさんの言葉を持っていました。

あるいはそれを鍛えるための場を社会の中に用意していました。

不見識な表現は大人達によって常にチェックされていたのです。

また漢文や古文の知識、あるいは和歌などの教養がそれらを背後から支えていました。

ちょっとした言葉の端々にそうした表現が見られたものです。

しかし現代はどうでしょう。

特に男言葉と女言葉の垣根は殆どなくなってしまいました。

むしろ女性が男性的な話し方を好んでする傾向すらあります。

ジェンダーフリーの思想がそこにはあるのかもしれません。

文化の差

合理性を好む現代の傾向がこれに拍車をかけているのでしょう。

英語を代表とする西洋の言語には男女別の表現は殆どみられません。

しかし日本語にはそれが数多くあるのです。

これは善し悪しの問題ではありません。

文化の差なのです。

言葉の持つ美しさを知っているのと知らないのとでは、そこに大変な違いがあります。

古典の中に出てくる和歌に通じているだけで、同じ花を見ても感じ方は自ずと変わるでしょう。

あるいは漢文や詩も大切です。

そうした非日常的な言葉は人の心を内側から活性化させ、鍛えてくれるのです。

これはコミュニケーションを超えた、知性のレベルの話です。

相手に通じる言葉だけだったならば、なんと味気ない世の中になってしまうことでしょうか。

詩句を知り、言葉の重みを知るだけで、人生は豊かになります。

そこには長い時間をかけて培われてきた日本人の感性が脈打っているからです。

日常の中で、古代の人々や中世の人たちと通奏低音を響かせ合うことができるのです。

たとえば和泉式部の代表的な歌に次のようなものがあります。

もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞみる

好きな歌の1つです。

京都の鞍馬にある貴船神社で詠んだ歌だといわれています。

縁結びの神として知られているところです。

清流が脇を流れています。

為尊親王が亡くなり、弟の敦道親王との恋が始まりました。

その親王も若くしてこの世を去ります。

蛍の背の光が魂に見えたという歌を読むだけで、和泉式部の気持ちに近づくことができます。

前の夫との間に1男1女、そして親王2人との恋愛の後、10数年後に再婚した男性との間にも1男をもうけた人生。

彼女が貴船神社に詣でる時はいつも1人でした。

過去の恋愛から抜けきれない自分の妄執を感じていたのでしょう。

この歌を知っているだけで、蛍が人間の魂、それも人を恋する時の当惑している心の様子を表現していることがわかります。

ただ蛍を見てきれいだと思う気持ちも大切ですが、そこにもう一つ複雑な感情の襞を持つことは決して無駄なことではないはずです。

このように感性を鍛えていくことで、言葉は幾層にも豊かな表情をみせてくれるのです。

孤独の中で

言葉は孤独の中で育まれていくものです。

生きることは常に寂しく孤独なものです。

時に楽しいことがあっても、再び静かな時間に戻っていきます。

しかしその時に本当の言葉の力が作り上げられていくのです。

自己と正対しながら、紡ぎ出していく日常こそが、人を強くします。

Free-Photos / Pixabay

相手に正確に伝えるだけが、言葉の役割ではありません。

自分の内面を映し出し、そこにもう1人の違う人格を探すこともその仕事なのです。

氷を水に浮かべると、殆どが水の下に沈んでしまいます。

その沈んだ部分が実は最も大切なのです。

どのくらいのエネルギーを貯めこんだかによって、その人の発する言葉が決まります。

その表現を聞いているだけで、1人の人間の生きざまがわかるのです。

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味わい深い言葉の森を持つことで、わずかな希望の光を人生に見いだすこともまた可能なのです。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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